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ベルギーの聖戦ネットワークとは

小林恭子ジャーナリスト
対テロの警備体制が続くブリュッセル(写真:ロイター/アフロ)

(新聞通信調査会発行の「メディア展望」昨年12月号掲載の筆者記事に補足しました。)

2015年11月13日に発生した、130人もの死者を出したパリ・テロはフランスのみならず欧州中を震撼させた。

パリ・テロから1周年となった昨年11月、テロの舞台となった場所を訪ねた。その後で実行犯らと関係が深いベルギーに向かい、2016年3月のブリュッセル・テロの影響を追い続ける二人のジャーナリストに取材した。

ブリュッセル・テロでは、ブリュッセル空港とマールベーク駅で連続爆破テロが発生。犯人3人を含む35人が亡くなっている。

パリ・テロの実行犯の数人が在ベルギーのフランス人あるいはベルギーの移民家庭で育った若者たちで、両方のテロに関与した実行犯・容疑者もいた。パリとブリュッセルはつながっていた。

取材をした二人のジャーナリストのうちの一人が、ベルギーのオランダ語新聞で働くギー・ファン=フラーデン氏だ。

イタリアのシンクタンク「ISPI」が2016年7月、リポート「ジハディストの温床 ―地域の過激化過程を理解する(Jihadist Hotbeds. Understanding Local Radicalization Processes)」を出版したが、この中に同氏がベルギーのジハード・ネットワークについて寄稿している。

外国人戦士に注目したリポート

同氏の分析を紹介する前に、リポート自体について説明しておきたい。

リポートが注目したのは、外国からやってきて内戦に参加する「外国人戦士」だ。こうした戦士は以前から存在していたが、リポートによればイラク戦争(2003年)後の混乱やシリアの内戦(2011年ー)の拡大に伴い、イラクとシリアで勢力を拡大させるISやアルカイダ系の「ナスラ戦線」が戦士の動員に大きな力を発揮しているという。

例えば、1981年から2011年の間にイスラム教が主要な宗教となっている国で発生した戦争に駆り出された外国人戦士は1万人から3万人に上る。

しかし、米情報機関によると過去5年間でシリアの内戦に参加するためにシリアやイラクにやってきた外国人戦士は3万人となった。100か国を超える国から参加しており、その大部分がISの一員として戦闘行為を行っているという。2016年3月の最新情報によると、ISに参加するために両国に渡った戦士の数は3万8000人である。

これまでのアカデミックな研究によると、青年たちが戦闘さえも辞さないほどの過激主義に染まる理由を一般化することは難しいという。過激主義に心酔した青年たちが多い地域に注目しても、同じような状況にいたほかの青年たちは過激主義には走らなかったという場合があるからだ。

それでも、これほど大規模なジハディストの流入が世界的規模で続く中、青年たちがどのような状況下でいかに過激主義に染まっていくのかを明らかにすることは重要となる。

過激化の理由は各地域によって異なるため、リポートは世界の諸地域の状況についての各分析を並列掲載する形をとる。2部構成になっており、前半は西欧諸国(米国、ベルギー、英国、バルカン半島)の具体例、後半は中東(リビア、チュニジア、シナイ半島)及びコーカサス地域の例を取り上げている。

ベルギーのジハド戦士は欧州連合内で最多

ベルギー(人口約1100万人)のジハド戦士の数については様々な推定があるが、ファン=フラーデン氏によると2016年4月時点でシリアやイラクで戦うためにベルギーを離れた戦士の数は589人。その75%がISに参加したという。人口100万人あたりでは52・02人に相当する。欧州連合内はでベルギーが最も多い。2番目は英国(人口約6000万人)で31・12人だった。ベルギーからの戦士の大部分はブリュッセルか、第2の都市アントワープ出身だ。

この2つの都市が抜き出ているのは強いリクルートメント・ネットワークの存在があるからだ。

アントワープでは2010年に発足した「Sharia4Belgium」(シャリア・フォー・ベルジウム、「ベルギーにシャリア法を」の意味)の力が大きいという。

Sharia4Belgiumは、当初はムスリムに転向させるための説教を行ったり、ムスリム市民の権利を守る活動に従事していた。こうした活動を大っぴらに行っていたことから、当局も含め多くの人が過激主義の危険な組織とは思っていなかった。ムスリムの若者たちもSharia4Belgiumに参加しやすかったという。

