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認知症は「病気」ではない 当事者から上げられた声

市川衛医療の「翻訳家」
イメージ(写真:アフロ)

「認知症は病気である」という言葉、良く聞きますよね。まだ認知症が広く知られていなかったころ、「加齢によるもの忘れではなく、医療機関で対応するもの」というイメージを普及させようと、盛んに用いられました。

ところがいま、認知症と診断された本人(当事者)から、この「認知症は病気である」というイメージが強調されすぎることを危惧する声が上がっています。深刻な誤解が生まれかねない、というのです。その一人、樋口直美さんは、自身の講演の中で次のように訴えています。

認知症というのは「状態」を表す言葉です。病名ではありません。

歩行障害と言っても多種多様あるように、認知症を引き起こす病気も数多くあり、症状も様々です。障害の種類も、その重さも、その人が何に困っているかも、一人一人全然違います。このことは、是非皆さんに知っておいて頂きたいことです。

出典:樋口直美オフィシャルウエブサイト

そもそも認知症って、どんなもの?

そもそも、認知症ってどんな風に定義されているのでしょうか?

いま世界的に使われている認知症の診断基準は「DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)第5版」に書かれています。

それを思いっきりわかりやすく表現すると、次の条件を満たすときに認知症(大神経認知障害)と診断されることになります。

1)「物事を記憶する」「会話をする」などに必要な認知機能が、明らかに落ちている

2)認知機能が落ちたために、自立した生活が難しくなっている

3)認知機能の低下が一時的なものではなく、また、うつ病や統合失調症などが原因ではない

「思いっきりわかりやすく」といった割には、まだちょっと(かなり?)わかりにくい気もしますが・・・。なんとなくイメージだけでもつかんで下されば幸いです。

まず大前提として、認知症は「認知症という名前のついた特定の病気」ではない、ということがわかります。

実は認知症になる原因は、70種類以上あると言われています。「アルツハイマー病」や「脳卒中」など脳の病気もあれば、「ビタミンB12欠乏」「甲状腺機能低下症」など、脳とは関係がなさそうなものも含まれます。

認知症は、こうした病気などの原因によって脳の機能が衰え、自分の力で社会生活を営めなくなった「状態」のことを指す言葉なのです。

…と言われても、わけわかんないですよね。「状態でも病気でも、どっちでも良いじゃん?」と思われたかもしれません。でも、もうちょっとだけ我慢して、この先にお付き合いください。

認知症の原因は「銀行のATM」

以前、認知症を専門とする医師から、次のようなエピソードを教えてもらったことがありました。(特定を避けるため、一部脚色しています)

夫に先立たれてのち、ずっと一人暮らしのおばあちゃんがいました。

毎日畑仕事に出て、3度の食事も自分で作ります。最近もの忘れが増えてきましたが、周囲から尊敬され、元気に暮らしていました。

ところがある日。おばあちゃんが、困りきった顔をして近所の人を訪ねてきます。手持ちのお金がすっかり無くなってしまったというのです。定期的に年金が振り込まれているはずなのに、一体どうして?

実はずっと利用していた銀行の支店が窓口業務を縮小し、ATMの機械だけになってしまったのです。

ATMはタッチパネルを使う最新型のもの。おばあちゃんにはどうしても「画面に手を触れることで、機械を操作できる」ということが理解できません。近所の人が親切に使い方を教えてくれますが、何度練習しても、やっぱり出来ないのです。

考えてみてください。このおばあちゃんは認知症なのでしょうか?

まず、もの忘れが増えてきたことやどうしてもATMの操作を覚えられないことなどから、おそらく加齢による老化ではない脳の病気(アルツハイマー病など)が存在すると考えられます。そして、生活に必要なお金を引き出せなければ、自力で生活を営むことはできません。

さきほどの「条件」を満たしていますので、おばあちゃんは認知症とされてしまうかもしれませんよね。

環境の変化が「認知症」を引き起こす

では、何がおばあちゃんを認知症にする決め手になったのでしょうか?アルツハイマー病はあったにせよ、決め手ではありません。「銀行でATMしか使えなくなったこと」。それが、おばあちゃんを認知症にした直接の原因です。

実はアルツハイマー病とひとことに言っても、その進行のスピードには大きな個人差が存在します。お年寄りになってから発症するもののなかには、ごくゆっくりと進むものも少なくありません。

もしこの出来事がなかったら、おばあちゃんはもっと長く自宅での生活を続けられた可能性があります。もしかしたら他の病気で亡くなるまで生活し続けられたかもしれません。

つまり、脳の病気だけが認知症になる決め手ではないのです。

クスリが無くても、認知症は「良く」できる

いま残念ながら、認知症を引き起こす脳の病気のほとんどには根本的に治療する手立てがありません。認知症が「病気」だとしたら、良くできるクスリはないわけですから、そこには絶望しかなくなってしまいます。

さらに、認知症を抱える人が「もう改善しようもない、可哀想な人」という誤ったイメージを持たれやすくなってしまいます。それは、いま認知症を抱える人だけでなく、ともに社会に暮らす私たち全員にとって不幸なことです。

一方で、認知症が「脳の病気」と「身の回りの環境」との兼ね合いで生まれるものだと考えれば、いますぐに対応できる方法がたくさん存在します。脳の働きが衰えたとしても暮らして行ける環境を作るにはどうすれば良いか、その工夫を少しずつ積み重ねていけば、少なからぬ人の状態を「良くする」ことができるかもしれません。

認知症を抱える人が今後、増えてゆくと予測される時代のなかで、いま何をすべきなのか?

冒頭で紹介した、樋口直美さん(認知症と診断された本人)の下記の言葉のなかに、そのヒントが隠されていると思います。

認知症で、何が問題かというと、思いっ切りこじらせてしまって、本人も周囲も大変になった時です。

糖尿病もこじらせると失明したり指が壊死したりしますが、多くの方は、病気と折り合いを付けながら上手く生活しています。

認知症を引き起こす病気も同じです。今、そうやって、とても長く、良い状態を保って、笑顔で暮らしている方が、全国に増えてきています。(中略)

「今、何に困ってますか?何がしたいですか?夢は何ですか?」と、家族ではなく、本人に聞いて下さい。本人の目を見て、本気で聞いて下さい。そこから最初の一歩が始まると思います。

出典:樋口直美オフィシャルウエブサイト

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医療の「翻訳家」

(いちかわ・まもる)医療の「翻訳家」/READYFOR(株)基金開発・公共政策責任者/(社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR(株)で新型コロナ対策・社会貢献活動の支援などに関わる。主な作品としてNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(テレビ番組)、「教養としての健康情報」(書籍)など。

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