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なぜ山崎邦正は落語家になったのか?

ラリー遠田作家・お笑い評論家

一昔前、お笑いの道を志す人は、師匠に弟子入りすることから始めるのが普通だった。師匠の身のまわりの世話などの下働きをしながら、基本的なマナーやしきたりを学び、いずれは独り立ちすることを目指す。

だが、1982年に業界最大手の吉本興業がお笑い養成所を開設してからは、養成所に入ってプロを目指す道の方が主流になった。今では、各事務所が芸人志望者を募るオーディションも頻繁に行われていて、そちらからプロになる人も多い。わざわざ弟子入りという昔ながらの手段を選ぶ人は少なくなっている。

そんなお笑い界の中で唯一、弟子入りの伝統が今も厳しく守られているのが落語家の世界だ。プロの落語家になるためには、ほぼ例外なく誰かの弟子になることから始めなくてはいけない。ここでは昔ながらの風習がずっと続いている。

テレビの人気者になることを目指す「お笑いタレント」の世界と寄席や落語会での落語を本業とする「落語家」の世界は入り口から大きく分かれていて、交わることがなかった。だが近年、ここに変化の兆しがある。お笑いタレントとしてそれなりに名をあげた人が、落語家に転身する動きが相次いでいるのだ。

その大きなきっかけとなったのは桂三度(元・渡辺あつむ)である。桂三度は、91年にオモロー山下(元・山下しげのり)と「ジャリズム」を結成。独創的なコントで関西の若者を中心に根強い人気を得ていた。2007年には三度が1人で「世界のナベアツ」として大ブレイク。「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる」というネタは彼の代名詞となった。そんな三度は11年、桂文枝(元・桂三枝)に弟子入りして落語家の道を目指すことを発表。ジャリズムは解散することになった。

また、「ガキの使いやあらへんで!!」などでもおなじみの山崎邦正も、月亭八方に弟子入りして13年から正式に「月亭方正」という芸名で落語家として活動している。

お笑いタレントとしてそれなりの地位を築いた彼らが落語家に転身するのは、唐突な印象を受けるかもしれない。だが、本来、落語とそれ以外のお笑い芸とはそれほど縁遠いものではない。人前で笑いを取ろうとするという点では本質的に同じものである。

また、浮き沈みの激しいお笑いタレントの仕事と比べて、落語の方が年を取ってからも安定して仕事を続けられる可能性が高いという利点はある。彼らはそういった要素も考慮に入れて、新たな一歩を踏み出したのだ。

最近では、若手芸人がライブなどで落語に挑戦するという試みも目立つようになってきた。落語をやらない落語家として有名だった笑福亭鶴瓶も、ここ数年は古典落語に意欲的に取り組む姿勢を見せている。落語という伝統芸と最先端のお笑いとの化学反応から、どんなものが生まれるか。これからが楽しみだ。

※スマホ版『情報・知識事典 imidas』より

禁・無断転載

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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