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仏紙襲撃事件に重なるユダヤ人迫害の歴史 ―パリ政治学院教授に聞く(上)

小林恭子ジャーナリスト
パリ政治学院教授イペルボワン氏のツイッターサイト

21日、アムステルダムからパリ行きの電車の中で、発砲事件が発生した(パリ行き国際特急内で銃撃 仏内相がテロの見方) 。容疑者はイスラム過激思想を持つ、モロッコ国籍の20代の男性だ。フランス当局はテロ事件として捜査を開始している。

もしイスラム教を何らかの理由で口実にしたテロということになれば、フランスに住むイスラム教徒(その大部分がアラブ系市民)にとって、今年1月のテロ事件以来、またも生きにくい状況が生じてしまうのだろうか。

シャルリ・エブドでの銃殺事件をイラストにした仏子供新聞の表紙
シャルリ・エブドでの銃殺事件をイラストにした仏子供新聞の表紙

フランスは1月上旬、大きなテロ事件で揺れた。仏風刺週刊紙「シャルリ・エブド」の編集会議の最中に、覆面姿の武装した男性たち(後にアルジェリア系フランス人と判明)が「アラー、アクバル」(「(イスラム教の)神は偉大なり」)と叫んで押し入り、編集長、風刺画家などを殺害したのである。引き継いで発生した別の実行犯による銃殺事件を含めると、合計17人が亡くなった。オランド仏大統領は一連の事件を「テロ」と断定。フランスにとって過去50年で最悪のテロ事件となった。

これをきっかけとして、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺の対象の1つとしてきたシャルリ紙の表現を巡り、どこまで自由が保障されるべきかの議論が発生した。

筆者は事件発生から1週間後、パリで数人の識者に話を聞いた。7ヵ月後の現在、あらためて、パリ政治学院教授ファブリス・イペルボワン氏の主張を紹介してみたい。同氏は、フランス国内のイスラム教徒人口の扱われ方に第2次大戦時のユダヤ人迫害の再来を見るという。

情報戦争と政治学を教えるイペルボワン教授へのインタビュー記事は当初、東洋経済オンラインの筆者記事に掲載された(1月24日付「フランス式『言論の自由」は、普遍的ではない』」)。記事はインタビューの半分ほどを要約したものである。ここでは、若干の重複も含めた拡充版を記録してみたい。また、同サイトには、複数の書き手によるさまざまな識者のインタビューや論考が寄せられている。(「パリ連続テロとイスラム、そして日本」)。ご関心のある方はごらんいただきたい。

パリ市内の自宅で筆者に日本茶を注ぎながら、元ジャーナリストでもあった教授は「言論の自由」の意味は複数あることを話し出した。その鋭く大胆な分析ぶりをご拝読いただければ幸いである。

フランスの言論の自由の意味

イペルボワン教授:基本的な問題は、私たちがフランスで呼ぶところの言論の自由が、ほかの多くの国とは違うことだ。後者はアメリカの言論の自由の解釈を採用している。フランスには自分たちの定義がある。これはアメリカ式とは大きく違う。

―どういうことか。

フランスでは何でも言えるというが、実はいくつかの法律で制限されている。例えば、絶対に言ってはいけないのがホロコーストの否定だ。性差別、ホモフォビアも法的に禁止されている。ホロコーストが存在しなかったなどといえば、投獄され、社会から阻害される。

その一方で、フランスでは、反キリスト教、反教会であってもかまわない。神を冒涜するのは問題ない。それはこれがフランスの文化だからだ。

フランス革命が発生したとき、これは単に国王に対する反乱だっただけではなく、神様が選んだ国王への反乱だった。また、聖職者に対しての反乱でもあった。聖職者が所有していた財産は、フランス革命以降、国家が所有している。莫大な資産だ。これが共和国の最初の資産だった。非常に強く、深く歴史に根ざした、冒涜の伝統がある。

アメリカでは言いたいことは何でも言える。憲法修正第1条で保障されている。例外はかなり珍しい。しかし、冒涜はいけない、それは隣人を傷つけることになるからだ。これが共通の土台になっている。フランスは地球上で、冒涜が伝統の1つになっている唯一の国だろう。

