Yahoo!ニュース

ロシアによるウクライナへの軍事介入が始まった:ルビコン河を渡ったロシア軍(ただし、ゆっくりと)

小泉悠安全保障アナリスト

親露派の逆転?

まずは2枚の地図を比較することから始めたい。

1枚目は8月5日の拙稿にも掲載したもので、8月3日時点におけるウクライナ南東部(ドンバス)の戦況を示している。発行はウクライナ安全保障国防会議(SNBO)であり、したがって多少割り引いて考える必要はあるが、これまで筆者が見てきたところでは、概ね信頼性は高いようだ。

8月3日時点のドンバスの戦況図
8月3日時点のドンバスの戦況図

この地図によると、ウクライナ軍は北部にある親露派の拠点ルガンスクを包囲して周辺で活発な戦闘を行っており、南部の対ロシア国境に大きく食い込んで親露派とロシアとの接触を遮断している。西部の拠点ドネツク周辺はロシアと接するルガンスク側から遮断されており、包囲状態だ。

要するに、この時点で親露派は決定的に不利な状況に陥っており、このままでは軍事的な敗北が目前であることは明らかであった。

ところが、2番目の地図ではこの状況が大きく変化している。同じSNBOが発行した8月27日時点の戦況図だ。

8月27日のドンバス戦況図
8月27日のドンバス戦況図

これによると、南東部で親露派支配地域とロシア国境を大きく扼していたウクライナ軍の支配地域は親露派によって再び占領されたことがわかる。当然、これによって親露派は再びロシア国境から軍事援助を受け取ることが可能となったわけで、それをウクライナ政府側が自ら認めた格好だ。

親露派巻き返しの背景-1:軍事援助の強化

では、風前の灯火と思われた親露派が再び支配地域を大きく取り戻すことに成功したのはどのような理由によるものか。

そのヒントとなるのが、2枚目の地図でロシア側から伸びる太い青色の矢印だ。ロシア軍による直接介入を示すものである。

8月3日時点の戦況図においても、国境沿いにロシア軍が展開しており、国境を越えてロケット砲を打ち込むなどの牽制攻撃を行っていることが描かれている。だが、この一週間ほどの間に、ロシアからの軍事的関与はこれまでにない規模に拡大しているようだ。

その第一が軍事援助の拡大である。

8月12日、ロシアはウクライナに向けて280台ものトラックから成る人道援助部隊を出発させ、その保護などを口実にロシアが軍事介入を行うのでは無いかとの危機感が高まった(詳しくは8月11日の拙稿を参照)。このため、このトラック隊の扱いを巡ってウクライナとロシアの立場が対立し、一時は合意が成立しかけたかと思われたものの、22日にはウクライナ側の同意を得ることなくトラック隊がルガンスク側へと勝手に越境。そのままモスクワへと順次帰還し始めた。

この時点で、国境地域をウクライナが本当に管理できているのか、疑いの目が向けられ始める。

さらにトラック隊がウクライナ国境周辺に集結しはじめたのと同時期、西側の新聞記者がロシアの装甲車列がウクライナ側へと越境していく現場を目撃し、大きなニュースとなった。これがロシア軍の直接介入なのか、軍事援助を送り届けるところであったのかははっきりしないが、少なくともロシアから重装備がウクライナ南東部に入っていることが西側メディアの眼で確認されたのである。

さらに8月17日、新たに「ドネツク人民共和国」の「首相」に就任したザハルチェンコ氏は、ロシアで訓練を受けた兵士1200名とともに、戦車30両、装甲車120両などの軍事援助を受け取ったと発表。これまでロシア側は親露派への軍事援助を否定していたが、これによって軍事援助の事実が当事者からも明らかにされてしまった(ザハルチェンコがそのあたりに無神経なのか、それともロシアが介入を行わざるを得ないよう圧力を掛ける目的だったのかは判然としない)。

