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ヒラリー・クリントンの憂鬱:夫・ビルの光と影

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授、学部長
「クリントン財団」の会合で話をするヒラリーとビル(写真:ロイター/アフロ)

民主党大統領候補指名獲得が確実視されているヒラリー・クリントンの「メール問題」が深刻化しつつある。その背景には、夫ビル・クリントン元大統領とともに長年、培ってしまった「信頼おけない」「嘘つき」「金に汚い」という世論のイメージがある。本選挙では、詐欺のような社会人教育事業で非難されているトランプとともに、脛に傷があるふたりの対決となる。幾多のスキャンダルに不死身だった夫ビルのような幸運は、ヒラリーに舞い降りるのだろうか。

(1)私用メール問題で叩かれる理由

ヒラリー・クリントンが国務長官在任中に公務で私的な電子メールアドレスを使っていた「私用メール問題」問題は、日本ではちょっとわかりにくいかもしれない。アメリカの政府の公式文書の場合、秘密度に応じて公開までの年数は異なるが、将来的には基本的には公的記録として公開されることになる。日本の場合、政治家や官僚の方と話をしても、自分自身の各種通信がいずれは公的記録となるという意識はあまり強くないように思える。情報公開の感覚の違いがこの問題を分かりにくくさせている理由の一つだ。

さらに分かりにくいのは、なぜ、クリントンがメール問題でこれほどまでに叩かれているのか、という点である。叩かれる理由は2つあり、一つがセキュリティ上の問題、もう一つがクリントンへの不信感そのものである。

ヒラリー・クリントンは、契約プロバイダのメールやグーグルなどのメールを使っていたわけではない。国務省のメールでなく、自前で自宅に特注のメールサーバーを設置して在任中に公用の連絡を行っていた。国務省はクリントンが事前に省内の承認を得ておらず、省の規則に違反していると説明している。国務省にとっては、何といっても、アメリカの外交を動かす国務長官の電子メールが省外にあるというセキュリティに対する懸念は大きい。

セキュリティについていえば、「クリントンメール・ドット・コム」というドメイン名で運用されていたこの特注のメールシステムがセキュリティ上、強固なものであれば、非難は少なかったかもしれない。ただ、クリントンが自宅で運用していたメールサーバーにハッカーが繰り返し侵入していたという証言もあり、やはり問題はあったという見方もある。

国務省に勤めている何人かの友人に聞くと、そもそも国務省のメールが使い勝手が良いものではないらしい。ただ、それでも情報セキュリティ上の責任問題を考えると、国務長官という立場なら、通常なら公的なものを使うであろう。

ではなぜ、わざわざ国務省のメールでなく、特注のサーバーでメールを送受信していたのだろうか。自分でメールを管理していれば、当局から開示請求があったとしても、どのメールを公開してどのメールを隠したり、という操作が可能である。セキュリティ上の問題とともに、公開情報が操作されているのではないかという今回の問題の中核にある。セキュリティ上の問題とともに、いずれは公開となる情報の操作はアメリカ政治においては原則的に許しがたい。それが、ヒラリー・クリントンへの不信感に直結する。

(2)訴追の可能性も

そもそもこのメール問題が明らかになったのは1年以上前の昨年3月のニューヨークタイムズの記事だが、昨年末ぐらいまでは「違反」「違反ではない」という見方は、その人の党派性で大きく分かれていた。共和党系や共和党支持者の場合には「明らかに違反」という声が多かったが、民主党系や民主党支持者の場合には「違法ではない」「これは共和党側の言いがかり」「クリントンだけでなく、ブッシュ政権の当時のパウエル国務長官も私用メールを使っていた」などの指摘が圧倒的だった。

当初は、立件の可否を最終判断するのは司法省だが、現在は民主党政権であることもあって訴追され刑事責任を問われる可能性は低いという意見も多かった。ただ、今年に入り、少しずつ司法省の態度が厳しくなってきている。FBIは、国家機密情報などの取り扱いに違法性がなかったかを捜査し、クリントンの複数の側近から事情を聴いている。ヒラリーのメールサーバーを設定した技術担当者は訴追免除と引き換えにFBIの捜査に協力しており、だいぶ脇が固められてきた感じもある。

