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「残業時間に上限」は「サービス残業」を増やすことにしかならない

前屋毅フリージャーナリスト

財務省と厚生労働省が経済対策の目玉として盛り込む「働き方改革」をつくっているそうで、「その原案が分かった」と『日本経済新聞』(7月15日電子版)が報じている。

それによれば、世界的にも問題視されている長時間勤務を抑制するために、残業時間に上限を設けるという案を考えているらしい。「1日、これだけの時間しか残業してはいけません」と、政府なりが決めてしまうということだ。

これを聞いて、頭のなかに疑問符が浮かんだ人は少なくないはずだ。残業時間に上限が設けられてしまえば、いくら仕事が残っていても残業は許されないことである。その仕事はどうするのだろうか、という疑問だ。

決められた残業時間内に終わらなかったからといって、「できません」と正直にいえる日本人がどれくらいいるだろうか。責任感の強さは日本人の美徳として、しばしば語られてきたことだ。「最近の若い者は・・・」と年配者は言いたがるが、その美徳が廃れてしまっているわけではない。

なにより、途中で仕事を放り投げるなど、周りが絶対に許さない。そんなことをすれば、「いじめ」というか、「村八分」にされかねない。そんな状況に耐えられないのも日本人らしさなので、放り投げないで、最後まで仕事をすることになってしまう。

残業時間の上限内で終わらなかった仕事も放り投げず、残業するか家に持ち帰ってやることになる。国が決めた上限以上の残業に賃金を払えば、企業が国に逆らうことになる。だから、払わない。つまり働く側にしてみれば、賃金のもらえない残業、つまり「サービス残業」になってしまう。

言ってみれば、サービス残業もやりかねない日本人の気質を利用した辻褄合わせをやろうとしているにすぎない。上限を決めれば、表面的な労働時間は減るので、それを政府は政策の成果と誇示するだろう。企業にしてみれば、余計な残業代を払わなくていいのだから、歓迎すべき政策ということになる。

ほんとうに長時間労働を抑制しようとおもうなら、政府は企業がきちんと残業代を払う策を考えるのが先だ。もちろん残業なのだから、正規の労働時間に対する賃金よりも高くなければならない。

きちんと残業代を払わせれば、そのコストと新たに人を雇い入れるコストを企業は天秤にかけるだろう。人を雇い入れるほうがコストが安いとなれば、企業は人を増やすはずだ。そうなれば1人あたりの労働時間は減って、長時間労働の問題も解決されることになる。

サービス残業を増やすだけの上限を設定する政策は、働く人たちを苦しめるだけで、ぜんぜん改革ではない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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