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保育士の月給4万円増 職場環境は改善するか?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

保育士の処遇改善の議論が盛り上がってきている。12月19日、政府は保育士の処遇改善の枠組みについて予算案を確定した。背景には深刻な保育士の人手不足がある。

対策の内容は、来年4月から、民間の認可保育所で働く経験年数7年以上の中堅保育士約10万人を対象に、「副主任保育士」「専門リーダー」の役職を新設し、月給に4万円を上乗せするというものである。

また、経験年数3年以上の若手向けに「職務分野別リーダー」職を新設し、研修修了を要件として月給5千円を加算。その他に全体として、保育所等で働く全職種の給与も2%(月額6千円程度)上げるという。

「中堅10万人対象に、月給で4万円上乗せ」 毎日新聞 2016/12/19

果たして、今回の政策は保育士の待遇改善と人手不足解消にとって有効なのだろうか。今回はこの政策の効果について、民間保育園からの労働相談の現場の視点から報告する。

今回の政策の背景

まずは、保育士の離職状況の現状を確認しておこう。

厚労省によれば、保育士の離職率は、年間に10%を超える。また、潜在保育士に対する調査では、3年未満離職率は30.2%、5年未満離職率が50.7%にもなる。せっかく保育士になったとしても、早期離職し、保育業を離れてしまう場合が多い実情が分かる。

このような高い離職率の背景として指摘されてきたのが、保育士の待遇面での悪さである。厚労省が行った「保育所・幼稚園・認定こども園等に係る実態調査」の中間結果によると、保育士の平均月給は私立保育所が約26万円(平均勤続年数9.6年)、公立は約29万円(平均勤続年数10.1年)であるという。

経験年数が10年を超え、主任や園長などの職位につくことができれば、給与水準は上昇する。しかし、平均勤続年数を見ると分かるように、そこに到達する前に多くが辞めてしまっている。このため厚労省としては、中堅層に対し段階的に昇給できる仕組みをつくり、離職防止につなげようと考えたのだ。

新しい昇給制度で離職問題は改善するか?

今回の処遇改善案は、保育士のキャリアアップの仕組みともなり、保育業界の処遇改善としては評価すべきものだと私は考えている。その一方で、離職率の改善の効果に対しては、疑問もある。

端的に言って、若手保育士も幾分かの給与アップはあるだろうが、それだけで離職は防げないだろう。過去の拙稿(大手保育園で横行する労働基準法違反 辞める前に行政を動かそう)でも紹介したように、若い保育士が違法行為によって使いつぶされていく現状があるからだ。

数多くの保育士から相談を受け付ける介護・保育ユニオンによれば、現場で起きている労働基準法違反が、若い保育士を過重労働に追い込み、早期に離職させている実態があるという。同ユニオンによればは、ユニオンへの相談者の8割以上が労基法違反を訴えている。

毎日新聞 保育労働相談 8割に違法疑い 賃金未払い、休憩取れず

仮に新しい昇給制度が整備されたとしても、違法な長時間労働や給与不払の頻発を放置すれば、政府が予定したとおりの改善が実現されない可能性が高い。それほど、保育の現場で違法行為は「当たり前」に横行してしまっているのだ。

では、具体的には、どのような違法行為が保育士業界に蔓延しているのか。実例を挙げていこう。

一つ目の事例は、新卒で民間保育園に入社した20代の保育士Aさん。

Aさんの一月の総支給額は18万円だった。だが、この保育所では毎日1~2時間程度の残業があり、ひと月の残業時間は30~40時間もあった。そのうえ、行事の前には持ち帰り残業も多かった。持ち帰り残業が多い月は、月で60時間以上の残業をこなしていた月もあった。

残業代は適切に支払われておらず、ユニオンが計算したところによると、1年間の未払い賃金は約90万円であるという。具体的な残業としては、連絡帳の記入などの事務や保育に使う制作物づくりなどがあげられる。運動会やお遊戯会の衣装などに関しても、保育士たちが分担して持ち帰り、家で作業をするのは当たり前となっていた。これらは、当然ながら業務であり、本来は残業代が支払われなければならないものであった。

また、休憩も基本的にとれなかった。園児が昼寝をしている部屋での休憩を強いられ、園児が起きてくるとその相手をしたり、園児たちの連絡帳を書いたりする必要があった。これらの違法な労務管理の結果、多くの従業員が入社数年以内で辞めていく職場となっていた。ユニオンに相談した当事者は入社1年後に退職しており、同期入社の数名は1年持たずに辞めていったという。

数々の労働基準法違反に対し、ユニオンは組合員を支援して労働基準監督署に通報。現在の職場は改善されているという。

次に、ある大手企業の運営する保育園の例を挙げよう。Bさん(30代、女性)は3年前から大手企業の経営する保育園で働いてきた。

保育士の仕事は子どもの相手をする保育のみでなく、保育の記録を書く児童票や保育計画の作成、クラス通信の作成、催し物の準備など膨大な量の事務作業がある。この保育園ではこれらの残業代が一切支払われなかった。