2つのパスポートを持つ移民人口

英ガーディアン紙に掲載された、事件と実行犯を描いた風刺画
英ガーディアン紙に掲載された、事件と実行犯を描いた風刺画

話が複雑になるのは、フランスに住むイスラム教徒は元植民地の出身者と重なるので、フランスでイスラム教の神の冒涜をやるとすると、かつての植民地出身者を冒涜することにもつながる点だ。

植民地からやってきた人の子孫で、今は2-3世代目となっているが、まだ「フランス人」になっていない移民がいる。「まだフランス人ではない」と見られるのは、2つの理由があるからだ。1つには例えば自分の父がアルジェリア出身で、自分がフランス生まれなら、その人はアルジェリアの市民権を持つ。フランス人でありながらアルジェリア人でもある。2つのパスポートを持っている。

こうした人はフランスではアルジェリア人として扱われ、アルジェリアではフランス人として扱われる。自分が生まれた国=フランス=で拒絶されたと感じるので、自分はもう1つのパスポートの方に近く感じる。つまり、アルジェリアであったり、モロッコであったり、チュニジアであったりする。そこで、コミュニティーができる。フランスよりも親の出身国のほうに親近感を持つアイデンティティーができあがる。

もともといたフランス人や、何十年も前にフランスにやってきたほかの移民たち、例えばイタリア人はフランス社会に十分に融合している。20世紀の初め戦後に来たポルトガルやスペイン人もそうだ。

ところがイスラム教徒(ムスリム)たちはそうではなかった。文化的ギャップがはるかに大きい。フランスでは、この人たちが元の植民地から来た人と層が重なるが、唯一の文化的つながりがムスリムであることになる。

彼らにとってムハンマドの絵は大きな侮辱だ。英語圏の人はやらない。無礼だからだ。規制されているからやらないのではない。絵が無礼だからやらないのである。

英国でも無礼だからやらないだろう。フランスでは、これが言論の自由の核になるからやる。しかし、真の言論の自由ではない。フランス人は言葉遊びが上手だ。ある言葉を拾い上げ、人々の心の中にあるその言葉の意味合いを変えてしまう。

フランスのエリート層の頭の中では、言論の自由というのは今現在、私たちが実現しているものである。しかし、もしあなたがムスリムなら、言論の自由はない。ユダヤ人について言うことは許されない。もしあなたが白人のエリートなら、ムスリムについて汚いことが言える。それはムスリムたちの神の冒涜ができるからだ。これが最もムスリムを傷つける行為であることに多くの人はこ気づいていない。

フランス式の言論の自由はフランスにのみ通用する。私に言わせれば、言論の自由なんて、まったく呼べないしろものだ。

フランスの多くの人がゲイやアラブ人が嫌いだ。アラブ人は黒人が嫌いだし、黒人はゲイが嫌いだ。みんながみんなを嫌っている。危機の時には一団としてまとまるけれども。

ゲイ、アラブ、黒人が嫌いだったら、そう発言できる。しかし、ユダヤ人をちょっとでも非難することはできない。もしそうしたら反ユダヤ主義と見なされて、何も言えない。もしあなたが人種差別主義者だったら言論の自由はない。

―フランスのムスリム人口はどれぐらいか。

誰も正確には知らない。宗教別の統計を取るのは違法だからだ。問題は解決しないのだが、法律で見えないようにしてある。私自身は10%だと推測している。

フランス社会は変わるか?

英インディペンデント紙に掲載された、事件をモチーフにした風刺画
英インディペンデント紙に掲載された、事件をモチーフにした風刺画

―今回のテロ事件をきっかけに、フランス社会は変わっていくだろうか?

変わらないだろう。白人市民の多くが「私はシャルリを支持する」と声を上げた。しかしムスリムの大部分はそう言っていない。風刺画がムハンマドを侮辱していると受け取るからだ。つまり社会の10%近くが「私はシャルリ」の全体に入っていない。

移民阻止を唱える極右の政党「国民戦線」は、1月11日の行進に参加しなかった。国民の25%がマリーヌ・ルペン国民戦線党首を支持しているといわれている。全体で35%が「私はシャルリ」の行進に加わっていない。政治家は今回の事件でフランスに一体感が出たと主張しているが、長くは続かないと思う。

共和国の伝統・歴史に根差した言論の自由の権利をフランスのエスタブリッシュメントは絶対に手放さないだろう。それが実は「二重基準」であったとしても、たとえ少数派のムスリムたちが表現によって傷付いていたとしても、フランス人であれば、共和国の理念に倣うべきという信念は変わらない。もし揺らげば、共和国の概念そのものが崩壊してしまうからだ。

―しかし、風刺画がムスリムたちを傷つけていたということが分かり、過半数の人は態度を変えるのではないか?

