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メッシ代表引退につながる10年前のインタビュー。アルゼンチン人独自の勝負論

小宮良之スポーツライター・小説家
アルゼンチン人であるメッシにとって、勝利だけがすべてだった。(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

2006年1月、筆者はリオネル・メッシにインタビューをしている。メッシは当時18歳ながら、所属するFCバルセロナで才能を煌めかせつつあった。ロナウジーニョらスター選手に可愛がられ、前年にトップデビューを果たすと、リーグ優勝も経験している。そしてバルサのチャンピオンズリーグ制覇に向け、意気軒昂に勝ち上がり、日々変身を遂げている最中だった。

そのメッシへの質問で、少し意外な返答があった。

―今までのキャリアで、一番嬉しかった瞬間は?

「アルゼンチンUー20代表で優勝したときだね。具体的に言えば、(2005年に)オランダで行われたワールドユース(現在のUー20W杯)、ナイジェリアを相手にPKを決めて勝った瞬間さ。アルゼンチン人にとって、水色のユニフォームで勝つというのは超が付くほど特別なものなんだ。たぶんその感覚は、他の国の人には伝わらないだろうけどね」

当時のメッシは顔の変化が乏しく、思いを言葉で説明するのを嫌うところがあった。しかし水色のユニフォームを纏い、PKを決めて勝った一場面を思い出したとき、少年はうっとりした表情を浮かべた。

<この少年は血液まで水色なのかもしれない>

そう錯覚させるほどの執着だった。

だから筆者にとって、今回の「代表引退」は想定外ではない。

2016年のコパ・アメリカ決勝で、メッシはPKを外し、敗れている。決勝のチリ戦、メッシは戦犯といわれるほど悪いプレーをしていたわけではない。しかも、PKなどはくじを引くようなものだろう。

しかし、頂点に立ったのは敵だった。

敗北という事実は、人が考える何倍もの重力でメッシの心を押し潰したのだ。

アルゼンチンに敗北を糧にする文化なし

なぜ29歳という絶頂期とも思える年齢で、メッシは代表を引退するのか?

「バルサでプレーするときのように、思い通りにプレーできないから」

「国内ファンの要求が高く、"フル代表ではノンタイトル。全力を出していない"という批判に嫌気がさした」

「脱税疑惑などで疲れ、代表も含めて利害関係にこれ以上、身を投じたくない」

「AFA(アルゼンチンサッカー協会)が組織として機能していない」

「体力的にスペインと南米の往復は負担になってきた」

それら巷で語られる憶測は、どれも一理あるだろうが、本質を突いてはいない。

では、現在アルゼンチン代表の指揮を執るヘラルド・マルティーノ監督への失望はどうだろうか?

マルティーノの戦い方は時代遅れの南米式、個の能力や精神力に頼ったものである。バルサで監督していた2013-14シーズンは「空白の1年」と揶揄される。2008-09シーズンから現在まで、バルサはリーガエスパニョーラ、コパデルレイ、チャンピオンズリーグと主要タイトルを毎年、必ず取っているが、マルティーノ時代のみ戴冠がない(開幕前のスペインスーパーカップだけ)。戦術を欠いたチームは、この1年で著しく弱体化した。

メッシも個人プレーが増え、奮闘すればするほど空回りした。アルゼンチン代表でも、その様子は大きく変わっていない。例えば今大会の決勝も、ディアスの退場を誘発させたドリブルは迫力があったが、たいていは持ちすぎては潰されていた。連係が乏しく、有効なパスが届かなかった。集団としての連動性がないだけに、孤立していた。

<このチームでは自分はなにも貢献できていない。むしろ、足かせになっている>

責任感が強いメッシがそう感じても、不思議はないだろう。

ただ、メッシは誰かのせいにして代表を後にする、というタイプではない。

「ロッカールームで考えたんだ。自分にとって、代表は終わったって。自分のためじゃなくて、みんなのためにその方がいいって」

メッシはそう告白している。

「僕らは決勝まで進んだけど、それだけでは満足しないチームさ。アルゼンチンをチャンピオンにするため、頑張ってはみたけど、そうはならなかった。(優勝を)達成できなかったんだ。今はとてつもなく悲しい。PKを外したことは、自分にとってはすごく大きな意味を持っている。信じられないことだけど、決勝のPK戦でまたしてもこういうことになってしまって」

2015年のコパ・アメリカも、アルゼンチンは決勝でチリにPKによって敗れている。VTRのような悪夢だった。2014年ブラジルW杯から数えると、3度続けての決勝での敗戦。それは、メッシの自尊心を著しく傷つけた。

生来の勝者は、かつてのインタビューでこう洩らしていた。

「僕は全部勝ちたい。どれか(のタイトル)を選ぶなんてとてもできないね。どうしてそこまで勝つことにこだわれるのか? それはアルゼンチン人だからさ。僕はどんな試合でもすべて勝つ、という気持ちでやる。アルゼンチン代表だったら、なおさらでしょ? 負けたら?そんなこと、僕は想像もしない」

アルゼンチン流というべきか、面食らうほどの徹底的勝利主義で、敗北を憎んですらいた。

我々日本人の感覚では、丸ごと理解することはできないだろう。

「敗北を糧に強くなる」

その考え方が、日本人には浸透している。多くの競技で、「負けは悔しいですが、今後のいい経験にしたいと思います。自分がどこまでやれるか、なにができないのか、が分かりました。それを忘れずに練習し、次に生かしたいと思います」というコメントを聞いたことがあるだろう。我々は挫折を乗り越える、という教育を受け、文化を持っているのだ。

アルゼンチン人は総じて、我々が慣れ親しんできた感覚が欠落している。昔、アルゼンチン代表MFのパブロ・アイマールにインタビューしたときのことである。敗北から学び取る、という筆者の問いに、彼の口から出た言葉は日本人としては受け入れがたかった。

「敗北から学び取る? そんなことあり得ない。負けた人間がどうやって成長できるんだい? フットボールの世界では、勝った人間だけが学び、成長できるんだよ」

敗者には語る価値もない。勝者のみが生き残れる。それはもはや一つの文化で、流儀と言える。

「(メッシだけでなく)もっと多くの選手が水色のユニフォームを脱ぐことになるかもしれない」

セルヒオ・アグエロが意味深長に語っているように、メッシの代表引退の衝撃は伝播するかもしれない。3大会連続の2位は3大会連続の敗北。アルゼンチン人にとって、それだけ敗北は重く、受け入れがたいのだ。

メッシは敗者である自分を許せないのではないか。それがたとえ、PK負けというくじ引きのような形式だとしても。負けは負けだ。

そう考えると、10年前に聞いた彼の答えが腑に落ちる。PKで頂点に立った瞬間の歓喜、相手やプロセスはどうでもいい。勝者の栄誉だけが、自分を満たす――。

「行かないでくれ」

アルゼンチンの大手スポーツ誌「Ole」はそんな文言で跪くメッシを一面に載せている。これだけ偉大な選手が、フル代表ではなんのタイトルも勝ち取れずに去っていくのは惜しいことである。だが、アルゼンチン人らしい決別にも思えるのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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