求められる「脱原発」の再定義

福島県民にとって大変喜ばしいニュースが2つありましたね。

福島県の平成26年産の新米の全袋検査で、基準値を超えたもの1つもなかったという検査結果。そして、福島県で先天的な異常を持って生まれる新生児の発生率が全国と変わらなかったという調査結果。福島県の「真実」を伝える、非常に大事なニュースです。

26年産新米基準超ゼロ 風評払拭へ大きく前進 放射性物質検査(福島民報/2015.1.9)

東京電力福島第一原発事故に伴うコメの全量全袋放射性物質検査で、昨年12月末までに計測した平成26年産米の約1075万点全てが食品衛生法の基準値(1キロ当たり放射性セシウム100ベクレル)を下回った。一般的に新米とされる生産年の12月末までの検査で基準値超過ゼロを達成したのは初めて。

出典:福島民報

先天異常新生児 全国と同等 原発事故後 福島県が2万人調査(読売新聞の記事をもとにしたtogetterまとめ/2015.1.9)

先天異常の一般的な発生率は3%程度といわれる。日本産婦人科医学会がまとめた12年の全国の発生率は2.34%で、福島の率は、これとほぼ変わらなかった。また、早産や低出生体重児の割合も、全国的な傾向と変化が見られなかった。

出典:読売新聞記事より原文ママ

新聞記事だと「さらっ」と読めてしまうのですが、全袋検査では「1075万袋」を、新生児の検査では「2万人」を検査しているわけです。まさの気の遠くなるような検査。この結果には、医療に携わる方々、そして農業や食品に携わる方々、皆さんの執念と言っていい尽力が積み重なっている。これは、重く受け止めなければならないと思います。

福島県産のコメは、福島県産の食品の安全性を語る上での象徴のような存在になっていました。そのコメの全袋検査で基準値超過ゼロを達成したことは、福島県産品の安全性を訴える上で非常に心強いものです。私自身、商品は違えど同じ福島の食に携わる人間でありますが、どれほど多くの方が努力してきたかに思いを馳せると、様々な思いが去来します。

そして、福島の新生児。震災直後から「福島県では奇形児が続々と生まれている」などという、あまりに非人道的なデマが飛び交ってきました。いったいどれほどの母親たちが傷ついてきたかを考えると、悪質なデマを撒き散らしてきた方々への怒りがふつふつと甦ってきます。しかしなにはともあれ、よかった。本当に。

今年の3月11日で震災から4年が経過します。これまでに、様々な、そして膨大なデータが積みあがってきました。医療に関わること、子どもたちの健康に関わること、土壌の汚染についてあるいは食品について。本当に多くのデータが積み重なってきています。そして多くのことが「わかって」きています。「わからない」の外堀が少しずつですが、埋まってきているのです。

福島県は差別的言動に苦しめられてきました。原発事故直後は仕方なかったと思います。何しろ未曾有の事故でしたし、データも揃っていませんでした。事実、数値も高かったのですから、不安に駆られて差別的な言葉に加担してしまっても致し方ない状況でした。私だって、震災直後は「福島県産を食べて応援しよう」という空気に違和感を感じた1人です。

しかし、「今」はどうでしょう。

食品や新生児に関する科学的なデータが積み重なって来たとのは対照的に、悪質なデマは根拠や信憑性を失うばかりで、例えば「福島では奇形児が続々と生まれている」ことを指し示す調査結果はありません。震災直後の悪質なデマ記事や、脳内で作り上げられた誇大妄想が消費されるだけで、科学的な調査の積み重なりは一切ないのです。

不安に思う気持ちは誰しもありますから「不安に思うな」と言いたいわけではありません。東電や政府の動きは注視すべきですし、継続して調査すべきことがたくさんあります。問題は、こうした状況下で、なおも差別的な言説を繰り返す方々です。ハッキリ言ってしまえば、福島県民を貶める目的でデマを繰り返しているとしか思えないのです。

科学的なデータを一切無視し、自分の世界に閉じこもって差別的な言説を繰り返すのは、「不安」でも「心配」でもありません。自分たちの信条や正義のためならば誰かを傷つけてよいというのであれば、それはテロリズムといっていい。誰かを直接傷つけなかったとしても、その人の人格を傷つけ、暮らしや生活を傷つけ、そして、悩みながらも、自分の意志で「福島県に住み続けよう」と決めた人たちの心を傷つけるものです。

震災から間もなく4年が経ちます。もうそろそろ、辞めにしませんか?

