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曲がり角を迎えたアメリカの理念:2016年大統領選挙と移民政策の難しさ

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
トランプの移民政策に反対するメキシコ系の集会(写真:ロイター/アフロ)

長かったアメリカの2016年大統領選挙がようやく大団円を迎える。今年の選挙ほど移民政策が大きな争点となったことはない。いうまでもなく、共和党候補トランプがメキシコからの非合法移民規制やイスラム教徒の入国拒否を訴えたためだ。移民受け入れはアメリカの国是だが、一方で、急増する非合法移民対策は難しい。このジレンマが表面化したのが今年の選挙だった。

(1)「トランピズム」の核心

2016年選挙の最大の争点の一つが移民政策だった。移民政策については、共和党候補となったドナルド・トランプの各種発言は大きな波紋を呼んできた。たとえば、カリフォルニア州サンバナディーノでイスラム過激派夫婦によるテロが起こった際には「状況が改善するまで全てのイスラム教徒の入国を拒否する」(2015年12月7日)と発言した。多様性を重視することを国是としてきたアメリカ国内では大きな反発があっただけでなく、国際問題にも発展した。

また、「イスラム教徒入国拒否」発言以外でも、「メキシコからの移民は、麻薬の密売人であり、犯罪者で、レイプ常習犯だ。善良なのはほんの一握りだ」「メキシコ国境との間に、万里の長城を築き、不法移民の流入を防いでみせる」(2015年6月16日、大統領選出馬宣言で)など、トランプの発言は極めて直截的だ。本選挙段階に入ってからも9月1日に10に及ぶ強硬な不法移民対策をさらに具体的な公約として発表している。

トランプの一連の主張を「トランピズム」というが、トランピズムの核心こそ、人の受け入れを拒む排外主義だった。「イスラム教徒入国拒否」「万里の長城」などの暴言に近い発言については、イスラム過激派のテロにおびえていたり、雇用を移民に奪われた一部の白人ブルーカラー層の声を代弁したのは事実である。この層がトランプの支持の中心にいる。

(2)移民に対する複雑な感情

ただ、アメリカの歴史をみても、「トランピズム」的な移民に対する複雑な感情は常に存在してきた。生活上の行動原理、多元主義、経済的な必要性という移民に対する肯定的なイメージの一方で、歴史的にみても自分たちの後にアメリカに移住してくる人々に対して、先にアメリカに移住した人々が、複雑な感情を持ち続けてきたのも事実である。

特に19世紀後半には急激な移民の急増に伴い、社会的な軋轢が目立った。次第に移民制限を求める声も増えていったのは必然だったかもしれない。19世紀半ば、急増したアイルランドやドイツ系移民の帰化や投票権を制限しようとした「ノウ・ナッシング党(Know-Nothing Party)」の活動や、現在は反アフリカ系で知られているクー・クラックス・クラン(KKK)が、第1次大戦直後、急増した外国人移民の排斥運動に力を入れたように、移民排斥の動きも数々の局面で登場する。

また、同時に「移民はアメリカに同化できない」という文化的な違いも移民を排除する理由となった。反移民の世論の高まりに呼応して、「同化不能」を理由にした様々な移民規制も実際の政策に反映されてきた。その中には、「1892年中国人労働者入国禁止法」のほか、西欧からの移民が中心だった19世紀後半の移民状況に合わせた国別の割当制度が適用された「1924年移民法」などが代表的である。「1924年移民法」には「帰化不能外国人」の移民全面禁止条項が盛り込まれており、実質的に日本からの移民を制限したため、日本では「排日移民法」と呼ばれ、第二次大戦に続いていく日米対立のきっかけになったともいわれている。同法はまさに閉ざしたアメリカを目指したものだった。

