なぜ栃木女児殺害事件の裁判で「Nシステム」を証拠として使うことが異例中の異例の事態なのか

(写真:アフロ)

2005年12月に発生した栃木女児殺害事件の裁判員裁判で、検察は禁断の「Nシステム」を証拠として使った。

捜査の取りまとめを担当していた警察官に「Nシステム」で得た情報を示し、被告人車両の動きを証言させるというものだ。

事件への関与を全面的に否認している被告人が、遺体発見当日の未明から明け方にかけ、自宅のある栃木県方面と死体遺棄現場のある茨城県方面を往復している、という事実を立証しようというのが検察の狙いだ。

ただ、異例中の異例の事態であることは間違いない。「Nシステム」は表に出してはならない“禁じ手の証拠”とされてきたからだ。なぜか――

「Nシステム」とは

「Nシステム」の「N」は車両のナンバーのことであり、正式名称は「自動車ナンバー自動読取装置」という。

高速道路や国道、県境付近のほか、空港や発電所、自衛隊や米軍基地といった重要施設周辺にある特定の道路上の全車線(高速道路では路肩も)に設置され、そこを通過する全ての車両の通過時刻とナンバープレートのナンバーを撮影し、記録に残すというものだ。

高速で移動する車両のナンバー部分だけを上手く撮影できるはずもなく、スピード違反を自動的に取り締まる「オービス」と同じく車両や運転者、同乗者の姿なども併せて撮影した上で、この画像データからコンピュータがナンバー部分を切り出し、文字認識している。

様々なタイプがあるが、最も多いのは「オービス」に似た形状のもので、1車線ごとに小型カメラや赤外線ストロボなどが設置されている。

1987年に東京都江戸川区の国道14号線上に設置されたのを皮切りとして、その後、全国に次々と設置されており、昨年5月末現在で1690台に上る。

この網をかいくぐられてしまうと設置した意味がなくなることから、警察は個々の設置場所までは明らかにしていない。

ただ、ドライバーなどの有志がインターネット上でそうした情報を公開しているケースもある。

なぜ「Nシステム」が導入されたのか

「Nシステム」は、「オービス」と違い、スピード違反などの犯罪に及んだ車両か否かを問わず、単にその道路を通過するだけで、無差別かつ一律に撮影している。

いつまでその記録が保存されるのか、いつ消去されるのか、全く明らかにされていないし、撮影された側がその消去を求める手立てもない。

導入当初からプライバシー権や肖像権などの侵害に当たるのではないかと指摘されてきたところだ。

そこで、表向きの導入理由として挙げられていたのが、車両の盗難や車両を使った逃走事案のように緊急性が高い現在進行形の事件だった。

すなわち、あらかじめ警察の照合装置に手配車両のナンバーを登録しておき、道路上のカメラが撮影したナンバー情報と自動的に照合することで、データの合致があれば、その車両の通過を簡単に把握できる。

これを「Nヒット」と呼ぶが、直ちに付近の警察署やパトカーなどにその情報を一斉通知すれば、ムダな交通渋滞を引き起こすことなく、即座に追尾や検問を行い、的を絞った検挙ができる、というものだった。

この建前は現在も維持されており、財務省が2014年に実施した「Nシステム」の整備事業に関する予算執行調査でも、総括調査票に記載されている。

実際の使われ方

もちろん、表向きの導入理由で挙げられているとおり、緊急性が高い現在進行形の事件の検挙に繋がったケースは数多い。

しかし、実際には逆の使い方もしている。

すなわち既にデータベースとして蓄積されている数多くの通行情報に対し、目星をつけた被疑者や重要参考人らの車両のナンバーを当てはめて検索し、「Nヒット」があるか否かを確認することで、彼らの足取りを把握するというものだ。

この問題は、DNA型を例に挙げれば分かりやすいだろう。

本来、犯行現場に残されていた犯人の血液などからDNA型を検出し、次に被害者周辺を当たるなどして犯人と目される被疑者を見つけ出し、そのDNA型を採取し、双方の同一性を鑑定するというのが通常の捜査の流れだ。

