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「祖国防衛者の日」を迎えたロシアと情報作戦、歴史戦、サイバー戦

小泉悠安全保障アナリスト
戦勝記念パレードのリハーサルに臨むショイグ国防相(2016年)(写真:ロイター/アフロ)

「祖国防衛者の日」

2月23日は、ロシアなど旧ソ連圏の「祖国防衛者の日」に当たる。

もともとは1922年に赤軍の創立記念日として定められたものだが、現在でも従軍経験者や軍人、そして潜在的な「祖国防衛者」である男性一般を讃える祝日としてロシア国民に広く祝われている(2002年から休日となった)。

筆者も「祖国防衛者の日」前日に帰宅してみると、ロシア出身の妻が次のように物騒な手遊び歌(その名も「祖国の防衛者」という)を娘に教えているところだった。

「祖国の防衛者」と題されたロシアの手遊び(筆者撮影)
「祖国の防衛者」と題されたロシアの手遊び(筆者撮影)

国境警備隊員、ヘリコプター乗り

軍医に戦車乗り

今度は空挺隊員、パイロット

スナイパーと砲兵…

日本社会の特異性を差し引いても、「軍事」や「軍隊」と一般社会との距離がおそろしく近いところがロシアのひとつの特徴であろう。

明らかにされた「情報作戦部隊」の存在

「祖国防衛者の日」に合わせて、ロシア連邦議会は22日に「政府の時間」(公聴会)を開催した。答弁に立ったのは、セルゲイ・ショイグ国防相である。

この中でショイグ国防相は、千島列島に新たな1個師団を配備する計画を明らかにするなど様々な興味深い発言を行っているが、本稿はまた別の発言に注目してみたい。

「政府の時間」中、ロシア軍内にも敵のプロパガンダに対抗する部隊が必要ではないかという質問に対して、ショイグ国坊相は、ロシア軍内にはすでに「情報作戦部隊(войска информопераций)」が存在しており、それはソ連軍に存在していたものよりもはるかに効果的であり強力だと述べたのである。

また、プロパガンダ(この言葉はロシア語では必ずしも悪い意味ばかりではなく、自陣営の広告・宣伝活動を指す場合もある)はスマートで効果的、かつしっかりしたものでなければならないともショイグ国防相は述べている。

これらの発言を見ると、「情報作戦部隊」とは要するにプロパガンダ活動を行ったり、敵のプロパガンダ活動に惑わされないよう軍内の思想的統制を担当する部隊というように見える。ショイグ国防相が述べるようにそのモデルをソ連軍に求めるならば、共産党の出先機関であった政治総局のような存在ということになるだろうか。

情報作戦の重要性

ショイグ国防相が触れた「情報作戦部隊」が実際にどの程度のものであるのかははっきりしないが、ロシア軍が情報戦の重要性を痛感していることは明らかであろう。

たとえば2008年のグルジア戦争は、グルジア軍、現地民兵、ロシア軍の散発的な衝突の中で発生したが、英語に堪能なグルジアのサァカシヴィリ大統領による働きかけや民間PR会社の活躍によってロシアの一方的侵略であるというイメージが作られた。

一方、2014年のクリミア介入では、ロシアは各種の国営宣伝メディアをフル稼働させて自国の立場に理解を求めるとともに、ウクライナにはロシア軍など送っていないなど、自国に有利な情報を流布させた(実際にはクリミア半島には初期段階からロシア軍が送り込まれており、のちにプーチン大統領もこのことを公式に認めた)。

また、西側との関係が悪化するにつれてロシア政府は自国を非難する西側のメディアに神経を尖らせており、「軍事ドクトリン」などの国防・安全保障政策文書でも外国のメディアやNGOに対する警戒感が示されるようになっている。

「歴史戦」と愛国教育

ロシア国防省が設立した「愛国者公園」(筆者撮影)
ロシア国防省が設立した「愛国者公園」(筆者撮影)

