Yahoo!ニュース

W杯開催地決定をめぐり、こじれたFIFAと英国の関係を振り返る

小林恭子ジャーナリスト
FIFAのブラッター会長(BBCのウェブサイトから)

4年ごとに開催されるサッカーの世界選手権大会「FIFAワールドカップ」を主催する国際サッカー連盟(FIFA)は、4日の理事会で、酷暑が予定されるカタールでの2022年のW杯について開催時期を変更するための調査委員会を設置することを決めた。

現行では夏に開催予定となっているが、現地では40度を超える気温となり、炎天下での試合は事実上困難と見られている。調査終了後、秋または冬などに時期をずらして開催の見込みだが、最終決定は2014年になるという。

昨年9月時点で、ブラッターFIFA会長はこう報道陣に述べていた。

「カタールだけではなく、どこで開催しても基本的な条件は同じだ。FIFAのW杯は6月と7月に開催されるものだ。これが基本条件だ。FIFAの原則を守るのが私の責任であり、権利でもある。原則の1つが、6月と7月ということなんだよ」。

その1年後の今年9月には、「夏のカタールでW杯を開催するのは責任ある行為ではない」と述べるにいたった。

カタールの夏が酷暑となることは、開催地に選ばれる前から誰しもが予想できたはずだがー。

2010年、開催地がロシア(2018年)とカタール(2022年)に決定する直前に、英BBCなどがFIFAの理事会の汚職疑惑を報道した。このときの報道が、立候補した国の1つだった英国が選ばれなかった理由だと考える英国のスポーツ関係者は少なくない。

英国サッカー関係者にとって悪夢のような、W杯開催地決定までの状況を振り返ってみよう。(筆者のブログ記事に補足しました。役職は当時。)

汚職疑惑で揺れたFIFAと英メディア

2010年12月、FIFAは2018年と22年の選手権開催国を選定・発表した。英国は、開催条件の面では高い評価を得ていたにも関わらず、FIFA内で十分な支持を集めることができず、落選した。開催国選定の直前までFIFAの不正・汚職疑惑を暴露する報道を行っていた英メディアが敗因を作ったとする見方が英国内で出た。

FIFAと英国

FIFAにとって英国はやや特別な国である。この点を理解するためにFIFAの発祥を振り返ってみる。

英国は近代的なスポーツとしてのサッカーを誕生させた国といわれている。

19世紀半ば頃、裕福な家庭の子弟が通う私立校「パブリック・スクール」の間で、手を使うか使わないかなど、サッカーのルールが異なっていたため、共通ルールを作るようになった。イングランド・サッカー協会とロンドンのクラブによる統一ルールが作成されたのは、1863年。これ以降、英国内各地や世界中にこのルールが広がった。

1880年代、英国では国際選手権を開くための統一ルールを決める団体、国際サッカー評議会が設立され、英国内の四協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)に所属するクラブ同士が戦う大会を開催するようになった。

FIFAは1904年、オランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーの8カ国で設立し、当初英国は参加しなかった。

翌年、英国がFIFAに参加するにあたり、一つの国が「ナショナル・チーム」として参加する原則であったが、FIFAは英国の四協会それぞれの参加を承認したばかりか、FIFA副会長(定数7人)職を4協会のいずれかに保証し、近代サッカーの母国で当時最強のイングランド・チームを抱える英国に特権的扱いを行った。

FIFAは本部をスイス・チューリッヒに置き、209の加盟協会を持つ。理事会は会長1人に、欧州を代表する8人、アジア・アフリカ各4人、北中米・南米各3人、オセアニア1人の計24人で構成されている。ワールドカップ開催地の選出には、理事それぞれが1票ずつの投票権を持っている。

汚職疑惑報道が始まる

2006年、英ジャーナリスト、アンドリュー・ジェニングズ氏が、「反則!FIFAの秘密の世界」(仮訳)と題する本を出版した。FIFAのスポーツ・マーケティング会社ISL(2001年倒産)を例に出し、契約を取るために賄賂の授受が日常的に行われていたと書いた。同年、ジェニングズ氏は、BBCのテレビの調査番組「パノラマ」の中で、ブラッター会長がサッカー界から1億ポンド以上のわいろを秘密裏に受領し、スイス警察から取調べを受けていると報道した。

