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名古屋、小倉監督解任。相次ぐJリーグ監督クビ問題の「怪」と必然。

小宮良之スポーツライター・小説家
17試合勝ちなしという不名誉な記録で解任された名古屋、小倉監督(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

先月、Jリーグは監督解任が相次いだ。

J1ではFC東京の城福浩監督、J2ではジェフ千葉の関塚隆監督、FC岐阜のラモス瑠偉監督が解任されている。いずれも成績不振がクビの要因だった。

事態を好転させるためには、リーダーを代えるしかない。プロの競争において、成績の良いクラブと悪いクラブが存在するのは一つの摂理。監督解任は世界的にも珍しいことでもなんでもない。

しかしながら、お粗末な監督解任だった。

前任のマッシモ・フィッカデンティを継いだ城福監督は、1年のブランクと経験実績(下位チームを率いて残留させただけで、アジア制覇を狙うチームを束ねられるか?)が当初から不安視されていた。開幕してからその疑惑は深まり続け、ファーストステージ後半には、選手が「どう戦えばいいか分からない」と混乱。最後は半ばパニックの状態だった。

関塚監督は自身が昨季チームを昇格させられなかったにもかかわらず、選手を総入れ替えして臨んでいる。選手のクビを切れないからこそ、監督のクビを切るというのが常道だろう。成績が落ち込んだ段階で、その命運は尽きていた。

ラモス監督も続投が不思議だった。選手を入れ替えるだけ入れ替え、地盤を作れていない。

いずれも、"詰んだ"状態で解任を言い渡されている。監督登用からして疑問符が付いていたのだ。

では、問題の本質はどこにあるのか。

答えのヒントになるのが、内部昇格によってコーチが後任監督に選ばれている点だろう。クラブは状況に泡を食うだけ、新任監督を用意できていなかった(あるいは、その気もない)。そもそも、監督を選定する側の目に甘さがあるわけだが、監督を「店長交代」のように扱ってしまっている。

サッカー先進国では、トップを切ってナンバー2を据える、という人事は原則的にあり得ない。欧米では監督とコーチは一つのチームを組む。それだけに首脳陣は連帯感が強く、現場に対して自然にガバナンスが生まれる。コーチが選手の愚痴を聞き、監督の悪口を言い、そのポストを狙う、という"謀反の気配"が生まれないのである。

一方、日本では監督とコーチが一応、上司と部下という序列はあるが、そこに封建的な主従関係はない。「勝利は俺の手柄」なんてほくそ笑むコーチが少なくない。選手の前で、コーチが監督に反抗する、という信じられない光景まで見られる。監督が去ったら、コーチにそのポストが巡ってくるのが通例だけに、監督が強い統率力を手に入れにくい。

アルベルト・ザッケローニは日本代表監督に就任するとき、ヘッドコーチ、フィジカルコーチ、GKコーチ、戦略担当など自らのチームの入閣を条件にしていた。欧州や南米では、監督を絶対的頂点にしたグループがチームとして機能するのが基本である。

「さもなければ、監督は背後から銃で狙われている気分だよ」と監督は明かす。指揮官は決断を迫られ、大きなストレスを抱えて仕事をしている。コーチは従順にそれをサポートする必要があるだろう。トップリーダーの権威は堅牢に保たれなければならない。欧米で監督は「ミスター」(スペイン語、イタリア語、ポルトガル語ではミステル)と敬称で呼ばれ、尊敬されている。監督は、特別な存在なのだ。

もちろんクラブにとって、監督とコーチをそっくり代えることは、出費がかさむ。しかし"総辞職"によって正常な指揮権交代を生む。監督は自然に統率力と責任が問われる職務となるだろう。

本来、コーチが卑しく繰り上がるべきポストではない。監督として成熟したいなら、カテゴリーを下げても結果を残し、這い上がってくるべきだろう。コーチから監督になるなら、指をつめる覚悟がいると言われる。事実、欧州の監督は自分の参謀が後釜に座ったとき、絶縁に近い態度を示している。ヨハン・クライフはチャーリー・レシャック、ジョゼップ・グアルディオラはティト・ビラノバ、ジョゼ・モウリーニョはビラス・ボアスらとほぼ縁を切った。

