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処刑でもとめられない「若者の金正恩離れ」

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

韓国統一省は8月31日、北朝鮮の金勇進(キム・ヨンジン)教育省副首相が、7月に銃殺によって処刑されたと明らかにした。

処刑の詳細は現時点で明らかではない。しかし、統一省が発表する2日前の29日、韓国の中央日報は、教育相と農業相が、北朝鮮軍幹部や芸術関係者が、公開処刑されたとされる平壌郊外の姜健(カンゴン)総合軍官学校で、「高射砲で公開処刑された」と報じていた。

(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…

金勇進氏が処刑された理由は「座る姿勢が悪い」。自身が担当する教育政策に関する失策で問責されるならともかく、座る姿勢で処刑されたとするなら、あまりにも理不尽で当の本人も浮かばれないだろう。

教育省副首相の処刑の件は別として、若者たちへの思想教育が浸透していないことから、金正恩氏が激怒していると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は報じた。

正恩氏のセンスは「人間の価値を下げる」

北朝鮮のイマドキの若者たちは「市場(ジャンマダン)世代」と呼ばれる。この世代は、幼少期に1990年代中盤からはじまった「苦難の行軍」と言われる大飢饉を体験したことから、それまでの古い世代とは、まったく異なる価値観を持つようになった。

彼らは、国から押し付けられる思想学習には全くと言っていいほど興味を持たず、国や金正恩党委員長への忠誠心も希薄。ビジネス、音楽など自分の生活を豊かにすることにだけ興味がある世代だ。挙げ句の果てには、金正恩氏のセンスを「ダサい。人間の価値が下がる」などと、無慈悲にこき下ろす。

(参考記事:金正恩センスの制服「ダサ過ぎ、人間の価値下げる」と北朝鮮の高校生

この状況に対して激怒した金正恩氏は、次のように指示を出した。

「青年たちを党の思想で徹底的に武装させよ」

「青年たちが先頭に立ち、政治思想学習の大旋風を起こさなければならない」

両江道(リャンガンド)の情報筋によると、正恩氏の指示に従って、青年同盟中央委員会は7月20日、北朝鮮の最高学府「金日成総合大学」など北朝鮮屈指の大学の学生のうち、青年同盟員を対象にして大々的な検閲(監査)、それも抜き打ちテストを行ったところ驚くべき結果が出た。

女子大生が拷問に耐えきれず

8割以上の学生が金正恩氏の「新年の辞」のタイトルすら知らなかった。平壌のエリートですらこの有様なのだから、地方の大学の状況は推して知るべしだ。これに対して、青年同盟中央委員会は、政治学習の強化に力を入れる。

慈江道(チャガンド)の情報筋によると、8月初めから青年同盟の各組織別に新年の辞と昨年の朝鮮労働党創建70周年の労作(金正恩氏の著書)、朝鮮労働党第7回大会開幕演説、事業総和報告などを学ぶ学習会が改めて行われているという。

青年同盟中央委員会は、大会参加者を各道庁所在地に呼び集め、新年の辞と事業総括報告の集中学習会を受けさせた。あまりのハードスケジュールに体重が3~4キロも落ちたなどと不満が続出するほどだった。

先月27日から28日にかけて、「青年同盟第9回大会」が23年ぶりに開かれた。これも若者たちに対しての統制強化が目的だったのかもしれない。

しかし、このような学習会を行っても「若者の政治意識や思想は変わることはない」と各情報筋は口を揃えて言う。

90年代後半の大飢饉「苦難の行軍」で配給システムが崩壊した中で子ども時代を過ごしたジャンマダン世代は、国や指導者は何の役にも立たず、むしろ自分たちのやりたいことの邪魔をする「目の上のたんこぶ」程度に考えていると言われている。

また、外国映画や韓流ドラマを通じて、北朝鮮の外の世界を知っている。若者たちは、決して視聴してはならない韓流ドラマをこっそり見ながら、韓国社会にあこがれを持つ。韓流ドラマのファイルを所有していると、最悪の場合、命を落とす危険があるにもかかわらずだ。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…

金正恩氏が、いくら処刑で体制を引き締め、23年ぶりの大会で若者たちに忠誠心を持たせようとしても無駄だろう。それは、増加する脱北者、そしてテ・ヨンホ駐英公使に代表されるエリート層の相次ぐ亡命が物語っている。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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