ロシア国防省はいわゆる「歴史戦」にも力を入れている。

ロシアにしてみれば第二次世界大戦におけるソ連はドイツの侵略を受けた被害者であり、ナチズムの悪夢から欧州を救った解放者でもある。

だが、たとえばバルト三国は第二次世界大戦でソ連に併合されたことを「侵略」と捉えており、ロシアとは歴史観で真っ向から対立する。

特にエストニアでは、ソ連軍兵士の像を「侵略者」として撤去するか「解放者」として残すかで紛糾して政治的問題に発生し、ロシア発と見られるサイバー攻撃でエストニアの重要インフラが麻痺した事件まで発生した(その後、NATOはエストニアの首都タリンの名を取った「タリン・マニュアル」という文書を作成した)。

ロシアと事実上の戦争状態にあるウクライナも、最近になって「祖国防衛者の日」を祝うことをやめた。

このように、歴史問題はそのまま現在の国際関係にも直結してくるだけに、ロシア国防省は国民の歴史観づくりや愛国教育に熱心だ。

独伊のファシズムや日本軍国主義と戦ったソ連という立場を積極的にPRする「歴史戦」にくわえ、モスクワ郊外に国防予算で巨大な武器展示場兼公園を建設して若者の愛国教育を行うなどしている。

「情報」と「サイバー」

「情報作戦部隊」に話を戻すと、その活動範囲はさらに幅広いものである可能性もある。

たとえば国営紙『ロシア新聞』2月22日付けは、「公開情報によると」と断った上で、「情報作戦部隊」とは次のような組織であると紹介した。

情報作戦部隊:軍のコンピュータネットワークの管理及び防護、サイバー攻撃に対するロシアの軍用指揮通信システムの保護、それらに関する情報の保護を主任務とするロシア軍の編成。情報作戦部隊は各種サイバー部隊が実施する作戦の調整及び統合並びにサイバーに関するロシア国防省のポテンシャルに関する専門的管轄を実施するとともに、サイバー空間におけるその活動範囲を広げるものである。

以上から明らかなように、ここでは「情報作戦部隊」は一般的にいうサイバー戦部隊として描かれている。

もともとロシアの安全保障政策では、情報戦とサイバー戦は一体のものとして扱われる場合が多く、政策文書においても「情報安全保障ドクトリン」として単一の分野とみなされてきた。

もちろん、敵の重要インフラや軍用システムをハッキングするようなサイバー戦と、いわゆる情報戦(宣伝戦や情報窃取など)には大きな溝があるが、米大統領選へのロシアの介入疑惑に見られるように両者が重なり合う領域も存在することも事実である。

また、2014年のウクライナへの軍事介入では、前述した宣伝戦と並行してウクライナ政府機関へのサイバー攻撃も展開された。

こうしたサイバー戦を専門に担う機関を設立しようという話は5年ほど前からロシア軍内で浮上しては消えていたのだが(主に管轄権争いによるところが大きい)、『ロシア新聞』の描く「情報作戦部隊」像が正しければ、ロシアにもついにこうした部隊が発足したことになる。

将来の「祖国防衛者」は

第二次世界大戦後、戦争が原則として違法化され、正面切った宣戦布告とともに国家間が戦争を行うという機会は著しく減少した。

まして現在のロシアがNATOと事を構えるのはあらゆる面で無謀である。代わりにロシアが編み出したのが、平時とも有事ともつかない状況下で軍事介入を行うという、いわゆる「ハイブリッド戦争」であったわけだが、この種の軍事介入では情報や過去の歴史的経緯に関する人間の認識が死活的に重要な役割を果たす。

あるいはサイバー空間が実際の戦場と並ぶ闘争の場となり、インフラの破壊や情報戦が展開される。

「祖国の防衛者」の手遊び歌に出てくるのは、いずれも古典的な戦争を戦う兵士たちばかりだ。しかし、そこにもそのうち「ハッカー」や「歴史家」が加えられるのかもしれない。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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