ドストエフスキーも運転禁止? ロシアの運転免許規制が孕む抑圧の構造
昨年12月、ロシア政府は、運転免許の保有を禁じられる者の対象を大幅に拡大する政令を発出し、今年1月から施行された。
日本ではこれについて「性同一性障害者に対する運転免許を禁じる」といったトーンで報じられているようだが、実際に問題の政令第1604号(ロシア語)を読んでみると、この政令が孕む問題はさらに大きい。
上記の政令によると、今回、運転免許の保有が禁じられたのは、2003年版の国際疾病分類第10版(ICD-10)の幾つかのカテゴリーに該当する者である。ここには、アルツハイマー病などを含むF00-09(症状性を含む器質性精神障害)や統合失調症などを含むF-20-29(統合失調症、統合失調症型障害及び妄想性障害)だけでなく、F60-69(成人の人格及び行動の障害)が含まれている。
このF60-69には何が含まれているかというと、例えば以下のようなものがある。
F64 性同一性障害
F64.0 性転換症
F64.1 両性役割服装倒錯症
F64.2 小児<児童>期の性同一性障害
F64.8 その他の性同一性障害
F64.9 性同一性障害,詳細不明
F65 性嗜好の障害
F65.0 フェティシズム
F65.1 フェティシズム的服装倒錯症
F65.2 露出症
F65.3 窃視症
F65.4 小児性愛
F65.5 サドマゾヒズム
F65.6 性嗜好の多重障害
F65.8 その他の性嗜好の障害
F65.9 性嗜好の障害,詳細不明
アルツハイマー病であれば運転を制限することにも頷けるが、以上のF64やF65は運転の障害になるとはとても思われない、個々人の性的傾向に過ぎない。
また、以上には含めなかったが、F63(習慣及び衝動の障害)には「病的賭博」が含まれているから、ロシアの国民的作家であるドストエフスキー(賭博中毒者として知られ『賭博者』という著作もある)が現代に蘇ってきてもやはり運転免許は持たせてもらえなそうだ(車を運転しているドストエフスキーというのもいまひとつ想像がつかないが)。
政府の狙いは?
今回の政令が、単なる交通安全上の配慮に基づくものでないことは明らかであろう。
ロシアは2013年6月にも未成年者の精神的発達を保護するためなどとして「非伝統的性的関係のプロパガンダ」を禁じる法律が制定されている。一般にこの法律は「ゲイ・プロパガンダ禁止法」として同性愛・トランスセクシャルを狙い撃ちにしたものとされているが、実際に法律の条文を読んでみると「同性愛」などの文言はなく、「非伝統的性的関係」という曖昧な言葉が、しかも具体例の例示なく使われているだけである。
このため、「非伝統的な性的関係」が際限なく拡大解釈される可能性が法律家や性的マイノリティの権利団体から指摘されていたが、今回の政令はこの懸念が現実のものとなった一例と言えるだろう。
では、ロシア政府が進める、同性愛を含めた性的少数者に対する抑圧は何を意図したものなのだろうか。端的に言えば、それが国民の多数に対してウケがよいためであろう。
ロシアでは同性愛などに対する嫌悪の感情が強く、あるいは同性愛者は「刑務所帰り」という偏見もある(刑務所で同性愛行為を強制されると言われるため)。また、2010年、当時のモスクワ市長であったルシコフ氏などは同性愛者の権利擁護を掲げる行進を「悪魔の所行」と呼んで警察に弾圧させたこともあるし、プーチン政権の支持基盤であるロシア正教会も否定的な態度を示している。
要するに、こうした「普通でない」性的指向を抑圧することは、ロシア国民の持っている偏見や嫌悪感に容易にマッチし、政権に対する支持が見込めるという計算が働いていると思われる。特にウクライナ危機を巡って対外的な関係が悪化する中、性的少数者をスケープゴートにして国内の支持固めを図る必要性もあるのだろう。
だが、政権がどれほど抑圧してもギャンブル依存症患者や性同一性障害を抱える人などが消えてなくなる訳ではないし、社会の中に一定数存在し続ける筈である。今回の政令は、こうした問題に悩む人々への社会的な風当たりをさらに強めるばかりか、医療機関への相談などを(発覚を恐れて)ためらわせる結果になるのではないだろうか。
さらに言えば、こうして性的少数者であることが、運転も許されない「悪」であるとする風潮が今後さらに強まり、無制限に拡大解釈されていくことも懸念される。