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鈴木おさむ休業宣言に感じる秋元康の影響

ラリー遠田作家・お笑い評論家

人気放送作家の休業騒動はこれが初めてではない

放送作家の鈴木おさむさんが、7月6日に更新したブログにて、これから約1年にわたり育児休暇を取り、その間は放送作家業を休むことを発表しました。放送作家としての仕事は休業するものの、「家での執筆、脚本、ライブのお手伝い、それ以外のお仕事」はそのまま続けていくそうです。それらの仕事は週2日働けばこなせる程度の分量なので、放送作家業を休むことで週5日程度の空き時間ができると考えているとのこと。

鈴木さんのように第一線で活躍している放送作家が、急にすべてのテレビの仕事を辞めてしまうというのはめったにないことです。テレビの世界は、生き馬の目を抜く厳しい世界。一度退いてしまえば、戻ってきたときに以前と同じポジションはもう残っていないかもしれません。

ただ、鈴木さんがこのような行動を取った背景にあるものは、私には何となく想像がつきます。実は、超売れっ子の放送作家がいきなりすべての仕事を降板してしまうという事態は、これが歴史上初めてではありません。約30年前にも同じ決断をした人がいたのです。そして、その前例があったからこそ、鈴木さんはその人を参考にして今回の結論に至ったのではないか、と考えられるのです。その人物とは、秋元康さんです。

秋元康がニューヨークに旅立った理由

今では秋元康さんというとAKB48などのプロデュースを手がけるアイドルプロデューサーであり作詞家、というイメージの方が一般的かもしれません。ただ、1980年代には、秋元さんは主に放送作家としてテレビの企画構成を手がけていました。

特に、『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』『とんねるずのみなさんのおかげです』などフジテレビの人気バラエティ番組の構成を手がけて、おニャン子クラブとんねるずを人気者にしていったのは有名です。

そんな秋元さんは放送作家として頂点を極めていた1988年、突然、テレビの仕事をすべて捨てて日本を離れてしまいました。行き先はニューヨーク。ニューヨークで見たミュージカルに衝撃を受けた秋元さんは、ショービジネスの新たな可能性を探るためにニューヨークで生活をする決意をしたのです。

秋元:当時20代後半で「SOLD-OUT」という会社を作って、そこに『TRICK』や『20世紀少年』を撮った堤 幸彦とか、みんな仲間を集めて好き勝手なことをやっていたんですが、当時おニャン子クラブやアイドルの曲が、オリコンに何十曲とランクインしていたので、もう何が何だかわからない状態になっていて…。自分はアルバイトでやってるつもりが、「大事になってきたな」という感じでした。このままじゃ多分浮かれて、祭り上げられて担がれて終わるなと思ったので、全部仕事を辞めてニューヨークに行ったんです。

出典:「Musicman's RELAY」第86回 秋元 康 氏

秋元さんは、作詞家としての仕事は続けており、この時期に美空ひばりさんの『川の流れのように』などの作詞を手がけました。そして、1年半後には帰国してテレビの仕事にも復帰しています。

秋元さんは、ニューヨーク行きを決意するまでの自分の体験を『さらば、メルセデス』(ポプラ文庫)という著書に書いています。この本の文庫版の解説を担当しているのが鈴木おさむさんなのです。その中で、鈴木さんは自分がいかに秋元康に影響を受けたか、ということを熱く語っています。

秋元康さん。学生時代の僕はあなたのためにどれだけお金を使ったことでしょう?

おニャン子クラブのレコード、とんねるずのレコード、何枚、いや、何十枚買ったか分かりません。家で何回も聞きました。聞きまくりました。中学時代におニャン子クラブのアルバムを買って、その中に入っていた「真っ赤な自転車」を聞き、真っ赤な自転車に乗ってる女の子をまんまと好きになりました。

出典:解説・鈴木おさむ(秋元康『さらば、メルセデス』ポプラ文庫)

鈴木さんは秋元さんの仕事に影響を受けて、その背中を見ながら育ってきたのです。いわば、秋元さんは鈴木さんにとって心の師匠のような存在でした。育児休暇という形ですべてを投げ出して突然の休業をするという試みにも、「とにかく世間をアッと言わせたい」という"秋元康イズム"が感じられます。

前述の解説文の中で、鈴木さんは秋元さんから「たまには人生の舵を思いっきり切れ」という教訓を学んだと書いています。秋元さんがニューヨーク滞在中に『川の流れのように』の作詞をしたように、鈴木さんもこの休業中に世間をアッと言わせることを仕掛けてくるかもしれませんね。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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