しかも、ザハルチェンコの挙げた数字はほぼ1個連隊に相当する。親露派の戦力は多く見積もって2万人内外と見られるので、訓練や装備の良好な1個連隊がそこに加わるメリットは非常に大きい(親露派の戦力については、WSI Daily 2014/8/27を参照)。

親露派巻き返しの背景-2:ロシア軍の直接介入

だが、ここまで大きく形成を逆転した最大の要因は、ついにロシア軍が直接介入し始めたことであろう。

20日、ウクライナ軍はルガンスク近郊でロシア空挺部隊に所属するBMD-2装甲車を鹵獲したと発表。BMD-2はウクライナ軍も保有しているが、内部に残された軍隊手帳などの遺留品から、ロシア空挺部隊の第76空挺師団(プスコフ州)に所属していたものと結論づけた。

さらにウクライナ国防省によると、ロシア空挺部隊は24日夜にルガンスクに侵入。この際、部隊からはぐれた10名の兵士がウクライナ軍に拘束されるという事態が発生した。

折しも26日には、マレーシア機撃墜事件後初となるロシアとウクライナの首脳会談がミンスクで開催されており、この場でプーチン大統領は「10名の兵士は道に迷っただけ」と苦しい弁明を行わざるを得なくなった。

さらに、8月26日付けの「ウクラインスカヤ・プラウダ」紙によれば、ロシア軍は25日夜にも戦車や装甲車など30両をウクライナ領内に進入させ、国境沿いの6つの村を占拠した。各村落には戦車3両と装甲兵員輸送車2両から成る小グループが配備されているという。これはおそらく、後続部隊を受け入れるために国境を確保する橋頭堡としての役割を負った部隊であろう。

ロシア軍が占拠しているのはマルキノやシチェルバクといったアゾフ海に近い国境の村落で、そのすぐ南側をロシアとウクライナを結ぶ国道E58が通っている。報道によれば、このE58を通ってウクライナ側に数km入ったノヴォアゾフスク市をロシア軍部隊が通過したという。その先で北上して国道T05-08に入ればドネツクへ到達することは容易で、実際、ロシア軍はすでに紛争地帯の奥深くまで侵入していると見られる。

また、上掲のSNBO作成戦況図では、これ以外にもドネツクやルガンスクへと直接至る青矢印も描かれているので、明らかになっている以外にも多方向からロシア軍が侵入しているのだろう。

たとえば、以下に投稿された写真は、@RuPhotoMilitaryというTwitterアカウントが掲載している、ウクライナ国内で最近撮影された写真である。

マケーエフカで撮影されたロシア軍と見られるT-72B戦車
マケーエフカで撮影されたロシア軍と見られるT-72B戦車

1枚目はドネツク中心部の北東側に位置するマケーエフカ市内で撮影されたとするものだが、ここに映っている戦車に注目したい。これまでロシアが親露派に供給してきた戦車は、いずれも旧式のT-64(ロシア軍はもう装備していない)ばかりであったのに対し、この写真の戦車は現役のT-72(ウクライナ軍は保有しない)である(しかも新型のコンタークト-5爆発反応装甲を装着している)。一方、右側に映っている民間車両のナンバーは明らかにウクライナのものであり、この点からして、ロシア軍がウクライナに入っている可能性は高い。これらが事実なら、一度はロシア本土から遮断されたドネツクが再びロシアとの連絡を回復し、さらにロシア軍そのものがドネツク中心部付近まで進駐していることになる。

一方、2枚目はルガンスクのスヴェルドロフスク市で撮影されたものだ。こちらに映っている戦車もやはりコンタークト-5を装着したT-72Bで、ロシア軍そのものと見られる。