「どれくらい重要な情報がメールで交わされたか」を決めるのは古巣の国務省の方だが、こちらの動きも少しずつクリントンに対して逆風になりつつある。クリントンから提出された電子メール問題を精査した結果、国務省は今年初めにメールに中に「最高機密」とされるものが含まれていると公表した。メールサーバーの設置に国務省の許可を得なかったこと、記録保管が不十分だったこと、これまでに公表した情報が不完全だったことなどに加え、前述のハッカー侵入の可能性の問題もあり、次第に雲行きが怪しくなっている。

訴追され刑事責任を問われるような事態になった場合には、今後の大統領選挙の行方にも、それなりの影響が出るのは間違いない。ただ、そうならないとしても、すでに「何か隠しているのでは」と思っている国民は少なくない。「見せたくない何かがあるのではないか」「どうも怪しい」というのが、アメリカ国民の偽らない思いだろう。

(3)夫・ビルの光と影

ヒラリー・クリントンの場合、これまでの予備選で「お金に汚い」というイメージがすでに定着してしまった。ウォール街の金融機関の代表ともいえるゴールドマンサックスから、スピーチ料金として20万ドルももらっているが、そのスピーチの内容は決して公表しておらず、民主党の指名候補争いでのライバルのバーニー・サンダースに連日のように叩かれてきた。

ヒラリー・クリントンのこのダーティーなイメージに常に亡霊のように見え隠れするのが、夫であり、元大統領のビル・クリントンの残像である。

ビルは、これまでの予備選では民主党支持者内のアフリカ系アメリカ人の割合が高い、ノースカロライナ州などではビルがヒラリーの代わりに州内を周って、圧倒的な支持を取り付けた。ビルは大統領の時から、アフリカ系からの人気が高いことで知られている。ドットコム・ブームの中で高い支持率を誇ったビルは、民主党支持者にとっては輝かしい90年代を象徴する人物だ。ビルの人気がヒラリーにとっては最大の強みといっても過言ではない。

ただ、ビルの存在はヒラリーの最大の弱みでもある。ビルが立ち上げ、いまはヒラリー、さらには娘のチェルシーも名前を連ねる「ビル・ヒラリー・チェルシー・クリントン財団」への寄付についても、ヒラリーが国務長官時代には利益相反とみられるような動きが指摘されていた。財団に献金した外国政府や企業が国務省から有利な扱いを受けていたという疑惑である。今回のメール問題についても、クリントン財団関連の政治資金で違法な動きがあり、その違法行為を隠すためのではないかという見方もある。ビルが築き上げ、ヒラリーに手渡した「クリントン・マシーン」ともいえる集金力は、ヒラリーの選挙戦の組織の強さに直結する。ただ、その術の影の部分が次第に明らかになってきている。

そもそもヒラリーとビルにはかつてから不正の噂が尽きなかった。1993年のビルの大統領就任前後からの2人が密接に絡んだスキャンダル一気に表面化する。その中には、不動産開発会社を共同経営した際のホワイトウォーター疑惑から始まり、知人の旅行業者をホワイトハウスの旅行事務所の責任者にするため、ヒラリーが「不正な経理が行われる」としてホワイトハウス旅行事務所の全員を解雇してしまった「トラベルゲート」などのほか、FBIが持つ共和党の要人の資料を不正入手し、政治的攻撃に利用した「ファイルゲート」にもヒラリーは深くかかわったといわれている。さらに、大統領次席法律顧問のビンセント・フォスターの自殺も、フォスターがヒラリーと同じ法律事務所にいたこともあって、二人の男女関係など噂は尾ひれがついていった。ただ、このように大統領就任直後に集中したスキャンダルに対して、基本的にはファーストレディであるヒラリーではなく、大統領であるビルが当時は非難の矢面になっていた。

