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オバマ大統領の欧州歴訪:東欧諸国の脅威は「ロシアとロシアとロシア」

小泉悠安全保障アナリスト

ベルリンの東

ロシアの代表的な国際政治学者として知られるドミトリー・トレーニンは、NATO(北大西洋条約機構)の今日的意義について、次のように述べている。

「ベルリンより西側では、今日のNATOの関心事はアフガニスタンになっている。だが、その東側では、NATOとは依然として対ロシア同盟である」

(ドミトリー・トレーニン著、河東哲夫・湯浅剛・小泉悠訳『ロシア新戦略』作品社、2012年)

この言葉に端的に要約されているように、冷戦後にNATO入りした旧社会主義国や、NATO入りを希望している旧ソ連諸国は、依然として自国の安全保障政策に関してロシアを強く意識している。ロシア軍が直接侵攻してくることはないにせよ、その「影響圏」に組み入れられることは充分にあり得る。それを避けるために早くNATOという「安全圏」に入っておきたいのだ。あるいはブッシュ政権当時、ポーランドやチェコのようなNATO加盟国が米国のMD(ミサイル防衛システム)を積極的に受け入れようとしたのも、実際に自国領に米国の軍事力を(たとえば小規模であっても)展開させておきたいという思惑によるものであった。

しかも、今回のウクライナ危機は、ロシアによる軍事的侵攻さえも想定から完全に排除するわけにはいかないことを教えている。ロシアと直接に国境を接する国々にとっては特にそうだ。

もちろん日本もロシアの隣国であり、冷戦期には極東ソ連軍の脅威に直面していた。しかし、ロシアと陸続きで、実際に自国で戦火を交えたり併合されたことのある国々の切迫感は、もう一段差し迫ったものがある。

たとえば2007年9月、訪米したフィンランドのハカミエス国防相は、次のように述べている。

「今日のフィンランドにとって、安全保障上の脅威は3つある。ロシアとロシアとロシアだ。そしてこれはフィンランドだけでなく、我々全てにとってだ」

これは今まさに、東欧や旧ソ連諸国が抱きつつある脅威認識でもあると言えよう。

オバマ大統領のワルシャワ演説

こうした中で、米国のオバマ政権は、欧州諸国に対する安全の「再保障(reassurance)」を行おうとしている。

6月3日、欧州3カ国歴訪の最初の訪問地であるポーランドのワルシャワで、オバマ大統領は、欧州における米軍のプレゼンスを強化するために10億ドルの追加支出を認めるよう、議会に要求したことを明らかにした。具体的には、黒海及びバルト海における米海軍艦船や陸空軍のローテーション配備、訓練を強化するほか、ロシアと国境を接する非NATO加盟国(ウクライナ、グルジア、モルドヴァ)の軍事力強化の支援がその眼目とされている。NATOのフォグ・ラスムセン事務総長もこの演説を歓迎する意向を示した。

もっとも、オバマ大統領が表明したのはあくまで「ローテーション配備」であり、東欧やバルト諸国における恒久的な米軍配備の強化ではない点には注意する必要があろう。1997年のロシア=NATO基本文書では、ロシアとNATOが互いを「敵」と見なさず、東欧諸国に大部隊を常駐させないことを取り決めている。東欧のNATO加盟に際し、「加盟すれども常駐せず」の原則を打ち出したわけで、今回の演説はあくまでもこの範囲で「再保障」を図ったものと言えよう。

また、バルト諸国は2004年にNATO加盟を果たしたものの、欧州における通常戦力配備を制限するCFE(欧州通常戦力)条約の対象外となっていることから、同地域にNATOの大兵力が配備される可能性についてロシアは懸念を示してきた。このため、現在のところ、同地域にはローテーションという形でNATO諸国の戦闘爆撃機が3ヶ月ずつ持ち回りで配備されている程度である。