また。経済拡大の勢いが一時的に弱まった時期には、雇用の問題など、先に移住したものの既得権を守るための経済的な理由から移民排斥の動きが目立つ。例えば、第二次大戦中から農業に従事する労働力としてメキシコから短期労働受け入れる「ブラセロ計画」という政策があり、アメリカにとっては貴重な労働力の供給源となったが、アメリカでの短期労働をしたメキシコの人々が非合法移民として再びアメリカ国内に住むケースも頻発した。1954年には「不法移民一掃作戦(Operation Wetback)」と呼ばれるメキシコ人を対象とする厳格な移民規制も導入されることになる。

このパターンはその後も続く。その後、1980年代からはメキシコ系がアメリカの農業などを下支えしてきたが、メキシコ系の急増、特に非合法移民の急増は「トランピズム」につながっていく。常にネイティビズム(nativism, 反外国人感情)はアメリカ国内に存在してきた。

(3)「多様の中の統一」という理念

このように、移民に対する複雑な感情はあるものの、アメリカというのは移民の国であり、経済的にも文化的にも積極的に移民を受け入れようとする動きが基本的にはいつもネイティビズムを克服してきた。

例えば、上述の1924移民法の割当制度を撤廃した1965年移民法(ハート・セラー法)は「開かれたアメリカ」の復活を希求したものだった。65年法では新たな受入制限として、年間総枠を国ではなく、世界の地域別に制限した上で、米国市民の親族の優先的受入れや米国社会が必要としている職業に従事し得る移民の優先的受入れなどを規定した。同法の背景には、移民の国であるアメリカの根本に戻ろうという動きがあった。その結果、メキシコ系を含むヒスパニック系(ラテン系)やアジア系の人口が急増する。2001年から2010年までの10年間に永住権を与えられた移民の数は1050万人を超えており、10年単位ではアメリカの歴史上もっとも移民の数が多くなっている。アメリカという“顔”は大きく変わりつつある。

そもそものことをあえて書きたい。アメリカ国民はいうまでもなく、移民が作り上げた国である。「移民の国」であるアメリカは建国して約1世紀は、移民政策はなきに等しく、奴隷貿易の禁止以外は移民の制限は基本的になかった。建国当時は欧州になかった「独裁君主からの自由」や、圧倒的な豊かさのため、移民も増えていった。

移民という“新しい血”がアメリカに多様性をもたらし、多様性が国の活力を生み出すという信念は、例えば、アメリカの政治権力が分散されているというプルーラリズム(多元主義)を是とする論理につながっていく。硬貨などに刻まれている国是のラテン語の「エ・プルビウス・ウヌム(E Pluribus Unum:多様の中の統一)」は、アメリカの民主主義を支える根底に移民を受け入れる姿勢があることを示している。

さらに、経済的な側面からも、アメリカは労働力としての移民を必要としてきた。これは、いうまでもなく、アメリカ経済がほぼ途切れることなく常に拡大してきたためである。拡大する経済の中で、最も遅くアメリカに移り住んだ層が主に肉低的な労働に従事し、それまで肉体労働を行っていた層が管理する側に代わっていく。この過程を繰り返すことで、移民たちの社会経済的な地位は少しずつ上昇していった。そうして、移住した順番で経済的・社会的地位がある程度定まる「セニオリティ(seniority)」といえる現象がアメリカでは成立してきた。19世紀から20世紀半ばにはアメリカに移民として渡った、イタリア系、アイルランド系、東欧系などの「エスニック・ホワイト」の多くは、かつては社会の底辺に近かった「マイノリティ」だったが、この社会的可動性のため、「エスニック・ホワイト」に代わって肉体労働的な仕事を担ったのが、その後の移民であるアジア系、ラテン系である。

一方、元からアメリカにいたネイティブ・アメリカン(アメリカン・インディアン)や、奴隷貿易での強制的な移住という過去を持つアフリカ系に関しては、「セニオリティ」の例外的な存在として、社会的な階段を上がるのには困難さが伴っており、現在に続く問題となっている。これについては別の機会に論じたい。

(4)理念だけで解決しない難しさ

一方で、前述のように1965年移民法以降、アジア系とラテン系の移民は増えていく。メキシコからの移民については、近接することもあり、合法的な移民の数を超える人々がメキシコ側からアメリカに入り込むことになる。比較的簡単に入国できることもあり、メキシコからの移民の一部は不法移民となっていった。これが理念だけで解決しない移民政策の難しさを生んでいく。