変えないだろう。これからはアラブ人と戦うことになる。フランスの規範に沿わない、変わらないアラブ人たちを「テロリスト」としてレッテルを貼る。どちらかを選ばせるようにする。服従せよ、と。アラブ人にとっては屈辱的な話だが。服従しなければ、テロリストと見なすぞ、と。こうした人たちは反抗する方に向くのでーー「アラブの春」のようにーー郊外で反乱が起きるだろう。多分、白人人口とアラブ人口との間の関係は醜いものになる。

公式には、アラブ人がムスリムと言っているわけではないが、実際にはムスリムであってアラブ人ではない人はほとんどいない。そしてアラブ人はいずれも元のフランスの植民地国出身者か何らかの形で関係してる。

「テロリスト」というレッテル

―白人のエリートたちが見下ろしているという意味か?言葉でなんと言ってもいいと?

そうだ。先日、全国放送のラジオの朝の番組で、有名なメディア経営者が「直面しよう。フランスで、問題はムスリムだ」と言った。「すべてのムスリムがテロリストではないが、すべてのテロリストはムスリムだ」とも。

彼がもし、「ユダヤ人が問題だ」などといったら投獄される。すぐに問題になる。だから誰も言わない。ラジオでは言わない。

ムスリムにはテロリストというレッテルがつけられる。これは、フランスが第2次大戦にユダヤ人にしたことをほうふつとさせる。今回は、「隣人がテロリストだ」と言って、アラブ人をある地域に押し込めることになるだろう。すでにゲットー化が起きているし、これからもますますそうなる。

発言で拘束されたコメディアン

―事件の後で、世界中にフランス国民への同情が起きた。

誤解によるものだ。国民が集まったのは、「報道の自由を守ろう」と言いたかったからだ。ただ、何を意味しているかを本当には分かっていない。文化的なギャップがあることを認識していない。

フランスの言論の自由には「二重基準」の側面がある。具体例がコメディアンのデュドネだ。過去に反ユダヤ主義を扇動した罪で有罪判決を受けている。

─約370万人が参加した報道の自由の擁護のための行進(1月11日)で、デュドネは行進から帰宅し、自分のフェイスブックに「自分の気持ちとしては、シャルリ・クリバリのような気持ちだ」(この部分は後で削除された)と書いたと聞く(クリバリとは、1月8日、パリ南部のユダヤ人学校の近くで、女性警官を射殺したアメディ・クリバリ容疑者のこと。パリ東部のユダヤ系食料品店で人質とした4人のユダヤ人を殺害した)。

テロの扇動罪に問われるため、普通はこんなことを言ってはいけない。しかし、デュドネは私たちに問いかけているのではないかと思う。「自分はユダヤ人やテロ容疑者について思ったことを言いたい。シャルリには言論の自由が許されるのに、なぜ自分には許されないのか」と。デュドネは1月14日に逮捕されたが、テロを扇動した容疑で裁判にかけられる見込みだ。(3月18日、パリの裁判所は「テロリズムの擁護者」であったとして、2ヶ月の執行猶予付きの懲役2ヶ月の刑を言い渡した。)

―行進や新たな法律は、国民を安心させるために必要だったのではないか。

確かにそういう面もある。

政府は今後を懸念している。与党社会党と野党国民連合(UMP)(注:5月から「共和党」に改名。以下、共和党をカッコ内に入れた)の違いを分かる人はいない。大雑把に言えば米国の民主党と共和党だが、今のところ、人々は混乱している。2つの政党は基本的に同じIDを持っている。まるで、同じ劇を2人のコメディアンがやっているようなものだ。どちらかが崩壊するだろうと互いに思っている。

近い将来、UMP(共和党)か社会党かのいずれかとルペンが組んで政権を作るだろうが、すべての政党のスペースはなく、それぞれが生存のためにたたかっている。そこでルペンが行進に参加できないようにしてしまう。これは基本的にフランスがユダヤ人にしてきたことだ。

―移民の融合に問題があると見ているのか?