しかし、2012年、ベルギー当局がSharia4Belgiumの指導者を逮捕した時点では、すでに数百人規模のフォロワーが過激化していた。

指導者の逮捕で国内で活動を続けることが困難となり、シリアに戦士を送ることが選択肢の1つとなった。2015年、政府はSharia4Belgiumをテロ組織として公式に分類した。

ブリュッセルでは元アルカイダのテロ訓練キャンプにいたモロッコ人カリド・ザルカニがスポーツ活動などを通じて支持者を集め、シリアに戦士を送るようになっていった。この中の少なくとも3人がパリやブリュッセルのテロの実行犯となった。支持者たちは犯罪行為を通じてジハドのための資金を集めることを奨励されていた。

このように犯罪行為とジハドが結びついているのが、パリ・テロの実行犯らが複数住んでいたモレンベーク地域のネットワークの特徴だという。

ジハド戦士たちの社会的背景に注目すると、モロッコ系移民の家庭に育ったこと、貧困であることなどの特徴があるという。

しかし、どちらの要素が過激化により貢献していたのかは判別しにくい。裕福な家庭で育った青年たちもいるからだ。

ファン=フラーデン氏はこの2つの要素以上に大きいのが「拒絶あるいは排除」ではないかという。これは元々のベルギー人ではないこと、ムスリムであること、あるいはその両方であることから生じる感覚だ。先のSharia4Belgiumの創始者もイスラムフォビアの苦しい経験を吐露している。

移民家庭の出身であること、ムスリムであることで社会から拒絶されたという感覚が生まれた要因として、ファン=フラーデン氏は反移民、反ムスリムの右派勢力の存在があったのではないかと推測する。

北部の反移民・難民感情の高まり

ベルギーの行政区域は北部のフランデレン地域(オランダ語圏)、南部のワロン地域(フランス語圏)、ブリュッセル首都圏(フランス語、オランダ語)の3地域に分かれるが、1991年の国政選挙で躍進を遂げたのがフレンデレン地域の極右民族主義政党「フラームス・ブロック」だ。イスラム教徒の移民制限やフランデレン地域のベルギーからの独立を訴えた。2004年、関連団体が人種差別的とする裁判所の判決の後で、党名を「フラームス・ベランフ」に変更している。近年は議席数を減らしているものの、欧州難民問題の解決の糸口が見えにくい中、ベルギー国内では反移民・難民感情がより強くなっていると言われる。

ファン=フラーデン氏
ファン=フラーデン氏

筆者はファン=フラーデン氏に会うために、パリからブリュッセルに向かった。ムスリム家庭に育つ若者たちがジハド戦士にならないようするためにどうするべきかを聞いてみたかった。

「答えが分かっていたら、首相になっているよ!」と最初は笑われたが、中長期な施策としては「移民家庭出身でも、ムスリムでもベルギー社会を構成する仲間なのだ、という意識が共有されるようになるべき」と答えてくれた。

ISは「社会を分断させることを目的としている。欧州でこれほどムスリムが差別されているということを示したい。テロ行為によって社会を分断しようとするISの手口に乗ってはいけない」。

パリ・テロやブリュッセル・テロは多くの人に大きな衝撃を与えたが、現地の複数のジャーナリストに聞くと「あれほどの規模は予測していなかったが、いつかは起きるのではと思っていた」という感想が返ってきた。

ポンスィ氏
ポンスィ氏

ジャーナリストと一般市民の感覚は違うのかもしれないが、「繁華街で食事をするなど、今までの行動を変えるつもりはない」(ベルギーのフランス語新聞「ル・ソワール」の政治記者ルディビナ・ポンスィ氏)。ただ、「電車の中でムスリムの市民の姿を見かけると、つい視線が行ってしまう。相手も私が見ていると分かるので気まずい思いをするが、ついそうしてしまう」という。

ムスリムの市民に対する懐疑の目があるとしたら、テロの影響は大きいと筆者は思わざるを得なかった。「ともに社会を構成する仲間」と考えられるよう、大きな働きかけが必要とされている。

参考:ISPIのリポート

二人のジャーナリストへの詳しいインタビュー内容は、以下の東洋経済オンラインの記事をご覧ください。

ベルギーが「過激派の巣窟」になった根本原因

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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