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マレーシア航空機撃墜事件 誰がどうやって撃墜したのか?真相は究明できるか?

小泉悠安全保障アナリスト

7月17日にウクライナ東部上空で発生したマレーシア機撃墜事件だが、依然として真相はなかなか明らかになっていない。

また、今回の事件では防空システムによる撃墜が有力視されているが、このような軍事技術と事件の真相とが密接に結びついているため、理解が難しい部分もある。今回の件で筆者はかなりの回数、テレビ・ラジオに出演し、あるいは新聞等の取材を受けたが、「そもそも高度1万mを飛んでいる飛行機など撃墜できるのか?」など、かなり初歩的な部分から解説しなければならないケースが多かった。

そこで以下の本稿では、防空システムとはどんなものか。防空システムが民間機を撃墜してしまうことはありえるのか。誰が撃ったか特定は可能なのか・・・などの点について、なるべく分かりやすく解説してみたい。

防空システムとは

最も広く定義した場合の防空システムとは、敵の航空機やミサイルが望ましくない空域に入って来られないようにする兵器・装備全てを指す。たとえば、戦闘機、地上のレーダー基地や空中早期警戒機、管制センター、地上から発射する高射砲や地対空ミサイルなどなどである。これが国家規模での「防空システム」だ。

一方、狭い意味で、地対空ミサイルを防空システムと呼ぶこともある。正確に言えば、飛んでいくミサイルだけが存在していても仕方ないので、目標がどのあたりにいるのかを探す捜索レーダー、より精密に照準をつける射撃統制レーダー、発射などのコントロールを行う指揮所、そして実際にミサイルを発射するランチャーが存在して初めて、地対空ミサイルは目標に命中する。規模は小さいが基本的な機能は国家規模の防空システムと同じなので、これも小さな「防空システム」というわけだ。

今回、マレーシア航空MH17便を撃墜したと言われているソ連製のブーク防空システムは、後者の狭い意味での防空システム(つまりミサイルとその関連機器一式)である。

ブーク防空システム。左から指揮車、レーダー車、ランチャー
ブーク防空システム。左から指揮車、レーダー車、ランチャー

ブーク防空システムは、高速で進撃する戦車部隊が敵の空襲を受けないよう上空を防護することを任務として開発されたため、ミサイル、レーダー、指揮所などはすべて移動可能なプラットフォーム(キャタピラ式のシャーシやトラックなど)に搭載され、進撃する部隊に合わせて移動することが可能だ。

性能については、バージョンやターゲットによって違いがあるものの、ソ連軍で標準的に使用されていた「ブーク-M1」シリーズならば概ね30-35kmの射程があり、高度2万〜2万5000mまでのターゲットを攻撃できる。

つまり、能力の面で言えば、高度1万mを飛行していたMH17便を撃墜することは充分に可能である。

防空システムによる民間機撃墜

防空システムによる民間機の撃墜という事例は、実はこれが初めてではない。

数十km、場合によっては100km以上という目で見えない場所の敵を、電波だけを頼りに攻撃する以上、誤って民間機を撃墜してしまうということは論理的にあり得るし、実際にそのような事態は発生してきた。

たとえば1988年には、米海軍の巡洋艦ヴィンセンスが、防空システムでイラン航空655便を撃墜し、乗員・乗客290名が死亡するという事件が起きている。2001年には、訓練中のウクライナ軍がロシアのシベリア航空1812便を撃墜、乗員・乗客78名が死亡した(ただし、ウクライナ軍は関与を否定)。

高高度を飛行中の旅客機の場合、ミサイルを回避したり、誘導システムに妨害を掛けるなどの手段が存在しないのはもちろん、ひとたびミサイルの直撃を受けると戦闘機のような脱出装置がないため、ほぼ自動的に乗員・乗客が全員死亡という結果になりやすい。

このため、通常の旅客機には民間機であることを知らせる信号の送受信装置が搭載されているのだが、前述のシベリア航空機のケースでは機体が旧式であったために、このような装備がなかった。

一方、イラン航空機の場合は、イランと米海軍との間で連日小規模な戦闘やにらみ合いが続いている最中のことであり、米海軍側が疑心暗鬼に陥っていたという事情がある(しかもヴィンセンスはイランの領海を侵犯していた)。防空システムによるものではないが、1983年に大韓航空007便がソ連の戦闘機に撃墜された際には、ソ連側は007便を米国のスパイ機だと考えていたフシもある。

いずれにせよ、特定の条件が重なれば、非武装の民間機と言えども攻撃を受けるということは充分にあり得るということだ。

マレーシア航空MH17便を撃墜したのは誰か?