「長期的対応」を模索する欧州諸国

問題は、これで安全が「再保障」されたと欧州諸国が納得するかどうかだ。

オバマ大統領のポーランド訪問と同じ6月3日、ブリュッセルで開催されたNATO国防相会合は、オバマ大統領のイニシアティブを大筋で支持することで合意したものの、ポーランドは万単位のNATO軍をポーランドに常駐させるべきと主張。9月に開催されるウェールズで開催されるNATO首脳会合でこれを認めるよう求めている。また、NATO軍最高司令官であるブリードラブ米空軍総司令官も、5月、東欧へのNATO軍常駐を認めるべきであると発言した。

だが、必ずしもNATO内で意見はまとまっていない。東欧へのNATO軍常駐には厖大なコストが必要とされる上、平時から部隊を常駐させておかなくても、緊張が高まった際に迅速に兵力を進出させる用意さえ整っていればよいという意見のほうが優勢だ。実際問題として、1997年の「基本文書」を反故にすればロシアの猛烈な反発を呼ぶことは必至で、新たな冷戦が始まってしまう可能性さえ無視できないとの現実的計算がそこには働いていると思われる。

これに対してラスムセン事務総長が提案しているのが、「NATO準備行動計画」と呼ばれるものだ。これはポーランドに設置されているポーランド、ドイツ、デンマークの合同部隊司令部を拡充・強化し、有事の際には大兵力を指揮できる能力を持たせるなどとしたものであり、9月のウェールズ首脳会合ではこちらを採択すべきというのがラスムセン事務総長の主張である。

いずれにせよ、9月がNATOのあり方についての一つのメルクマールとなりそうだ。

一方、ポーランドは今回の危機を受けて単独で軍事力の強化を進める意向も示しており、2013年から2022年までの軍事力近代化計画を修正して、AGM-158精密誘導滑空爆弾や長射程ロケット砲等を新たに導入すること決めた。

また、ウクライナは東部での掃討作戦やロシア軍の侵攻に備えて軍事力強化を進めていたが(こちらの拙稿を参照)、7日に就任予定のポロシェンコ大統領は軍事力強化のために米国の支援を求める意向を示している。さらに6月4日には、ウクライナのコヴァリ暫定国防相が、ポーランド及びリトアニアとともに合同旅団を編成することを発表した。

欧州北部で軍事力増強を進めるロシア

これに対してロシアも対抗手段を講じている。

イスカンデル-M戦術弾道ミサイル
イスカンデル-M戦術弾道ミサイル

ウクライナ危機以前から、ロシアは欧州北部におけるNATOの軍事力を意識した動きを進めていた。注目されるのは、昨年12月にロシアが「イスカンデル-M」短距離弾道ミサイルをバルト海に面した飛び地カリーニングラードに配備したことだ(詳しくはこちらの拙稿を参照)。「イスカンデル-M」は射程500kmの戦術弾道ミサイルで、核弾頭を搭載できる。2008年、メドヴェージェフ大統領が米国の東欧MD計画に対する「非対称的措置」としてカリーニングラードに配備することを示唆して波紋を広げた「いわくつき」のミサイルである。

それだけに、これまでロシアは「イスカンデル-M」を欧州部の西部軍管区に配備することはせず、南部軍管区や中央軍管区に配備して欧州を刺激しない姿勢を示していたが、昨年末になって初めて欧州部にも配備された訳である(正確にはロシアはカリーニングラードへの配備については否定も肯定もせず、「西部軍管区内」への配備のみを認めている)。

また、今年1月には、ベラルーシへのロシア空軍戦闘機部隊の常駐が開始された。これまでベラルーシには弾道ミサイル早期警戒レーダーを除いてロシアの軍事プレゼンスは存在していなかったが、リトアニアとポーランドの国境にほど近いバラノヴィチ空軍基地に初めてロシア空軍のSu-27SM3戦闘機が配備されたのである。最終的には1個戦闘機連隊(24機)を配備する計画であるという。

こうした動きはMD問題の先鋭化などに対応するものと思われていたが、当時既に始まっていたウクライナ危機も視野に入っていた可能性もある。昨年、ウクライナはNATOがバルト海で実施した「ステッドファスト・ジャズ」演習に初めて参加しており、一方、ロシアを中心とするCIS諸国の合同防空演習には参加を取りやめていた(ロシア側が不快感を示して参加を拒否した可能性もある)。ウクライナ問題と欧州北部の軍事力配備のリンケージがこの頃から始まっていたことも考えられるのだ。

