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モウリーニョに捨てられたGKの逆転人生。不屈さでつかんだ居場所。

小宮良之スポーツライター・小説家
ベティスの主将としてプレーするGKアダン。(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

今年3月、リーガエスパニョーラ。ベティスのゴールを守るアントニオ・アダンは、ピンチに際して果敢に飛び出し、シューターのボールをがっちりと両手で抑えた。その表情には気骨が感じられる。その日、守護神は敵地に乗り込んでエスパニョールを完封し、勝利の立役者の一人になった。

今シーズン、アダンはサモーラ賞(最優秀GK賞)の候補の一人になっている。神懸かったセービングで試合の流れを変え、リーグ最少得点のチームを堅守で支えてきた。キャプテンとしても、その落ち着きは際立っている。

「僕はフットボールを生きてきた。苦しみも含めてね」

口元に微笑を浮かべて言うアダンは、運命と対峙してきた――。

モウリーニョに捨てられたその後

アダンは名門レアル・マドリーの下部組織でGKとして育っている。そのルーツはエリート中のエリートと言えるだろう。しかしトップチームでポジションを得られる可能性は低かった。なぜなら、"聖なる守護神"と言われたイケル・カシージャスが10年以上もゴールマウスに君臨していたからだ。多くの先輩GKたちも、カシージャスの牙城を崩せずに去っていった。

ところが、アダンは天佑を得る。

2012年12月、当時レアル・マドリーを率いていたジョゼ・モウリーニョ監督とカシージャスの不仲が表面化。モウリーニョは主将でもあったカシージャスを先発から外すというドラスティックな決断をする。それは多くのファンにとって受けられざるもので、当然ながら論争の的になった。

そのとき、モウリーニョから"当てつけ"のようにポジションを与えられたのが、25歳のアダンだったのである。

「日々のトレーニングが評価された結果だと思い、監督の信頼に応えられるように全力を尽くすだけ」

セカンドGKとして3シーズン目になっていたアダンは気丈に言った。どんな理由であろうと、千載一遇の機会にかけていた。

しかし意気込んで出場した試合は、さんざんの出来だった。悪意と中傷を含んだ多くの視線に身を固くしたのか。平静を欠き、そのプレーは乱れ、3失点は「カシージャスならすべて止められたのに」と皮肉を投げつけられた。そして年明けの試合、序盤にPKを献上し、退場処分で終幕となった。モウリーニョがセビージャからディエゴ・ロペスを獲得してカシージャスの代役に据え、アダンは完全に見放されたからだ。

「可哀想に」と彼は同情を買い、憐憫を向けられた。そして次のシーズンには、マドリー退団を余儀なくされることになった。

しかし、アダンは不幸な選手なのか?

「フットボールは一瞬で人生が変わるものさ。だから、どう転んでも生きていくしかないんだよ」

そう語るアダンは運命に翻弄されながらも、自らの人生と正面から向き合ってきた。

「(2010年に)トップデビューできたときは、チャンピオンズリーグの消化試合でカシージャスは温存、第2GKのデュデクが出場したんだけど、怪我で僕に出番が回ってきた。GKはそういうもんさ。だから、モウリーニョが信頼して使ってくれたとき、僕はそれに応えようと必死だったよ。でも、それがうまくいかなかった。PKで退場になって終わりさ。フットボールはそういう残酷さも孕んでいる。ただ、僕はその後(2013年夏)もセリエAのカリアリに移籍し、一歩を踏み出している。そこでもうまくいかなかったんだけど、落ち込んでいても仕方ない。代理人と話し合い、自分を必要としてくれたベティスに(2014年1月)入団した。そのチームが2部に降格したときはショックだったよ」

アダンはあけすけに言った。彼はマドリーで失脚した後も、戦い続けてきた。積極果敢に、一度も諦めずに。

「2部降格が決まったとき、いつも席を埋めてくれるファンと苦痛を分かち合えることができた。ベティコ(ベティスファン)は"死ぬまでベティス"とクラブを愛する人々だけど、"彼らに希望を与えられるのは自分だ"と思ったのさ。満員のスタジアムでゴールマウスに立つと気持ちが奮い立つんだ。おかげで、(2015年夏に)1部復帰を果たせた。ベティコはオープンに、優しく僕を迎えてくれて、それが力になったんだ」

そして今シーズン、アダンはリーガを代表するGKの一人に返り咲いた。終わりの見えない流転の末に。

「これが正しい生き方かどうか分からない。でも、僕はフットボールを生きているよ。喜びも悲しみも」

苦しみも隣り合わせなのだろう。

3月19日、30節はマラガとのアンダルシアダービー。アダンは前半から好セーブ連発だったにもかかわらず、終盤に不用意な飛び出しによって失点を喫し、戦犯となってしまった。GKはたった一度のしくじりで人生が大きく変わってしまう。因果な商売である。しかし、彼はその酷烈さとの向き合い方をすでに心得ている。痛みすらも運命と開き直って――。

アダンはこれからも逞しくフットボールを生きるだろう。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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