現時点では、ドネツク州の親露派武装勢力「ドネツク人民共和国(DNR)」による攻撃であった可能性が高いと考える。

その根拠は、次の通り。

ブークを手に入れたとするDNRのツイート(現在は削除されている)
ブークを手に入れたとするDNRのツイート(現在は削除されている)

・ 6月末の時点で、DNRがウクライナ軍基地からブーク防空システムを入手したとツイッター上に書き込んでいたこと(現在は削除。ネット上にはウクライナ内務省によるスクリーンショットが出回っているが、ウクライナ側による情報戦の可能性は考慮する必要あり)

・ DNRの軍事部門指揮官ストレリコフ大佐が、撃墜事件の直後、「ウクライナのAn-26輸送機を撃墜した」とSNS上に書き込んでいたこと

・ 7月14日にもDNRは高度6500mを飛行中のAn-26を撃墜していること。これは、従来の携帯型地対空ミサイルよりも高性能な防空システムをDNRがこの頃に入手したことを示唆している

以上の点を鑑みれば、現時点では、DNRがウクライナ軍機とマレーシア航空機を誤認して攻撃してしまったのではないか、という推測が説得力を持つように思われる。イラン航空機撃墜や大韓航空機撃墜のような、誤認や疑心暗鬼に基づく事例、ということだ。

もちろん、DNRやロシア国防省などは、撃墜したのはウクライナ側であると主張しており、その可能性もまだ完全に排除されたわけではない。

真相は解明できるのか

そこで問題になってくるのが、今回の件は本当に真相が解明できるのか、という点である。

現在、MH17便が搭載していたフライトレコーダーを政権側が回収したのか親露派側が回収したのかが問題になっているが、仮にこれが発見されたとしても、撃墜直前の状況が判明するだけで、撃墜の主体がどこであるか、といったことまでは明らかにはなるまい。

また、民間機にはミサイルの接近を警告する警戒システムなども装備されていないため、実際にミサイルが当たるまでパイロットが全く状況を認識していなかった可能性さえ考えられる(MH17が何のSOSも出さずに消息を絶っていることは、この可能性を示唆する)。

だが、米国のバイデン副大統領やウクライナのポロシェンコ大統領は、事件の直後から「これは事故ではなく撃墜だ」と述べたり、ブーク防空システムが使用されたと具体的に指摘するなど、非常に早い段階から断定的な発言を行っていた。

ポロシェンコ大統領については、前述のDNR側のネット上での書き込みや、ウクライナの情報機関が傍受したという親露派とロシア情報機関との通信記録(ただし、この記録の信憑性については現在の所、保留としたい)を根拠としているようだが、米国は何を根拠に早い段階でこれを「撃墜」と断定したのだろうか。

これについては、米国のハイテク偵察能力を総動員した結果と考えられる。

第1に、米国は敵の弾道ミサイル発射を最初の段階で発見するため、高感度の赤外線センサーを搭載した人工衛星を複数種類、軌道上に配備している。これらの中には弾道ミサイルだけでなく、比較的小型な防空システムの発射も探知できるものがあるとされており、前述した2001年のシベリア航空機撃墜事件でも、米国は衛星情報を根拠にウクライナ軍の誤射であると結論していた。今回の場合も、こうした早期警戒衛星を使用し、親露派支配地域でミサイルの発射熱を探知していた可能性は高い。

第2はレーダーである。米国防総省はレーダー情報によってミサイルが親露派の支配地域から発射されたことを掴んでいるとしているが、航空機に比べてずっと小さなミサイルを正確に探知・追尾したとなると、トルコに配備されているAN/TPY-2を使用したことが考えられる。AN/TPY-2は米軍のミサイル防衛の「眼」となるレーダーで、Xバンドの周波数帯を使用することにより、通常のレーダーよりも高精度で目標を把握することが可能だ。このレーダーは在日米軍にも配備されており、現在、青森県車力基地で1基が実戦配備に就いているが、さらに京都府にも追加配備の予定だ。あるいは、黒海に展開している米海軍のイージス艦が探知したことも考えられる(両者はデータリンクで接続されており、連携して機能する)。

AN/TPY-2レーダー
AN/TPY-2レーダー

第3は電子情報である。撃墜事件の直後、米空軍はイギリスのミルデンホール基地に展開させていたRC-135リベット・ジョイント電子偵察機を離陸させ、ウクライナ付近に派遣した。これによって事件後の親露派の通信やレーダー電波の使用状況、各種信号情報などを収集したと考えられる。米国が、撃墜に使用された兵器はブークだと断定している背景には、こうした電子情報からブーク用レーダーの特徴と合致する周波数などを探知していた可能性が考えられる。

それでも難しい真犯人の特定

もっとも、電子情報について言えば、ロシア国防省側も「ウクライナ側から発射されたという電子情報を掴んでいる」などとしてはいる。

実際問題として、いくら上記のような活動の「結果」だけを「証拠がある!」と突きつけても「ねつ造だ」と言われてしまえばそれまでである。もちろん、生データを解析することができればよいが、機密の塊である弾道ミサイル警戒システムや電子偵察機の詳しい性能などを明かしてしまうことになるため、まず現実的な話ではない。

したがって、今回の件を巡っては、まだしばらくウクライナ、ロシア、親露派、そして西側諸国の間で責任の所在を巡る非難の応酬が続くだろう。

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安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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