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もしハリル解任→手倉森コーチ監督昇格なら。「日本サッカー凋落」のはじまり。

小宮良之スポーツライター・小説家
ベンチのハリルホジッチ監督。(写真:ロイター/アフロ)

今年9月、リオ五輪サッカー代表監督を務めていた手倉森誠監督が、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督率いるフル代表のコーチとして入閣することが決まっている。そのニュースは、世間で好意的に受け入れられた。

「次世代の突き上げが待ったなしで求められる中、リオ五輪世代を知る手倉森コーチが果たす貢献は大きいのでは」

そんな論調だろうか。

しかし日本サッカーが世界基準を目指すのであれば、強烈な違和感を覚える。直前まで監督だった人間がコーチとして入る。それはサッカー先進国では一般的ではない。

さらに、憶測を呼んでしまう。

10月、ロシアW杯アジア最終予選でイラク、オーストラリアとの連戦を終え、批判を浴び続けるハリルホジッチの戦い方が協会内で検証されることになった。11月のサウジアラビア戦次第では解任もあり得る。ハリルホジッチは、針のむしろだろう。西野朗技術委員長は今から後任探しで候補者をリストアップし、裏交渉を始めなければならないが、そもそも選手監督一筋の人だけに・・・。

「ハリルホジッチがどうにもならなくなったとき、替えが利く」

この甘い発想で、手倉森コーチ入閣があったとしたら――。

見直されるべき「監督とコーチは違う職業」

サッカー監督は責任と特権を持っている。現場でのあらゆる決断を行う。それ故、サッカー監督は専制的、独裁的でなければならない特性を自ずと持つ。

「チームスタッフに次期監督の候補者がいる」。そうしたシチュエーションは、極めて歪と言える。他のスポーツはいざ知らず、サッカーにおいては正常なガバナンスが働かなくなる。監督の決断、実行力が鈍り、狂ってしまうのだ。

日本では指導者と一括りにされるが、監督とコーチは違う職務である。監督は決断し、束ね、コーチはひたすらそれをサポートする。両者は本来、主従関係に近い。例えばJリーグのあるクラブは、コーチが選手と一緒に監督の愚痴を言い、終いには政権を転覆させたが、こんな人物は指導者の風上に置けない。監督になる野望がある限りは(もしくは完全に隠せないなら)、コーチの職分を果たせないだろう。

かつて、名将ジョゼ・モウリーニョは参謀ビラス・ボアスと蜜月を送っていた。しかし、ビラス・ボアスが監督への色気を出した頃からだった。関係は悪化し、口論が絶えなくなり、やがて破局した。

「モウリーニョとのタッグは自分のキャリアでも最高の時期だった。彼のことを尊敬していたし、彼のようになりたい、と思った。でも、関係は壊れてしまったね。誹謗中傷があったのかもしれないし、モウリーニョ自身が人を近くに寄せすぎるのを嫌ったのかもしれない」

ビラス・ボアスはその破局理由を明かしているが、監督とコーチはパートナーではあっても、同時に封建的関係も結んでいる。ビラス・ボアスが「モウリーニョのようになりたい」と色気を出した時点で、その関係は終わったのだろう。モウリーニョとしては、ビラス・ボアスが自分と同等の影響力を持つのを許さない。それはコーチの領分を超えてしまい、監督の領域に入ってしまうからだ。

監督とコーチの破局は、特別なケースではない。ヨハン・クライフはチャーリー・レシャック、ジョゼップ・グアルディオラはティト・ビラノバ、キケ・サンチェス・フローレスはフラン・エスクリーバと"別れている"。コーチが監督に"転職"する場合、"指をつめる"ような覚悟が必要になる。一方、たとえ敵対しても監督として独り立ちする、という出発には決意が生まれ、それを支持する人間も出てくる訳だが・・・。

直前まで監督だった手倉森氏がコーチに入閣する。

それはガラパゴス的な人事で、とても奇異に映る。

監督は荒野を生きる

Jリーグでは今シーズンだけでも、柏レイソル、FC東京、アルビレックス新潟、ジェフ千葉、FC岐阜などが"内部昇格"でコーチが監督に成り代わっている。新潟の北嶋秀朗コーチのように、解任された吉田達磨監督と運命をともにしたケースの方が断然に少ない。名古屋グランパスに至っては、用意周到に小倉隆史監督の能力に見切りをつけた後、解任の2節前にボスコ・ジュロヴスキをコーチに招聘している。

手倉森コーチの代表入閣には、似たような段階策が透けて見えてしまう。もし、「監督を切ってコーチを据える」が正義として罷り通ってしまうなら――。日本サッカーが世界と伍することはあり得ない。首脳陣に揺るぎない責任感は生まれず、必然的にガバナンスも働かないだろう。なぜなら選手から見て、「トカゲの尻尾切り」のようなぬるい組織で、どうやって"人生を懸ける戦いをしろ"と選手に伝えるのか?

これは代表であれ、クラブであれ、何ら変わらない。

欧州では監督を解任される場合、基本的にコーチスタッフも丸ごとクビを切られる。これは残酷物語ではない。コーチは一所懸命で監督に忠実に奉公するもので、監督が潰れたら自分も潰れる。その一蓮托生こそが、組織としての統率の強さを生む。必然的に選手の腹も据わる。

「監督は荒野を生きる」

筆者が欧州で取材する間、そんな流儀を聞いたことがある。どの監督が言ったのか忘れたし、どの監督も言っていたような気がするが、監督のあり方を神妙に言い表している。荒野を生きる強さがあるからこそ、現場の数十人に号令を下せるのだ。

棚ぼたのような監督交代があったとしたら――。それは日本サッカーの衰退の序章である。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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