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長引くウクライナ危機で疲弊するロシア軍

小泉悠安全保障アナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

3ヶ月で8件の事故

墜落したMi-28N攻撃ヘリ(ロシア空軍100周年式典で筆者撮影)
墜落したMi-28N攻撃ヘリ(ロシア空軍100周年式典で筆者撮影)

今月3日、航空ショーでアクロバット飛行を行っていたロシア陸軍の攻撃ヘリコプターMi-28Nが墜落、パイロットが死亡するという事件が発生した。

ロシア軍では今年に入ってから航空機事故が相次いでおり、機体が大きく破損したり死傷者が出るような重大インシデントはこのMi-28Nの事故で実に8件目である。以下にその一覧を掲げた。

・ 6/4 Su-34戦闘爆撃機(着陸中に横転、死者なし)

・ 6/4 MiG-29戦闘機(墜落、死者なし)

・ 6/8 Tu-95MS戦略爆撃機(墜落、死者2名)

・ 7/3 MiG-29戦闘機(墜落、死者なし)

・ 7/6 Su-24M戦闘爆撃機(墜落、死者2名)

・ 7/14 Tu-95MS戦略爆撃機(墜落、死者1名)

・ 7/18 An-12輸送機(落雷によって着陸失敗、死者なし)

・ 8/3 Mi-28N攻撃ヘリ(墜落、死者2名)

以上のように、事故は今年6月以降に集中して発生しており、最初の2件などは同じ日に立て続けに発生している。これ以前の5年間(2010-2014年)におけるロシア軍の航空機事故発生は合計30件ほどとされているので、各年の平均を上回る回数の事故がわずか3ヶ月の間に発生した計算になる。

しかも事故機は旧式機から最新鋭機まで様々な機種に及んでおり、単に特定機種の欠陥や老朽化が原因ではないことは明らかだ。

これについて、核専門家として知られる亡命科学者で現在は英RUSI(王立統合軍研究所)研究員のスチャーギンは、「オーヴァー・ストレッチ」が続発する事故の原因であると述べている(NEWS WEEK, 2015年6月9日付)。すなわち、昨年以降のウクライナ危機でロシアが軍事的圧力を掛けるために大規模演習を繰り返したり、それ以外の通常の訓練活動が増加した結果、メンテナンス体制などにこれまでにない負担が掛かっていることがその原因であるという。

実際、ソ連崩壊後のロシア空軍では、戦闘機パイロット一人当たりの年間飛行時間はわずか数時間にまで落ち込んでいた時期がある。燃料や予備部品の供給が枯渇していた結果だが、西側の一流空軍では年間飛行時間が100-200時間にもなることを考えると、ほとんどお話にならないレベルであったことが分かる。

だが、プーチン政権下で軍事予算が増加に転じると、ロシア空軍でも飛行時間は徐々に回復し、最近では年間100時間(部隊によっては130時間)を優に越えるようになっていた。

ここへ来て始まったのがウクライナ危機であり、前述のように航空部隊の負荷は一気に増大している。これが昨今の事故の連続につながっていると見られる訳だが、無理な運用を改めない限り、これからも同様の事故が続く恐れは拭えない。

「聖域」国防費もついに削減

ウクライナ危機の影響は経済面にも及んでいる。

西側との関係悪化と原油安によってロシア経済が苦境に立たされていることは周知の通りで、昨年末、プーチン大統領が行った議会向け教書演説でも、連邦予算の一律5%カットが打ち出された。

だが、プーチン大統領は同時に、国防費と公安関連費(警察、治安部隊、情報機関、国境警備、災害復旧その他を含む)を削減の対象外とするとも明言していた。ウクライナや欧州正面で矢面に立つ軍と、自身の出身母体である情報機関は聖域扱いとした形だ。

だが、国防費は今や連邦予算で第2位、公安関連費も第4位という大口支出項目である(詳しくは以前の拙稿「ロシアを見舞う経済危機 財政構造から考える」を参照)。そこで今年以降、これらの「聖域」にもじわじわと削減の波が及び始めている。

国防費について言えば、当初、国防省の財務担当者は「多少のカットはあるが周辺的な分野についてのみ、限定的に削減されるに過ぎない」としていたが、2015年の国防費は3兆2868億ルーブルから1500億ルーブル以上カットされることが決まっている。約5%であるから、ほぼ他省庁並みのカットだ。