しかし、あらかじめ捜査当局が全国民から密かにDNA型を採取し、データベース化しておけば、現場のDNA型と照合することで、誰が犯人かを簡単に解明することができる。

こうしたDNA型情報のデータベース化による便利さと怖さをテーマにしていたのが、東野圭吾の小説「プラチナデータ」だった。

「Nシステム」の本来の狙いは国家による国民の監視や管理にあるのではないか、とも指摘されるゆえんだ。

取扱い注意の「Nシステム」

ただ、警察も検察も、表向きの導入理由とは真逆の使い方なので、こうした捜査での利用を公言せず、「Nシステム」そのものも証拠として使わない、という取扱いをしてきた。

確かにオウム事件を始めとする数々の著名事件の解決に役立ってきたが、あくまでそうした捜査には使っていない、というのが警察や検察の建前だった。

例えば、実際には(1)「Nシステム」で被疑者の動きを把握し、(2)通行した料金所でその時間帯の通行券を全て回収し、(3)指紋を採取して被疑者の指紋と照合し、(4)指紋の合致によってその場所における通行の事実を確定してきた。

あるいは、(5)付近道路に設置された防犯カメラの録画を軒並み押収して解析し、その通行を確定するような場合もあった。

日本中の全ての料金所や防犯カメラを調べ上げることなど、到底不可能だからだ。

しかし、“証拠”となる捜査報告書では、(1)はなかったことにし、「鋭意現場近辺の料金所や防犯カメラを捜査した結果、◯◯の事実が判明した」といった形でまとめてきた。

警察が犯人検挙の前段階で検察に相談を持ち込むことも多く、「どうやってこの人物の足取りを解明したのか」と聞くと口ごもる刑事が大半だったが、中には「Nヒットです」と正直に答えてくれる刑事もいた。

しかし、そうした経緯がそのまま記載された捜査報告書は存在しなかった。警察では「Nシステム」で判明した事実を裁判の証拠として提出してはならないとされていたからだ。

さらに09年には、改めて警察庁が全国の警察に「Nシステム」で得た情報の秘密保持を厳命し、取調べの中で被疑者らにその記録を示すことも禁じた。

同様に最高検も、全国の検察官に対し、「Nシステム」のデータを証拠化することや、取調べの中でその存在に触れることを禁じた。

もし正式な“証拠”として事件記録につづられ、あるいは弁護側に手の内を察知されれば、裁判所から「そうした情報は全てオープンにすべきだ」と指摘される可能性が高いからだ。

もちろん、個々の設置場所などが明らかになれば、将来の捜査に支障をきたすことになる。

しかし、「Nシステム」で得られる情報は必ずしも警察や検察にとってプラスに働くものばかりでなく、詳細に分析すれば被疑者のアリバイを示すものなどが出てくる可能性もあるので、できる限り手の内をさらしたくない、というのが捜査当局の本音だ。

なぜ「Nシステム」を証拠として使ったのか

被告人は捜査段階で自白調書にサインしたものの、その後、事件への関与を全面的に否認し、無罪を主張するに至った。

弁護側は自白調書へのサインは取調べ官に強要されたもので、その内容も客観的な状況と矛盾が多く、信用できないと主張している。

被告人の周辺から凶器や被害者の所持品などは発見されておらず、被害者の遺体からも被告人のDNA型などは検出されていない。「Nシステム」の情報をきっかけとして防犯カメラの映像を入手したといった事実もない。

被告人が犯人であると断定できるだけの決め手となる客観証拠はなく、薄い状況証拠を幾つも積み重ね、有罪を立証するほかない。

そこで、検察と警察が協議し、「あくまで今回の事案だけであり、これを前例にしない」ということで、苦肉の策として、「Nシステム」で得られた情報そのものを裁判の証拠として使うことになった。

ただ、これすらも、弁護側からは、宇都宮市内に設置された3か所の「Nシステム」にヒットしただけなのに、ここから被告人が茨城県の死体遺棄現場まで行ったと認定するのは飛躍があり、乱暴すぎると反論されている状況だ。(了)

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。独自の視点で刑事司法に関する解説や主張を発信。

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15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。