スヴェルドロフスクで撮影されたT-72B。やはりロシア軍と見られる
スヴェルドロフスクで撮影されたT-72B。やはりロシア軍と見られる

続く3枚目と4枚目は同じ地点から撮影されたものだが、これも興味深い。ここに映っているMT-LB装甲車は車体側面に緑色のペンキで錨のマークや「セヴァストーポリ」などと書き込んでおり、彼らがクリミアからやってきた義勇兵である可能性を示唆している。つまり、親露派武装勢力にまとまった数のクリミア義勇兵が新たに送り込まれ始めた可能性がある。

MT-LB装甲車。側面にセヴァストーポリと書かれている
MT-LB装甲車。側面にセヴァストーポリと書かれている
ストレラ-10地対空ミサイルを搭載したMT-LB
ストレラ-10地対空ミサイルを搭載したMT-LB

しかも4枚の写真に写っているMT-LBは車体上部にストレラ-10地対空ミサイルを搭載している。防空システムまで保有しているとなると、この新たなクリミア義勇兵はかなり装備の良好な部隊であると考えられる。

そのほかにも、ロシアの軍病院に多数の負傷兵が担ぎ込まれたとする情報など、すでにロシア軍がウクライナで戦闘に参加していることを示唆する間接的証拠は膨大な量に上っている。

さらに前述の国道E58号をそのままアゾフ海沿いに西進すれば、大都市マリウポリが目前である。ドネツクとルガンスクへのテコ入れだけで無く、ロシア軍がマリウポリまで狙ってくる可能性も否定はできまい。

赤信号、ゆっくり渡れば怖くない

要するに、ロシアの軍事介入がここ数日でついに始まった、というのが筆者の見方である。ただし、ロシアはそれを非公然に行った。事前の観測では、ロシアは人道援助などの保護を名目に、ロシア軍を「平和維持部隊」として公然に送り込むだろうというものが多かった(ただし、ロシアは人道援助の第二陣を送ることを示唆しており、このシナリオもまだ完全に放棄されたわけではない)。

しかし、ここ数日の展開を見ていると、ロシアは親露派への軍事援助や義勇兵と一緒にロシア軍をこっそり送り込み、国境を占拠し、いつの間にか紛争地帯の奥深くにまで部隊を展開させているようだ。

つまり、どちらかと言えばクリミア半島の占拠に際して適用した手法に近い。違いがあるとすれば、今回の場合は幅広い住民の支持が期待できない上、既に激戦が展開されている最中であるため、クリミアのような無血占拠というわけにはいなかったという点であろう。

いずれにしても、ロシアの軍事介入が行われていることはほぼたしかであろうと思われる。しかも、ロシアとウクライナの首脳会談が行われているまさにその最中に行った。おそらくは親露派への大規模援助やロシア軍・義勇兵の支援によってウクライナ軍の攻勢を押し返し、今後の停戦交渉を有利な状況に導こうという思惑があると思われる。

とはいえ、どのような名目を掲げたところで、ロシア軍が大挙して侵攻すればあまりにも欧米の反発が大きく、停戦交渉どころではなくなってしまう。そこで最低限の言い逃れをする余地を確保するため、部隊を非公然に、そしてゆっくりと浸透させているのだろう。

米国のジャーナリストであるマックス・フィッシャーは、米国もこのことは承知していながら、停戦交渉を優先して敢えて「侵攻」とは言わず、「侵入」などと言い換えていると指摘。その上で、西側諸国のいう「レッド・ライン」なるものは、ゆっくり、少しずつ越えていけばいつのまにかうやむやにできてしまうものだと皮肉っている。

日本式に言えば、「赤信号、ゆっくり渡れば怖くない」といったところだろうか。

だが、ロシア軍の直接介入が始まっていることはおそらく事実であり、これに関する断片的情報は現在も増え続けている。いずれどこかの時点で、ロシアによる介入を既成事実として議題に載せなければならないときがくるだろう。

ロシア軍の介入がどこまで拡大するのか、そしてウクライナと欧米がどう対応するのかが注目される。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

小泉悠の最近の記事