―それでもまだ不安だなあと感じている皆さんへ

福島の子どもたちを憂いて頂いている気持ちは大変ありがたいものですし、「福島に人は住めないんじゃないか」と遠くから心配して下さる気持ちもわかります。しかし、いくら不安にかられているからといって、事実に基づかない言動を繰り返してしまうと、福島に対する差別を助長することになってしまいます。福島県を憂いて下さっているのに、結果的に福島県を貶めてしまうなんて、悲しいじゃないですか。

別に福島県産の食品を食べなくても構いません。おいしい他県産の食品をどうぞ召し上がって下さい。差別的な発言をしないのであれば、ベクレルフリーを目指すのもよいでしょう。福島県産の食品を見かけたら、心静かにパスして頂ければ結構です。私だってすべての不安が解消されたわけではありません。さまざまなことを共に考え、学んでいきたいものですね。

―それでもまだ福島県では子どもたちが死ぬと訴えている皆さんへ

様々なデータが揃っている中で、なおもそうした反知性的な言動を繰り返すことは、皆さんの主張の信頼性をますます損なうことになりますし、皆さんが目指す社会からますます遠ざかることになると思います。仮に皆さんと同じ主張をする方が選挙に立候補したとしても、賛同は得られずに落選してしまうでしょう。

例えば「脱原発」だってそうです。世の中の人たちが「脱原発」に賛同して、それを掲げる候補者に投票しなければ、実現し得ません。賛同者を増やさなければ、皆さんの実現したい社会を作ることはできないのですから、誰かを貶めて自分たちの主張の正当性を訴えるようなやり方は、まったくもってよくありません。

原子力災害の最大の被害県である福島県に暮らす人たちに健康被害がなかったことを喜び、県民の選択を尊重し、これまで自分たちが原子力発電所で作られた電気を使ってきたことを顧みて、そこを出発点に「脱原発」を目指したほうが、たくさんの支持が集まると思いませんか? いや、それでも目指したい社会があるのならそれは尊重しますが、差別は辞めて頂きたい。

―震災からもうすぐ4年 求められる「脱原発」の再定義

福島県差別を繰り返す人々は、一見戦争に反対していたり、安倍政権を批判しているように見えます。多大な負担を強いられている沖縄県にも寄り添っているように見えますし、何より、芸術や音楽を愛している方が多そうに見えます。しかし、そうした方が福島県を差別し、差別的な言動で誰かを傷つけている。これはいったいどうしたことか。

私だって原発事故で大変な思いをした1人です。原発は、やはり減らしていければいいなあと考えています。しかし、「福島ではガンで人がバタバタ死ぬ」とかいう人と一緒に手をつないで未来を共有できるかと言われれば難しい。私は、分からないなりに学び、科学的な視座に立ってデータを読み取り、1つひとつ不安を解消しながら、より現実的で、より誰かを傷つけない手法でエネルギーについて考える人たちと一緒に未来を考えたい。

原発を減らそうと考えるならば、そろそろ(というか遅すぎるくらいですが)、差別主義者とは決別しなければなりません。

「“福島県民に何らの健康被害がなかった”としても、原発事故は、経済的、社会的に甚大な被害をもたらした。さらに、廃炉に至るまで、将来的にも多くの損失、犠牲が伴うことが予想される。よって私たちはこれ以上原発を新設することには反対する」とか、脱原発を再定義(脱原発という言葉も含めて)する必要があると思うのです。これは「リベラル」という言葉とも、大きく関わることかもしれません。

「福島」をどう考えるか。「再定義」の鍵は、それしかないと思います。