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ネイマールの行動が怒りを買った理由は?サッカー選手の倫理観。

小宮良之スポーツライター・小説家
審判に詰め寄るネイマール。(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

5月30日、カンプ・ノウ・スタジアム。スペイン国王杯決勝はFCバルセロナが3-1とアスレティック・ビルバオをリードしていた。そのまま推移すれば、華やかなバルサのセレモニーへ、という流れだった。

ところが、後半40分に"事件"は起きた。

左サイドでロングパスを収めたネイマールが、ビルバオのディフェンダーと1対1で対峙したとき、両足でボールを抱えて相手の頭越しにドリブルしていくプレーを見せた。これはLAMBRETTA(イタリア、ミラノで製造された人気スクーター)と呼ばれる一種のボールコントロールで、スクーターに乗ったように膝を折り曲げ、はねたような状態になるところに名前が由来している。

この技は失敗したが、ビルバオの選手たちが一斉に激昂した。ネイマールに激しく詰め寄り、その行為を非難。その表情は怒気を含んでいた。

「私がビルバオの選手だったら、同じようなリアクションを取っただろう。もしくは、もっとひどい反応を示していたかもしれない」

バルサの指揮官であるルイス・エンリケまでがネイマールをたしなめるような発言を試合後にしたほどだ。

では、なぜネイマールのプレーは怒りの矛先が向けられるのか?

LAMBRETTAはサッカー漫画の幻想的プレーに近く、即興的で、娯楽性は高い。観衆をあっと言わせるプレーの一つであり、ブラジル人は好む。ネイマールだけでなく、ロナウジーニョやロビーニョなどもよく使っている。その一方、曲芸的なプレーであって、成功率の低いプレーだけに、ブラジル以外で実戦で使うと「侮辱的行為」に等しく見られる。「股抜き」などもそれに近い傾向があり、不必要に行うと、怒りを買う。股を抜く、頭上を越す、というのは競技者の尊厳に関わるのだ。

決定的だったのは、試合がほぼ決まりかけた状況だったという点だろう。試合終盤にリードしているチームの選手が繰り出す技としては、挑発的である。もしLAMBRETTAが成功していたら、どうにか業師の面目を保てたかもしれないが、失敗しただけに「遊び半分で馬鹿にしがって」と怒りを買うことになった。いつ、どの状況でならやっていいプレーなのか。ルールブックには明記されないが、やってはならない暗黙のルールが勝負の世界にはある。

「ネイマールは、ブラジルで通用したことはなんでもやっていいと思っているのさ。あいつは今にひどい目に遭うね。80年代だったら、すでに両足をへし折られていただろうよ」

リーガエスパニョーラではそんな過激な発言を洩らす選手がいる。実際、アスレティック・ビルバオのディフェンダーは80年代にディエゴ・マラドーナの足をタックルでへし折った。へし折る、と公言し、へし折ったのだ。

ネイマールは侮辱行為については、すでに"前科者"である。相手を嘲るようなまたぎフェイントをしたり、挑発的な言葉を吐き捨てたり、触れられていないのに派手に転んでみたり、実は同じピッチで戦う選手の間での人気は非常に低い。リーガエスパニョーラの行動規範では許されないのだ。

もっとも、本人にはブラジル人としての確固たる行動規範があるのだろう。ネイマールは一種のナルシズムを燃焼させ、観衆の熱気を沸騰させ、それを力に換え、プレーに生かしているに違いない。

「僕はどんな状況でもこんな感じでドリブルするさ。0-0であってもね。スコアは関係ない。みんなは僕のフェイントに怒っているんだろ? でも、僕はやり方を変えるつもりはないよ。これが自分のプレースタイルだから」

ネイマールは試合後に昂然と言い放ち、弁解することもなかった。

しかしその生き方は、不必要な逆境を生みかねない。

例えばネイマールは、敵地で大量得点をした後に大喜びし、敵サポーターの面前でサンバを踊ることもあった。本人は楽しくて仕方ないのだろうが、これは軽率な行為である。屈した相手を足蹴にするようなもので、怨恨を生み付けてしまう。常勝軍団には、勝ち方の流儀のもあるべきで、さもなくば危険な反則行為の頻発など試合が荒れてしまう可能性がある。事実、かつて同じようにサンバを踊ったチアゴ・アルカンタラを、闘将カルレス・プジョルは激しく叱責している。

フットボールというスポーツは、戦う男たちが持つ倫理観の上に成立する。お互いの敬意を欠いたら、非常に危険な状態になる。コンタクトスポーツとしての秩序を欠くことになってしまう。それは避けねばならないし、なによりも戦う男の倫理的美しさに反する。敵の誇りを汚すことは、自らの誇りをも汚すこと。これはリーガエスパニョーラにおけるプロフットボーラーの不文律である。

ネイマールがビルバオの選手に囲まれそうになったとき、すかさず割って入ったのは、バルサの主将であるシャビ・エルナンデスだった。彼は「なにが起こったのか」を誰よりも早く理解していた。ネイマールの挑発行為が怒りを生じさせるのは当然だろう、と感じたのだ。

「自分らしさ」

そんな言葉で自分を正当化できるのは、十代の選手だけだ。異国には異国の作法があり、不文律がある。らしさ、はそのプロフェッショナリズムの上に成り立っている。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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