セウォル号沈没事故から1年 遺族の怒りと「子どもが消えた街」
韓国の光州(クヮンジュ)高裁は28日、304人の死者・行方不明者を出した旅客船セウォル号沈没事故で、乗客を救助せずに船を脱出した船長イ・ジュンソク被告(69)に対して殺人罪を認定し、無期懲役を言い渡した。1審では殺人罪を認めず、遺棄致死傷罪で36年の懲役としていたのに比べ格段に重くなったと言える。
光州高裁の判断に様々な根拠はあれど、今回の判決に、韓国社会の雰囲気が反映したことは否めないだろう。
約1年前に発生したセウォル号の沈没事故をめぐり、朴槿恵政権と遺族らの対立はいっそう激化している。
韓国の朴槿恵大統領は、事故から丸1年となった16日、事故後の救助や遺体収容作業の基地となっていた全羅南道珍島郡のペンモク港を訪れた。大統領の現地訪問は事故直後の昨年5月4日に訪れて以来、約11ヶ月ぶりだ。しかし、事故の遺族や行方不明者の家族は現地にある焚香所(祭壇)を一時的に閉鎖して現場を後にした。朴大統領との対話を、事実上拒否した形だ。
一方、首都ソウルでは警察と遺族を支持するデモ隊との衝突も発生し、都心部は一時、騒然とした空気に包まれた。
もっとも、地域によってはこうした騒ぎの起きていないケースもある。多くの韓国国民は、それぞれの形で事故を悲しみ、悼んでいると言って良いだろう。
しかし、ソウルで起きたような騒乱が必ずしも遺族らの意図するものでないとしても、彼らの怒りが、韓国社会に大きな問いを発しているのは事実だ。
同事故をめぐっては昨年11月、韓国国会で真相究明に向けた特別法が成立している。しかしその後、朴槿恵政権が打ち出した特別法の施行令の案は、特別委事務局の人員を減らす、最重要ポストに政府高官を当てるなどの内容からなっており、「特別委を無力化するもの」だとして遺族のさらなる怒りを買った。
その怒りの根源について、ジャーナリストの李策氏は、「セウォル号に修学旅行のために乗り込み、260人以上の生徒・教師らが犠牲となった檀園高校の地元を訪れなければわからないだろう」と話す。一般的な航空機事故や船舶事故の犠牲者らは、たまたま乗り合わせた他人同士であることが多い。しかし街そのものが犠牲を出したセウォル号の場合、安山の人々の脳裏には事故の記憶が強く残り続けることになるからだ。
他方、韓国の保守派の一部には、彼らの怒りを理解しないどころか、神経を逆なでする行為を敢えて働く人々がいる。
唖然とさせられたのは、特別法制定を求めてハンガーストライキを行う遺族代表の目前で、数十人がフライドチキンやピザを貪り食った右翼系グループのパフォーマンスである。
セウォル号事故をきっけかけに表れた韓国社会に根深く存在する葛藤を浮き彫りにした。しかしそれだけに、真相究明を求める遺族らの取組みは、この国の病根をえぐり出す上で無視できないものと言えるだろう。