しかもこの保育園には、他の多くの保育園と同じように十分な数の保育士がいない。だから、子どもがいる間、保育士は保育のみにしか当たれず、事務作業は子どもがいない間にやるしかない。

そのためまず、子どもの個人情報を取り扱う必要のない行事の準備などは、持ち帰り。もちろん賃金はつかない。さらに、子どもの保育の記録などは、シフトが終わった後に、消灯で暗くなった部屋で園長にばれないように静かにこなしていくのだという。

こうしてたまった「もらえるはずの残業代」は、持ち帰らずに保育園内で働いた分だけでも、年間に130万円に上る。

この保育所では、労基法違反やパワハラなどのせいで毎年多くの若い保育士が辞めていき、「若い人が定着しない職場になっている」という。

過酷業務で疲弊する保育士たち

これらの事例を見ると、「昇給させれば問題が解決する」というわけでもないことが良くわかるだろう。問題は過酷な業務内容であり、しかもその多くが「不払い労働」であるために、心身ともに疲れ切って保育士は退職している。

もちろん、段階的な昇給策は保育士のモチベーションを高めるだろうが、そもそも月額4万円の資格対象となるまでの「7年間」を新人が乗り越えられるのか、はなはだ疑問である。また、経験3年未満の労働者に対する月額5000円を追加する措置も、圧倒的な「不払い労働」に比べて魅力に欠けるといわざるを得ない。

保育士の離職を防ぐには、労働基準法違反の是正が重要

そこで重要になるのが、違法行為の是正である。

そもそも、Aさんの事例のように1年間の未払い賃金が90万近くというのは、1か月に直すと約7万5千円である。Aさんの場合、法令通りに残業代が払われていたとすれば、月給は約25万円程度になっていた可能性がある。つまり、サービス残業が是正されるだけで、保育士の月給は数万円の増加が見込めるのだ。

一方で、不払い残業が是正されたとしても、労働が過酷であればやはり離職率は高止まりするだろう。人員を増員し、残業時間そのものを減らすための措置を採ることも重要だ。そのためには、子供の人数に対する保育士の定員を定めた「配置基準」の見直しが必要になる。

実は、この「配置基準」の見直しのためにも、やはり違法労働の取り締まりがカギとなる。なぜなら、不払い労働が当たり前になっている状況では、国は「うまくいっている」とみなし、いつまでも「配置基準」や「必要予算」を見直そうとはならないからだ。

違法労働を告発しない限り、違法労働は「存在しないもの」として扱われ、予算には換算されないのである

一方で、経営者サイドから見ても、「サービス残業くらいしかない」「休憩が取れないのはこの業界では当たり前」と経営者が労働者を押さえつけるほど、業界そのものが苦しくなっていく。業界を改善するための労使の利害は一体のはずなのだ。だが、なかなか経営者の側から不払いの現実を認め、国に改善を求めることは難しいだろう。

労働者の告発によって、不払い労働の取り締まりが強まれば、経営者は「配置基準」の変更を待たずに増員をせざるを得なくなる。そのことは、現状に閉塞感を抱えている経営者を巻き込んで、積極的に国に問題提起することにもつながっていく。

労基法の適切な適用は、労働条件を改善し、さらには業界の改善を進めるための起爆剤となり得るのだ。

まずは、違法労働の告発を!

以上のように、「配置基準」の見直しや、行政が考える運営費を増額する政策を実現させていくためには、保育の現場で働く保育士自身が、現場の労働基準法違反の告発を行っていくことが有効だ。

末尾に紹介する相談機関は、労働基準法違反を是正させるための支援を行っている。労働基準監督署の利用や会社との話し合いは、一人でやりきることは難しいが、専門家に相談すれば道は開けることが多い。労働基準法違反の職場で働く保育士の方は、ぜひ一度相談機関に相談してみてもらいたい。

なお、ここで紹介した介護・保育ユニオンは年末年始も労働相談を受け付けるという。仕事に追われ、休みが年末年始ぐらいしかないという方は、こちらの窓口を利用してみるのもよいだろう。

年末年始も対応する無料労働相談窓口

介護・保育ユニオン

TEL:03-6804-7650

メール:contact@kaigohoiku-u.com

HP:http://kaigohoiku-u.com/

総合サポートユニオン(関東、関西、東北)

TEL:03-6804-7650

メール:info@sougou-u.jp

HP:http://sougou-u.jp/

NPO法人POSSE

TEL:03-6699-9359メール:soudan@npoposse.jp

HP:http://www.npoposse.jp/

その他の相談窓口

ブラック企業被害対策弁護団(全国)

TEL:03-3288-0112

HP:http://black-taisaku-bengodan.jp/

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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