移民には問題はない。彼らは移民と言うよりフランス人だ。親かその前の世代にさかのぼらないと移民だとは分からないぐらい。私の祖父母も移民だった。

イタリア、スペイン、ポルトガルの融合はうまく行った。ロシアも。かつての植民地から来た移民は融合がうまくできていない。移民たちはイスラム教徒で、他の人はキリスト教徒だった。

―融合が行かない理由はイスラム教徒だから?

イスラム教徒であることとともに、以前の植民地出身であることだ。自分が生まれた土地に独立が達成される前にフランスにやってきた。だから、出身国とフランスとの間で、痛みがある関係を持つ。

第1世代は働くためにフランスにやってきた。妻たちもやってきた。それから50年経って、フランスの郊外にはゾーンがある。90%ムスリムだけが住む地域がある。そこから500メートル歩けば、ユダヤ人のゲットーとなる。私の隣は95%がムスリムのゲットーだ。例えばリトルイタリーとかチャイナタウンのような場所だ。世界中、どこにでもあるだろう。

しかし、もしこうした地域についてフランスの政治家に聞くと、「存在しない」という。フランスにいる人はすべてフランス市民である、と答える。違いはあっても、私たちはミックスしている、と。嘘だと思う。

「フランス=1つのコミュニティー」?

―テレビ局「フランス24」であなたと同じ討論番組に出ていた政治家は、フランスはすべてが1つのコミュニティーと言っていたが。

彼は本当にそう信じている。自分がユダヤ人の政治家なので、ユダヤ人ゲットーがあることは認識している。それでも、テレビでは別のコミュニティーが存在しないと言っている。現実を否定する政治家をどうしたらいいのだろう。解決策がなくなってしまう。

―現実に直面したら自分の見解とは異なる世界があって、混乱するからではないか。自分の存在が崩壊するからでは?

そうだろう。近い将来、ルペンがフランスの政治世界を支配する。問題は私たちがどうするかだ。

―その間、社会のマイノリティー(少数人口)が苦しむ。

そうだ。

マイノリティーと表現の自由

―マイノリティーが大切にするものを笑うことについてどう思うか。

それがフランス文化だ。フランス革命の前には国民の生活はひどかった。土地の半分は当時は貴族が所有していた。貴族は王に服従し、王は神がこの世に姿を現したものと考えられた。そのほかの土地は聖職者たちが所有していた。国民は貴族に所有されていた。

その状態から、フランス革命があり、その後2-3年、非常に血なまぐさい時代があった。貴族を殺して財産や土地を接収した・・・第2次大戦中にユダヤ人にしたように。聖職者たちの不動産すべを取り上げて国家のものにした。これがフランス革命だった。

フランスの冒涜についての考え方は政治の核となっている。言論の自由もそうだ。聖職者を阻害するのが仏政治の核だ。フランスの言論の自由はここから始まっている。

1980年代、ヘイトスピーチを禁止する法律ができた。同性愛者、女性、ユダヤ人などを守るための法律だ。ユダヤ人に関するヘイトスピーチは違法だ。アラブ人に対するヘイトスピーチを見つけるのは簡単だが、ムスリムについてはーーフランスで、この2つは同じだけれもーー問題とされない。

ホロコーストは否定できない。それは基本的にフランスがホロコーストに参加したからだ。これを認識せず、戦後になって、「私たちはドイツに侵略されていた」「私たちは何もしていない」という。

―おっしゃったことは理解するが、これほどの規模のテロの後で、フランス知識層の考えや態度は変わってくるのではないか。

変わらない。フランスはとても保守的な国だから。

まもなく、2つの声が聞こえてくるだろう。1つは、もう聞こえているが、ルペンがいうところの「ムスリムに問題がある」と。ムスリムは大きな問題である、と。これを変えないといけない、と。

今後2年で社会党やUMP(共和党)はルペンと一緒になる。2017年の大統領選挙で、今回はルペンが勝つかも知れない。もっとテロが起きて、「ムスリムに問題がある。取り除くべきだ」などの声がでて投票するようになるだろう。

―あなたは政治エスタブリッシュメントが変わらないというけれども、少しは変わるのではないかと期待していたのだけれども。

過大評価しすぎている。変わるということは、自分が過去に嘘をついていたことを認めることになる。可能ではないと思う。

―ルペンをどう評価するか。人種差別主義者?保守主義者?