さらにシルアノフ財務大臣は、2016年の国防費のカット幅を「10%以下」としており、これまで右肩上がりを続けてきたロシアの国防費もついに頭打ち傾向となる見込みである。

こうなると気になるのが来年からスタート予定の新軍備計画「2025年までの国家装備計画」の行方である。同計画においては、史上空前と言われた現行計画(10年間の総予算は19兆ルーブル)をさらに上回る30兆ルーブル(10年間)もの予算を軍は要求していたが、予算カットとなれば計画を大幅に縮小するかスタート時期を先送りせざるを得なくなる。

軍事と密接に関連する宇宙予算も当初より削減される見込みだ。間もなく採択される予定の「2025年までの連邦宇宙活動プログラム」は当初、10年間で2兆4000億ルーブルを支出予定であったところ、月探査用の超大型ロケットの実用化を先送りするなどして、4000億ルーブル減の2兆ルーブルとなる見込みと伝えられている(それでも現行計画に比べるとほぼ倍増ではあるが)。

内務省職員を10万人削減

公安関連費について言えば、警察を含む内務省の大削減が予定されている。7月13日にプーチン大統領が発出した大統領令によると、今後、内務省職員は従来より約10%減の101万人あまりとなる計画である。コロコリツェフ内務大臣は今年3月の段階で予算削減のために幾つかの案を検討中であると発言していたが、これが人員削減という形に落ち着いたようだ。

連邦制のロシアでは、もともと各連邦構成主体(州、共和国など)のレベルで内務機関を編成し、職員の給与も連邦構成主体の予算から支払われていた。しかしこの結果、内務省に対して連邦政府のコントロールが充分に及ばないという問題につながった。

たとえば極東で中古車輸入の禁止に反対する輸入業者のデモが発生した際、沿海州の知事は警察の出動を拒否ししたため、モスクワから飛行機で機動隊を送り込まざるを得なかったという事例がある。

このため、ロシア政府はメドヴェージェフ政権下の2012年に警察改革を断行し、全ての内務機関職員の給与を連邦予算から支出することとした。当時のロシアにはその程度の負担増には耐え得るとの目算があったわけだが、経済危機によってその前提が崩れたのである。

ただ、プーチン大統領やコロコリツェフ内相が強調しているように、これは連邦構成主体レベル以上の管理機構の人員削減であり、治安に直結する地域レベルの人員は「ほかに代替手段がない」として現行の規模を維持する見込みであるという。

エンジンが無い!

ウクライナ危機は、それまで旧ソ連単位で張り巡らされていた軍需産業間のネットワークの切断という問題ももたらした。

特に問題となったのは、ヘリコプターや艦艇用のガスタービンエンジンである。従来、これらのエンジンは大部分がウクライナのモトール・シーチ社やゾーリャ・マシュプロイェクト社で生産されていたが(主要コンポーネント自体はロシアで生産し、ウクライナで組み立てる形式)、昨年6月にウクライナ政府がロシアへのあらゆる軍需品の移転をストップした結果、入手が不可能になってしまった。

たとえばロシア軍はここ数年、毎年百数十機のヘリコプターを新規調達していたが、これが2015年は83機と大幅に下方修正している。ロシアでもある程度のエンジン生産は可能だが、ウクライナからの輸入分をそっくり代替するにはサンクトペテルブルグに建設中の新工場が完全稼働するまで待たねばならず、2010年代末まではしばらくエンジン不足が続きそうだ。

海軍も同様の問題に直面している。

以前の拙稿で紹介したように、ロシアは2008年のグルジア戦争後に黒海の防衛体制強化を決定し、新型艦艇の大規模配備を計画している。ところが、その中心とする新型フリゲートのエンジンがやはりウクライナ製であったため、合計6隻調達予定分のうち、3番艦までしかエンジンが入手できていない。

このため、ロシア海軍のチルコフ総司令官は、7月、すでに起工済みの4番艦以降の建造を凍結すると発表した。ロシアのエンジンメーカー連合である統合エンジン製造会社(ODK)は2017年には国産エンジンが入手可能になるとしているが、やはり軍備近代化には遅れが生じざるを得ない情勢だ。

以上のように、ウクライナ危機は様々な面でロシアの国防・安全保障に影響を及ぼしている。とはいえ、ロシアは依然としてウクライナ問題を巡る立場を変えるつもりはないようだ。

今後、ロシアがこの経済危機を乗り切ることが出来るのか、どこかで根負けするのか。今年後半以降の情勢が注目される。

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安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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