2007年、イングランド・サッカー協会は、2018年と22年に実施のFIFAワールドカップ開催地として立候補することを決定し、2009年5月にはワールドカップ招致活動開始を宣言するイベントがウェンブリー・スタジアムで開催された。

2010年5月、日曜大衆紙「メール・オン・サンデー」が、イングランド招致委員会の委員長でイングランド・サッカー協会会長のデービッド・トリーズマン卿が知人との会話の中でFIFAの不正疑惑に言及したと報道した。同紙はこの部分を秘密裏に録音したテープを公開した。トリーズマン氏は両方の職を辞任した。

10月、招致委員会は22年の招致を断念し、18年での招致に力を傾けるようになっていた。

同月、今度は日曜高級紙「サンデー・タイムズ」が、オセアニア・サッカー連盟のレイナルド・テマリィ会長と西アフリカ・サッカー連盟のアモス・アダム会長におとり取材を実行。米国招致団に扮したタイムズの記者が米国への投票を両氏に頼み、その見返りとして、テマリィ会長は150万ポンド、アダム会長が50万ポンドの支払いを求める映像を公開した。両会長は理事職務の暫定的な職務停止処分を受けた。

開催国の決定は、通常FIFAの理事24人の投票によるが、上記の2人が職務停止処分のため、18年と22年の開催地決定では22人による投票となった。

投票が3日後に迫った11月29日、BBCテレビの調査報道番組「パノラマ」は「FIFAの汚い秘密」と題するドキュメンタリーを放映した。番組は、1989年から99年の間に175回に渡り、FIFAの理事3人が、ISLから総額一億ドルの賄賂を受けていたと報じた。また、北中米カリブ海サッカー連盟のジャック・ワーナー会長(FIFA副会長)が、2006年のドイツ大会と2010年の南アフリカ大会の入場券をダフ屋に流し、巨額の利益を得た疑念を放送した。

この時、一連のFIFAに関わる不正疑惑報をよそに、英国は政府が音頭を取って、イングランドへのワールドカップ招致に力を入れていた。

招致のための最後の演説には、キャメロン首相、世界的に知名度が高いデービッド・ベッカム、婚約発表を行ったばかりで話題性が高いウィリアム王子が参加した。近代サッカーの発祥の国であること、著名人によるプレゼンテーション、スタジアムや宿泊施設、交通手段の面からも最有力国の1つとして英国は見られていた。

ところが、12月2日の投票日、全22票の中でイングランド開催を支持したのはほんの二票であった。イングランド代表が投じた1票を除くと、他国・地域代表でイングランドに投票したのは1票のみ。ほぼ完敗の結果となった。英国全体に衝撃が走った。これほどのまでの完敗振りを誰も予期していなかったのである。

FIFA理事が2018年の開催地として選んだのはロシア、22年はカタールであった。ロシアやカタールはワールドカップ開催の経験がなく、投票前のFIFAによる開催候補国の査定報告書では「リスクが高い」という評価を得ていた。

(ちなみに、今年9月18日、ブラッター会長は独Die Zeit紙のインタビューのなかで、開催地の投票の前に政治家からの圧力があったことを認めている。欧州の大物政治家たちがFIFAの理事たちに対し、カタールに投票するようアドバイスしたと言う。)

放送するべきではなかった?

2010年の開催地選定でイングランドへの招致活動が大きく敗退したことで、英国内では「犯人探し」が始まった。投票権を握るFIFAの理事を批判する番組を投票日の数日前に放映していたBBCパノラマへの批判が特に強くなった。キャメロン首相やイングランド招致委員会のアンディー・アンソン委員長らは、複数のメディアの取材に対し、パノラマの放映時期に疑問を投げかけた。

一方、筆者が英放送業関係者数人に放送の是非を聞いてみると、ほぼ全員が「パノラマの報道は時期を含めて、正しい」「投票への影響を考えて時期をずらした場合、報道の自由の原則を曲げたことになる」と答えた。

しかし、「権力の批判は民主社会に欠かせないもの」「批判されたことと、投票行為は切り離して考えるべき」という英メディア関係者の間に共有されている、いわゆる「報道の自由の原則」が、FIFA全体あるいはFIFA理事らの間でどれぐらい共有されているかというと、筆者は心もとない感じがした。権力におもねる必要はもちろんないが、パノラマがせめて投票日の1か月前に放映されていたら、結果は若干異なっていたのではないだろうか。