その鉄則が守られない、甘い環境が、日本サッカーの指導力が停滞したままの一因かもしれない。

名古屋、小倉監督解任は「店長交代」

そして、名古屋グランパスの小倉隆史監督の解任は深刻だろう。なぜ名古屋のようなビッグクラブが監督歴のない人物を招聘したのか? GMを兼任とは信じられなかった。理解に苦しむ人事で、彼らは戦う前から敗れていた。

名古屋は今月、マケドニア代表監督も務めたボスコ・ジュロブスキーがコーチとして着任。監督になる既定路線だったに違いない。「リスクヘッジ」と言えば聞こえはいいが、「店長交代」であって問題の本質転化に過ぎないだろう。小倉監督解任劇は、日本サッカーにおける監督のあり方を改めて問うべきものになっている。

「よりサッカーについての理解を深めたい」。そう言ってサッカー解説業にいそしむ人たちがいる。解説業自体はなにも悪ではない。しかし解説で指導者としてのスキルアップとは虫が良すぎる。

組織を束ね、決断し、一つの方向で戦わせる。そんな監督の仕事において、解説者として学べることなど皆無に等しい。欧州では、指導者と解説者は異なる道を行く。もちろん、指導者がスポット的に解説者契約を結ぶことはあるが、何年も現場を離れることはない。言わんや、解説業しかしなかった人間がトップクラブを指揮するなど噴飯もの。プロサッカーの低いレベルを喧伝するようなものだ。

「ジダンは監督業を冒涜している!」

スペインでも、指導者たちがこぞってジネディーヌ・ジダンを非難したことがあった。ジダンはレアル・マドリーのBチームで役職的にはコーチをしていたのだが、実質的には監督として働いていており、監督ライセンスがそのレベルを満たしていなかった。英雄だから、3部リーグだから、といって容赦はない。

「監督は監督として然るべき階段を踏め!」。プロの監督たちはそこを曲げない。そうした自負心が、監督の覚悟、監督の重要性にもつながっている。

その真理を弁えていたジョゼップ・グアルディオラ監督(マンチェスター・シティ)はバルサのBチームを昇格させる功績を残した上で、トップチームを率いた。今季からパリSGを率いるウナイ・エメリも3部のチームで経歴をスタート、マンチェスター・ユナイテッドのジョゼ・モウリーニョもコーチ経験を積み、ポルトガルの中堅クラブから抜擢された。リバプールのユルゲン・クロップも2部のクラブを昇格させ、注目された監督だ。

有能な監督は"監督としての歩み"を進めているが、実は欧州4大リーグの優勝監督もすべてこれに当てはまる。

スペイン王者バルサのルイス・エンリケはバルサBを昇格させ、セルタ、ローマを率いた後に、その任を受けている。ドイツ王者バイエルン・ミュンヘンを指揮することになったカルロ・アンチェロッティも、(2部の)セリエBで監督キャリアを始めた。イングランド王者レスターのクラウディオ・ラニエリも(3部の)セリエCから、イタリア王者のユベントスのマッシミリアーノ・アッレグリも(4部の)セリエC2が出発点だった。

かつて最強を究めたACミランが急速に弱体化した理由は逆説的だろう。ここ数年、ミランはレオナルド、クラレンス・セードルフ、フィリッポ・インザーギ、クリスティアン・ブロッキなど監督経験のない人物(あってもユースで1年程度で、プロチームは率いていない)を監督に招聘してきた。いわゆる人気人事。過去にミランで活躍した「レジェンド」と期待する人もいたが、プロの世界は甘くはない。

優秀な監督には、まず監督を評価する眼力が必要だろう。強化責任者が蒙昧なら、いい監督が生まれるはずはない。割を食うのは選手たちである。

お粗末な監督解任劇。

それは行き着くところ、選んだ人間の不始末なのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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