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金正恩氏があわてふためく「スパムメール」の中身

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

ついに北朝鮮国内の携帯電話にもスパムメッセージが飛び交う時代となった。それも広告の類いではなく、朝鮮労働党の幹部を批判する政治的なメッセージだというから驚きだ。北朝鮮当局は当然のことながら大騒ぎとなっている。

北朝鮮国内のデイリーNKの取材協力者がごく最近入手した情報によれば、スパムメッセージが確認されたのは北朝鮮北部の国境都市。取材協力者の安全を守るため、取材経路も含めこれ以上の周辺情報は明かせない点をご容赦願いたい。事件は今まさに進行中であるため、続報を取材するためにも慎重を期す必要がある。

女子大生が酷い目に

現在分かっている範囲では、スパムメッセージは電話機にSMS(ショートメッセージ)形式で届いた。日付けはすべて同一(8月20日前後)だが、受信時間はまちまちだとのことだ。受け取った一人が国家安全保衛部(防諜、思想統制を担う秘密警察)に通報したことで、事件が明るみにでた。

事態を重く見た保衛部が「不穏なメッセージを受け取った者は自主申告せよ」と公示したところ、10余名が申告したのだ。保衛部当局は申告者の携帯電話を申告したその場で没収し、3日にわたって持ち主に返さずにいる。

メッセージの内容は「党のイルクン(職員)は何をしている!」、「イルクンは賄賂をもらってばかり!」、「無実の者は捕まえるな!」など、いずれも労働党による施政を批判するものであったと取材協力者は明かす。

北朝鮮の携帯電話システムでは、SMSを送る際に、送り主の電話番号を自由に変更できるため、理論的にはスパムメールを簡単に送ることができる(なお、韓国も2000年代は同様のシステムであった)。

北朝鮮当局は、外部からの情報流入をことのほか嫌ってきた。一部の例外を除き、外国の現代エンタテイメントを楽しむことさえも処罰の対象になる。最近にも、外国のドラマや映画を見ただけの女子高生や女子大生が、当局により信じられないようなひどい目に遭わされている。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…

(参考記事:北朝鮮が女子高生を「見せしめ」公開裁判にかけた理由

そんな状況を考えると、体制批判のスパムメールが北朝鮮当局にとってどれほどの重大事か容易に想像できる。

300万の「時限爆弾」

気になる発信者の正体は、30日までの時点では明らかになっていない。現地では「内容が似ていることから、送り間違いではないか」との声も聞かれるというが、「党を批判する内容のメッセージが不特定多数に送られたことから、単純な『送り間違い』とするには無理がある」と取材協力者は分析する。

通常、韓国政府や民間団体が北に向けて飛ばすビラの場合はどうだろうか。ビラには金正恩体制を露骨に批判する内容が書かれていることがほとんどのため、保衛部や保安署(警察)が一帯を封鎖し、軍や赤衛隊(民兵組織)が回収に当たるなど、当局は慎重にことを進める。

今回、保衛部が内容を公開し、住民の自主申告を迫った背景には、メッセージが金正恩氏をはじめとする金氏一族を直接的に批判するものではなかった事情があると見られる。だが、住民に知らせることで、スパムメッセージという「新たなビラ」の存在を周知させることになる事実も否めない。「被害範囲」をただちに知ることが難しいためとはいえ、当局が対応に四苦八苦している様子が垣間見える。

2008年にサービスが開始された北朝鮮国内の携帯電話の利用者は、すでに300万人を超えている。インターネット接続が一般住民には許可されていないとはいえ、この新たなツールが体制を揺るがす爆弾になり得ることは、ここ数年、北アフリカや中東で起きた民主化運動の例からも、北朝鮮当局は熟知しているはずだ。

現在、この国境都市以外での場所では、スパムメッセージの存在は確認されていない。新たなステージの幕が上がったと見るべきなのか、はたまた単なる偶然の産物なのか。デイリーNKでは事件の推移を追っていきたい。

(参考記事:アニメを見ただけで「銃殺」も…北朝鮮が統制を強化

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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