FIFA会長選挙でも、英国は支持を得られず

FIFAの汚職疑惑に再び大きなスポットライトが当たったのは2011年5月であった。

下院の文化・メディア・スポーツ委員会は、サッカーの統治に関わる調査を実施してきた。5月10日、委員会は、元イングランド招致委員会の委員長でイングランド・フットボール協会の会長でもあったトリーズマン氏を証人として召喚した。同時に、不正疑惑を追ってきたサンデー・タイムズからも二人の調査報道記者の連名による文書を提出させた。

トリーズマン氏はワーナーFIFA副会長がイングランド・サッカー協会に対し、副会長の出身国トリニダード・トバゴに学校を建設する費用(推定250万ポンド)を支払うよう依頼し、地震で被害を受けたハイチでのワールドカップのテレビ放映料買収のため5万ポンドを払うよう頼んだ(後に、トリーズマン氏は、ハイチでの放映権をワーナー副会長が持っていることを知った)、と発言した。

トリーズマン氏によると、タイ出身のFIFA理事ウォラウィ・マクディ氏はイングランドが票を取りたかったら英国でのテレビ放映権の一部をもらいたいと持ちかけたいう。また、パラグアイ出身のFIFA理事ニコラス・レオス氏は爵位を欲しがり、ブラジル・サッカー連盟の会長でFIFA理事リカルド・テイシェイラ氏は、票が欲しいなら、見返りとして「何を私にくれるのか、オファーして欲しい」と述べたという。トリーズマン氏による生々しい証言の模様はテレビで生中継され、翌日の新聞はその内容を大きく掲載した。

トリーズマン氏が発した疑念の数々を検証するため、イングランド・フットボール協会はジェームズ・ディングマンズ弁護士に調査を依頼した。

同弁護士は5月11日から26日の間に関係者に面接し、関連書類を分析した後、疑念の信憑性を裏付ける証拠を見つけられなかったと結論付けた。また、FIFA自身も独自調査を行い、5月29日、疑惑を裏付ける明確な証拠がなかったと発表した。

一方のサンデー・タイムズによると、FIFA副会長イサ・ハヤトゥー氏とFIFA倫理委員会のジャック・アヌアマ委員は、カタールに票を投じるため、それぞれ150万ポンドをカタール側からもらっていたという。

カタール側はこの疑惑を完全否定したが、FIFA事務総長ジェローム・バルク氏が「カタールはワールドカップを買った」ことを示唆する電子メールをワーナー副会長に送っていたことが判明した。バルク氏は後、カタールが「強固な財力を使って招致したというのが真意だった」と弁明した。

6月1日に開催されたFIFAの総会では、次の4年間の会長選挙が行われる予定となっていた。イングランド・サッカー協会は、数々の不正疑惑が発生する中、会長選挙をやるどころではないと主張し、選挙の先延ばしを総会で訴えた。しかし、200を超える加盟協会の中で、イングランドが主導した選挙の先延ばし案を支持したのは17のみだった。

会長選は混迷を極めた。ワーナー副会長と、先に立候補を表明していたモハマド・ビン・ハマム理事(アジア連盟会長)とが、5月末、会長選に絡む買収疑惑を内部告発されたために、一時活動停止措置となった。このため、ハマム理事は出馬を断念せざるを得なくなった。対立候補のないまま、ブラッター会長は全体の9割を超える186協会の信任を得て、4選した。

ワールドカップは巨額のスポンサー収入やテレビ放映権料を元手に活動する。巨額が絡むビジネスとなったワールドカップ開催地の決定をFIFAの理事会のみで決めること自体が汚職や汚職疑惑につながる。

一連の「疑惑が事実である十分な証拠が見つからなかった」と結論付けた先のディングマンズ弁護士は、「不透明な意思決定の過程」が疑惑を招いたのではないかと指摘した。

この点はブラッター会長も認識しているようで、今後のワールドカップ開催地をFIFAの加盟協会全体で決める方式を自ら提案し、総会で正式承認された。

(役職名は当時のもの。筆者の過去記事に補足しました。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

小林恭子の最近の記事