両方だ。最初は人種差別的だった。長い間そうだった。変わってきていると思う。

過去10年間、メディア出演を禁止されていた。ここ2年間は出ているが、その前、ルペンがトップに選ばれる以前は、国民戦線はまったくテレビに出なかった。

ソーシャルメディアが出てきたとき、国民戦線の人は、ああ、ここに言論の自由がある、と思った。ついに私たちは言いたいことが言えるぞ、と。直接国民に語りかけよう、と。結果として、彼らはソーシャルメディア使いをマスターした。同時に、ほかの伝統的政党はテレビに出ていたので、ソーシャルメディアは必要ではなかった。テレビに出ていて、言論が制約を受けていなかったからだ。

―ネットで言論の自由の意味合いが変わってきている。

確かにそうだ。米国憲法の言論の自由の思想がネットのコードの中に入っている。コンピューターが互いにネット上でつながる仕組み(プロトコル)は、修正第1条の考えに乗っ取っている。

―フランスで描いた風刺画が、ネットを通して、世界中のさまざまな価値を持つさまざまな国に届く。

ネットでは言論の自由を規制する道がないー実際問題として。もっと(アクセスや流布を)難しくできるだろうが、規制はできない。それでも、当局は規制しようとするだろう。何人かを刑務所に入れ、願わくば他の人にメッセージを送りたいと思っている。

国民の間で、私のフェイスブックの友達はテロリストだ、だから国家に通報する、という競争が起きるかもしれない。

アーカイブがあらわにする過去

皮肉なのは、パリ警察のアーカイブファイルがもうすぐ公開されることだ。1940-45年のファイルだ。今年、75年にわたる公文書機密保持の期間が過ぎるからだ。(注:1942年7月16日~17日に行われた最大のユダヤ人大量検挙事件「ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件」のファイルは2012年に特別展示で公開された。)

このアーカイブには20万に上る書簡がある。フランス国民がユダヤ人の隣人がいることを警察に通報し、国民がユダヤ人のアパートに住んだり、お金や絵画を所有した実態をあらわにするものだ。

第2次大戦中、フランスのほとんどのユダヤ人家庭に発生した出来事だ。特にパリでそうだった。市民が隣人のユダヤ人の存在を警察に通報する。ユダヤ人は逮捕され、死の収容所に送られた。ユダヤ人がいなくなって、空になったアパートに、通報した市民などが住んだ。もしその人が死の収容所から戻ってこなかったらーーそういうケースがほとんどだったがーーアパートはその人のものになった。現在パリでアパートを所有する人、あるいは祖父母から譲り受けた人たちは、アーカイブの中に自分の名前を見つけるかもしれない。

メディアは「ない」?

―たぶん、メディアが75年前に発生したことと現在を結びつけ、過去の二の舞にならないように何らかの注意を喚起するのではないか。

それはないだろう。私たちにメディアはないからだ。「フランスにはメディアがない」。

―そこまで言い切ってよいのか?こういう点を指摘するメディアがない、ということか?

フランスには2つのメディアがある、といえると思う。風刺週刊誌「カナール・アンシェネ」とネット・サイトの「メディアパート」。本当のメディアはこれだけだ。そのほかのすべてはフランス政府が財源を出す。だから、フランス国家と違うことを言わない。だから、私はあえて、「フランスにはメディアはない」と言いたい。

国境なき記者団による、報道の自由度ランキングでフランスは39位だ。これはほめられた数字ではない。民主主義だと大きな声でいっても、決してよいスコアではない。報道の自由と言う面では惨めに低い。だから、パリ警察のアーカイブを見て、何があったかを報道しようとするメディアはないと思う。(続く)

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イペルボワン氏とは別の見方をする、フランスの上院議員のインタビュー(東洋経済オンライン掲載)も、よろしかったらあわせてご拝読ください。フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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