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「あんた達のせいで皆死んだ」金正恩体制に向けられた庶民の怒り

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

2016年の北朝鮮を振り返る(6)

北朝鮮で36年ぶりに朝鮮労働党第7回大会が開かれた5月、同国内で衝撃的な事件が起きた。党大会の初日に当たる同月6日の夜、ある地方の「人民委員会(日本の役所に相当)」に対する放火事件が発生したのだ。首都・平壌に世界中から100人を超す記者を呼び寄せ、当局が盤石の統治をアピールしようとしていたさ中のことだけに「現地では大騒ぎに発展した」と、北朝鮮の内部情報筋が伝えてきた。

火元は1階で、その真上には人民委員長の執務室が位置しているとのこと。直ちに住民が動員され、40分にわたる消火活動の末に火は消し止められた。動員された住民は「火災現場からオートバイ用のガソリンタンク2つが見つかった」と情報筋に明かした。

北朝鮮でも、こうした事件がときどき発生する。

昨年10月初め、北朝鮮の葛麻(カルマ)飛行場で、金正恩氏の視察前日に大量の爆薬が見つかったと米政府系のラジオ・フリー・アジアが報じている。また、2004年春に起きた龍川駅爆発事故も謎の多い出来事だった。中国を訪問した金正日氏が特別列車で帰る帰路上で、謎の大爆発が起きたのだ。この出来事はいまもって、「暗殺計画」の可能性をはらむミステリーとして語られている。

(参考記事:なぜ最高指導者の近くに大量の爆発物が…北朝鮮「暗殺未遂説」のミステリー

正恩氏も「危険」察知か

それでも、一般庶民が公然と権力を批判する例はほとんど見られない。そんなことをすれば、公開処刑となるか政治犯収容所に送られるのは避けられないだろう。

また、1990年代後半の「苦難の行軍」と呼ばれた大飢饉の時代には、当局を批判した労働者たちを、軍隊の戦車が次々にひき殺すという事件もあった。

(参考記事:謎に包まれた北朝鮮「公開処刑」の実態…元執行人が証言「死刑囚は鬼の形相で息絶えた」

このような前例があるだけに、北朝鮮国民は、権力批判は「自殺行為」であると知っている。しかし今年、衆目の中で当局批判を行った女性が、殺されもせず収容所送りにもならなかった出来事があった。

デイリーNKの取材協力者S氏によると、「事件」は9月20日、大規模な水害の被災地である咸鏡北道(ハムギョンブクト)の会寧(フェリョン)市で起きた。

水害で夫と娘を失った女性が、職場に出勤しないことをとがめた朝鮮労働党の宣伝扇動部幹部に向かって「あんた達は何もしてくれなかったのに、出勤しろだって?毎朝うるさく朝の動員に出てこいと触れ回っていた放送車が、水害が起きることを知らせでもしたのかい?そのせいでみんな無駄死にしたんだよ!」と激しく抗議したのだ。

女性は続けて「雨があれだけ降って、堤防が崩れたにも関わらず、誰か知らせてくれたのかい?みんな家の中にじっとしていて死んだのよ!それともあんた達は『高い所』に住んでるから、私たちみたいな下々の人間がどうなったって関心も無いんだろう?」とまくしたてたという(実際に幹部たちは住宅密集地ではなく、丘の上などに暮らす場合が多い)。

その後、抗議を行った女性は精神錯乱と診断され、地元の病院に入院しているという。公的な場所で労働党の施策をあからさまに批判する行為は、本来ならば罪に問われるところだ。当局は、前例どおりに女性を処分できなかったことで、半ば自らの非を認めたも同然と言えるだろう。

この事件の際、女性が金正恩党委員長を名指しで批判したという情報はない。さすがにそれをやってしまうと、殺されずには済まなかったはずだ。しかし言葉には出ずとも、北朝鮮当局の権威に対する批判は、結局は正恩氏に向かう。そして、そのような無言の批判は、冒頭の放火テロのような「無言の反抗」に化ける可能性をはらむ。

もしかしたら、そのことにいちばん敏感になっているのは、当の正恩氏かもしれない。韓国の国家情報院(国情院)は10月、国会情報委員会の国政監査で次のように説明している。

「金正恩党委員長は、身辺に危険が及ぶのではないかという不安感から、行事の日程や場所を急に変更したり、爆発物、毒物探知装置を海外から取り寄せて警護を大幅に強化したりしている」

(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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