(4)“不死身の大統領”だったビル

ビルの場合、大統領時代には様々なスキャンダルで、何度も政治的窮地に陥ったが、その時、いつも大逆転で状況を打開してきた。

「私はカムバック・キッドだ!」――。1992年春、女性スキャンダルやマリファナ吸引疑惑などが次々と暴露され、大統領選に立候補をしていたビル・クリントンは窮地に陥った。その際、ヒラリー夫人とともにテレビ出演し、仲むつまじい姿を国民に印象付けようとした戦略が功を奏し、難関だったニューハンプシャー州予備選で健闘した。その直後、自らの復活を表現したのが、この言葉だった。

実際、大統領としてのビル・クリントンは、究極の「カムバック・キッド」だった。前述のホワイトウォーター不正融資疑惑、ファイルゲートのほか、選挙公約だった医療改革の失敗、軍隊における同性愛者擁護をめぐる混乱など、大統領就任直後からクリントンは何度も追い詰められていた。通常、就任直後の大統領に対する世論は好意的だが、ビル・クリントンの支持率は就任1年目から40%を割り込んだ。

そして、最大の政治的危機が1994年の中間選挙だった。クリントンの不人気が保守派の台頭につながり、民主党は共和党に歴史的な大敗北を喫した。「クリントンの再選はもうありえない」と誰もが確信した。

しかし、ビル・クリントンは奇跡的な“復活”を果たす。1995年末から翌年はじめにかけて、政府予算案をめぐり、クリントンと共和党が真っ向から対立し、各省庁はおろか、国定公園までが閉鎖せざるをえない状況に至った。この際、「予算案をごり押ししていた」として、共和党・ギングリッチ下院議長のイメージが極端に悪くなり、その一方でクリントンの支持率は急上昇する。結局、これを契機に、ビル・クリントンは世論の圧倒的な支持を味方にすることになり、96年選挙でも再選を果たした。

このクリントンの“復活”の背景にあったのが、好景気だった。弾劾裁判に発展したモニカ・ルインスキーとの不倫偽証疑惑についても、ハイテク・バブルに酔った国民にとっては大事ではなかった。一方、「もし、景気が悪かったら」とすると、クリントンの時代のイメージは大きく変わる。さらに、「もし、クリントンの任期が1年長く、同時多発テロに遭遇したら」と想像すると、軍縮を進め、諜報活動も縮小した責任を追及されていたかもしれない。こう考えてみると、クリントンを支えたのは、好景気と国際政治の安定という時代というという、大統領としての究極の幸運だったのではなかろうか。

(5)ヒラリーの「カムバック」はあるのか、

汚れてしまったヒラリーのイメージにとって、ビルのような「カムバック」が可能だろうか。これこそ今後の選挙戦の大きな争点になるだろう。

7月の党大会での民主党の指名獲得がもしかしたら、ヒラリーにとっては「幸運」となるかもしれない。

指名獲得が終われば、誠実なイメージをアメリカ国民に植え付けたサンダースへの注目は一気に減る。74歳のサンダースに比べれば、クリントンは68歳なので、年齢的には下だが、ずっとアウトサイダーだったサンダースの新しさ・斬新な政策に比べると、ヒラリーはどうしても体制側の人であり、古く見劣りしてきたが、トランプとの一騎打ちになれば状況は変わるだろう。ヒラリーは同世代前後の社会での女性の地位を切り開いた女性の象徴である。党大会での以降はこの肯定的なイメージを再構築する絶好の機会である。

また、共和党の候補者となることが確実になっているドナルド・トランプの場合、「トランプ大学」という詐欺のような社会人教育事業を行っており、トランプにとってはヒラリーのメール問題に対する批判は強くは言えまい。メール問題の後ろめたさは半減すれば、これも「幸運」となるかもしれない。

実際、ヒラリーのイメージがどれだけ回復するのか、それを占う意味でも7月の党大会に向けて、サンダースがどのようにヒラリーと和解し、どのように民主党がまとまっていくかが大きなポイントとなる。両者の和解は、ヒラリーにとっては最大の追い風となる。まずはそこに注目したい。

上智大学総合グローバル学部教授、学部長

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『ネット選挙が変える政治と社会:日米韓における新たな「公共圏」の姿』(共編著,慶応義塾大学出版会,2013年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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