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久保は日本サッカー界を牽引する逸材か?消えていった「もう一人のメッシ」たち。

小宮良之スポーツライター・小説家
Uー16日本代表として戦う久保建英(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

インドで開催されているUー16アジア選手権。飛び級で参加する15歳の久保建英が躍動している。グループリーグではゴールを連発。準々決勝でUAEを1-0としぶとく下し、Uー17W杯出場を決める原動力となった。

「超逸材」「東京五輪の主役」「日本サッカーの救世主」

派手なフレーズで、久保は賞賛を受けている。

すでに所属するFC東京の二種登録が完了した。背番号は「50」。プロデビューに向け、準備は整っている。

では、少年はこの国のサッカーを牽引する存在になり得るのだろうか?

メッシは奇跡に近い存在

「日本のメッシ」

もはや、それは久保の代名詞として定着している。バルサに所属するサッカー界の英雄、リオネル・メッシとの共通点に由来しているのだろう。小柄で左利き、ボールスキルが高く、俊敏さも備える。なによりバルサのアタッカーとして薫陶を受けた、という点は大きい(現地スペイン人もこのフレーズを用いている)。

「Crema」(クレマ)

スペイン人記者の一人は、バルサ時代の久保をそう表現していた。Cremaはスペインではクリームを意味し、それが上品で贅沢なものとする感覚から、転じて「極上の部分」を意味している。それだけ際立ったスキルだった。

「タケは左利きで素早く、ボールを弾く感覚やシュートに入るセンスが抜群だった」

そう語ったのは久保少年と同じチームに在籍したニコラスの父、フランだ。フランはデポルティボ・ラコルーニャの左利きMFとしてリーガ、スペイン国王杯優勝を経験。スーペルデポルの一員で、スペイン代表としてEURO2000にも出場している。

「当時、タケがいたチームは、メッシ、ピケ、セスクが一緒だった黄金世代と比べても、遜色がなかったよ。メッシたちの世代もインファンティル(12―13才)からカデテ(14―15才)に昇格して一気に注目された。もしタケがカデテまで進んでいたら、きっとそうなっていただろう」

14歳になる前に久保が帰国せざるを得なかったことで、その夢は潰えているが、未来を見いださせるような存在だったことは間違いない(2014年4月、国際サッカー連盟(FIFA)は、バルサが未成年選手の海外移籍禁止の条項に違反し、違反によって獲得した10名を18才まで公式戦出場禁止とする裁定を下した。久保はEU外選手、両親がサッカー以外の理由で移住という特約にも当たらなかった。18歳でバルサ復帰?という話も)。

しかし、メッシと誰かを比較することはなにも特別なことではない。

実はバルサはこれまでも、「メッシのようなアタッカー」を育成しようと何年も手を尽くしてきた。その試みは今も続いている。それぞれのカテゴリーに、「もう一人のメッシ」がいるのだ。

「状況判断などあらゆる意味でのプレースピードがあること。独特のリズムを持ち、タイミングとスキルで相手を制せる。そしてゴールにつながる決定的仕事ができる。できれば左利き」

筆者はその3つの必須条件を満たした「もう一人のメッシ」に取材したことがある。

一人はメッシの前にその条件をクリアしていたナノ。99年夏に17歳でトップチームにデビューし、時期はメッシよりも早い。左足のキックにスケールを感じさせ、当時はリバウド二世と騒がれた。しかし怪我によって出場機会を失い、舞台に戻ることはなかった。

「当時のバルサは毎年監督が代わる有様で・・・。なにもかもうまくいっていなかった。そこで左足の靱帯を切ってね。好機をつかみそこねたのさ」

ナノは明かしてくれたが、運も実力というのが厳しいプロの世界と言えるか。現在は34歳で、3部リーグでプレーしている。

もう一人は、「メッシの後継者」と言われたガイ・アスリン。12歳でバルサに入団し、2007-08シーズンにはジョゼップ・グアルディオラ監督が率いたバルサBでプレーし、二桁得点で昇格に貢献した。同シーズン、16歳でイスラエル代表にも選出されて将来を嘱望されている。

しかしバルサのトップチームには定着できなかった。現在は25歳で、7チームを渡り歩いたものの目立った活躍は残せていない。アスリンは右利きだったものの、髪型やサイズまでメッシに似ていたが・・・。

「先駆者をアップデートする力がないと、この世界は生き残れないんだよ」

これはアスリンを指導したグアルディオラの言葉である。メッシが出た以上、メッシ以上のなにか、を見せられるようにならないと話にならないということか。あるいは単純に、高いレベルを生き抜く力がなかったと言うことか。

二人はプロとしてのキャリアを積み上げているだけで、成功者とも言えるだろう。ユース時代の栄光だけで消えていった者たちもいる。メッシとは、奇跡に近い存在なのだ。

久保はメッシと比較されることが多いが、タイミングを計って仕掛ける熱量や強度はとても及ばない。メッシは昔から小さな体を気にせず、大男の群れにも突っ込んでいった。加速力と突進力で"弾雨"をかいくぐれた。久保は動きを読む目と裏を取りながらテンポでかわす技術は見事だが、ボールを触ってゲームを作り、同時に得点に絡むタイプだろう。あえて近い選手を探すなら、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスに似ているかもしれない。

左足の決定力。

突き詰めれば、そこに特性はあるように見える。シュート技術の高さは格別。そこに本当のアドバンテージがあるだろう。

しかし、才能の煌めきとは危ういものである。

プロの世界は雷電のような速さで更新されていく。スペインのようなサッカー先進国では16歳で一つのふるいにかけられ、そこで単なる上手い選手は次々に脱落していく。そして18歳前後では頻繁に逆転現象が起こる。早生まれで身体的優位だけで勝ち誇っていた選手は落第し、技に溺れた選手も自ら罠に落ちる。主力が伸び悩む一方、無印だった少年が一気に成長を遂げる。競争の中で世界はどんどん更新され、過去の評価など役に立たない。

Uー16代表(Uー17)が世界大会に出場するニュースは朗報である。しかし実状、その年代で代表に定着するような選手は多くて3人。ゼロの場合も少なくない。これは特筆に値する。選ばれなかった選手たちの方が、反骨心で上達するからか。この年代の力量差は単なる目安でしかない。簡単に転ぶ程度のものなのである。

久保とその世代はその奮戦によって、世界大会の出場機会を得た。しかし、15歳の少年はまだ何者でもない。にもかかわらず、今後は日本サッカーを背負う――。そんな空気は正しくないだろう。余計な重圧を与えるだけである。 

もっとも、18歳のメッシにインタビューしたときだった。驚くべきことに、彼は気負いなく言っている。

「サッカーをするときは、どんなプレッシャーも気になりません。ピッチでは誰にも負けたくないというだけで。ボールが足下に入れば、怖いものはないです」

それが真の王者の矜持なのかもしれない。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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