実際、1980年代後半以降はメキシコ系を中心とする不法移民対策が移民政策の大きな柱となる。その中心となっており、現在にいたる様々な議論のきっかけとなっているのが、「1986年移民改革・規制法(シンプソン・マゾーリ法)」である。同法では米墨国境警備を強化する代わりに、人権上の妥協策として一定期間を既に米国で過ごしている農業従業者の不法移民に対し法的地位と将来の市民権取得資格付与を約束する救済措置(アムネスティ)を定めた。国境警備については予算措置をしたくても米墨国境3000キロを十分に警備するのは莫大な費用がかかってしまう。アムネスティに対しては、「非合法移民を助けるもの」と一部で強く非難された。このようにアムネスティにしろ、国境警備にしろ、結局、どちらも進まなかった。「十分な予算措置がなされていない」と法案提出者のアラン・シンプソンとロマノ・マゾーリ(いずれも議員は既に引退)が強く非難した記事を2006年の段階でワシントンポストに寄稿し、大きな話題となったが、そもそも実現がかなり難しい法律だった。

非合法移民規制を強化する基調は現在も続いており、ゲストワーカー・プログラムや、アムネスティなど非合法移民に寛大な措置を盛り込んだ法案はここ数年、共和党側の激しい反発で、議論されながらも成立しない傾向にある。非合法移民の親と共に入国した子供たちを救済するいわゆるDREAM法も、「非合法移民を認めるものだ」として、連邦議会での審議はなかなか進まなかった。

移民法改正が連邦議会では一向に進まないため、州と大統領が別々に動き出している。しかし、いずれも最高裁に阻止されている。州の動きの中での代表的なケースが、2010年のアリゾナ州の厳格な移民規制であり、同州ではすべての外国人にビザなどの登録書類の携帯を義務づけていたが、最高裁は「移民管理は連邦政府に相当の権限がある」として州独自の不法移民対策を違憲としている。

一方、オバマ大統領は2012年6月に大統領令で非合法移民のうち、いくつかの条件に当てはまる若者に限っては在留を認める

「DACA(Deferred Action for Childhood Arrivals:幼児不法入国者送還猶予措置)」を導入した(注:その後、2017年9月にトランプ大統領がDACAを廃止を宣言した)。さらに、DACAの延長として、2014年11月に発表した政策では、アメリカの国籍や合法的な滞在資格がある子供の親が不法移民である場合、人道的な観点から強制送還を一時的に免除し、労働資格を与えるという政策もオバマ政権は導入したがこれについては、司法が止めることになった。

具体的には26の州政府が違憲だとしてオバマ政権を提訴し、最高裁は審理を続けていたが、2016年6月、判事の意見が4対4の同数となり、結論が下せなかった。同数となった場合、連邦高等裁判所の判断を維持することになるため、前年に高裁が下した大統領権限を違憲とする判決が維持された。これによりオバマ大統領の意図した移民制度改革は頓挫することになっている。オバマ大統領による、大統領権限での移民規制に関しては、非合法移民に柔軟に対応することを目指しており、議会での共和党の反発を迂回する奥の手だった。

9人の判事のうち、2016年2月に保守派のアントニン・スカリア判事が死去し、後任としてオバマ大統領はリベラル派のメリック・ガーランドを任命したが、共和党が多数を占める上院が承認していない。スカリアが存命な場合、大統領権限は違憲、ガーランドが承認されていた場合、合憲となっていたかもしれない。

このようにアメリカの移民政策は現在、動かない状況にある。排外主義をとなえたトランプへの賛同があったのは、この膠着状況を象徴しているようである。移民を受け入れはアメリカの国是だが、一方で、急増する非合法移民対策は難しい。このジレンマが表面化したのが今年の選挙であり、この選挙の最大の被害者は、移民を受け入れてきたアメリカの理念だったかもしれない。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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