さらに5月19日には、ロシアのゲラシモフ参謀総長がNATO軍事委員会委員長との電話会談において、「ロシア国境におけるNATOの軍事活動の増加を懸念している」旨の発言を行っている。

ロシアが狙うのは米欧の「デカップリング」

また、今年3月、ロシアの保守派戦略家の牙城である地政学問題アカデミー(ロシア軍の対米強硬派として知られるイワショフ書軍が創設した研究所)のシプコフ総裁は、「西側がロシアに対する侵略を目論んでいる」との論考を発表した。米国が欧州に配備しているB-61-11戦術核爆弾に精密誘導キットを装着して「精密誘導核爆弾」化する計画に反発したものである。これらの核爆弾はNATOの「核シェアリング」計画によってNATOの5カ国の戦闘爆撃機に搭載されるものであり、2015年以降、搭載のためのインテグレーション作業が始まる計画だ。前述したバルト諸国にも搭載可能な機体がローテーション配備されており、さらに最新鋭のF-35ステルス戦闘爆撃機にこれが搭載されるようになれば、ロシア本土に対する大規模侵攻の先触れになるというのがシプコフ総裁の主張だ。

もちろんこれはいかにも対米強硬派らしい過激な言説であるが、ロシアの戦略家たちもNATOの軍事力増強の行方を注視していることは読み取れよう。

さらに5月末から6月初頭、ロシア軍は「イスカンデル-M」の発射訓練を西部軍管区としては初めて実施した。演習ではこのほか、戦略爆撃機による巡航ミサイル発射訓練も実施された。ロシアはこれを「定期訓練の一環」としているが、前述した欧州の軍事力配備を巡る議論を意識したものであることは否定し得ないだろう。

特にロシアが狙っているのは、欧州と米国を「分断(デカップリング)」することであると思われる。この言葉はもともと冷戦期、ソ連の配備するINF(中距離核戦力)を巡って使われるようになった。欧州には届くが米国には届かない核兵器が使用された場合、米国は自国が攻撃を受ける懸念を排してまで本当に欧州を助けてくれるのか?という疑念が生まれた訳である(さらに言えば「再保障」という言葉もINFを巡る「デカップリング」を巡る疑念の中で持ち出されたものである)。

カリーニングラードに配備されたイスカンデル-Mの攻撃範囲(Wikipedia)
カリーニングラードに配備されたイスカンデル-Mの攻撃範囲(Wikipedia)

現在、ロシアはINF1987年の全廃条約によってこの種の核戦力を保持していないが、射程500kmの「イスカンデル-M」は同条約に抵触しない。しかも、500kmの射程があれば東欧諸国の一部は充分に射程に収められる。実際、ソ連崩壊後に深刻な通常戦力の弱体化に直面したロシアは戦術核兵器への依存を強めるとともに、欧州でだけ限定的に核を使用すれば、米国は自国への核使用を恐れて核で反撃してくることはないだろうという、「デカップリング」論を裏返したような「地域的核抑止」という概念を持ち出すようになった。

「イスカンデル-M」を欧州でちらつかせてみせる背景には、こうした考えに基づき、米国の「再保障」を揺さぶるとともに、東欧へのNATO軍常駐を牽制しようというロシアの思惑があるものと思われる。

ロシアの「長期的対応」は?

今後、注目されるのはロシア側の「長期的対応」だ。

NATOが東欧への軍事力常駐を決定する等した場合、ロシア側はさらなる軍事力配備の見直しを行ってくる可能性がある。2008年以降、ロシアは通常戦力を小規模紛争対処型へとドラスティックに転換させる軍改革を行ってきたが、NATOの出方次第ではこうした方向性が転換される可能性が高い。

実際、すでにロシアのメディアではロシア軍の大規模再編に関する議論が散見されるようになってきた。

これに対してロシアのコモエドフ下院軍事委員会議長は、6月4日、「ロシア軍の再編に関する決定はまだ何ひとつなされていない」としつつ、「ウクライナ情勢、特にNATOの意向によってはそれも必要になるかもしれない」と含みを持たせる発言を行っている。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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