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Windows 8総責任者が辞任。マイクロソフトに今、何が起きているのか

本田雅一フリーランスジャーナリスト
10月26日には機嫌よくSurfaceを発表していたシノフスキー

あまりにも唐突なニュースだった。マイクロソフトにとって小さからぬ躓きとなったWindows Vistaを改善し、Windows 7で基本ソフトの事業を持ち直した立役者であるスティーブン・シノフスキーがマイクロソフトを突然、退社したのである。シノフスキーはWindows事業のプレジデントの役職にあり、先日出荷されたばかりのWindows 8、ここ数年の改良が著しいオンラインサービスWindows Liveに関し、マーケティングと開発、両方の総責任者となっていた。

シノフスキーの後任となったラーソン=グリーン
シノフスキーの後任となったラーソン=グリーン

この唐突な人事で新たにWindows部門プレジデントに就任したのは、開発畑出身のジュリー・ラーソン=グリーン。彼女はシノフスキーの業務のうち、マーケティングを除く分野(主に開発)を担当。マーケティング担当にはマイクロソフトがかつて買収したダイナミクス出身のタミー・リーラーが就く。リーラーはエグゼクティブのアシスタントとして実力を発揮し、マーケティング担当、責任者と出世した叩き上げの実力者だ。

Windows 8は、Windowsブランドの存在感低下に悩むマイクロソフトが、今という時代に合わせ、リスクを冒して新しいビジネス基盤として作り出したものだ。その責任者が、製品の出荷直後に辞任するのは異例のこと。過去にWindows Vistaの開発責任者だったジム・オールチンが出荷後、退社したケースがあったが、これはVistaの開発中から決まったことだった。しかし、今回はまったく事情が異なる。

表向きの理由として、彼は「個人的な理由」で職を離れるとしているが、マイクロソフト周辺でその言葉を信じるものはいない。マイクロソフトに何が起きているのか、その背景を探ってみた。

Windows 8発売直後の週末、表情が一変したシノフスキー

10月26日、シノフスキーは上機嫌だった。Windows 8発表直後、二人三脚でマイクロソフト自社ブランドのコンピュータ、Surfaceを開発してきたハードウェア開発のトップ、パノス・パネイと共にSurface RTを発売。このときの様子は「マイクロソフト、iPad攻略作戦を開始」でお伝えした。

NYタイムズスクエアの発売イベントでは、シノフスキーも共にはしゃいでいたのだが…
NYタイムズスクエアの発売イベントでは、シノフスキーも共にはしゃいでいたのだが…

このとき、発表会場で話したシノフスキーはいつも通り、おどけながら、しかし自信を持って開発した製品について語っていたのだ。彼は自らをエグゼクティブではなく、プログラマーと自称し、責任者として忙しい時間を過ごしながらも、合間に必ず担当製品のプログラムコードを書くという生粋のプログラマーである。

彼の表情や話し方には、何らいつもと違う様子はなかった。

ところが、週末を挟んで翌週、30日になると表情だけでなく、喋る様子そのものが大きく変わっていた。このインタビューは、本来、まったく取材時間が取れないとされていたシノフスキー自身が、「ぜひとも話をしたい」と時間を作り15分間だけ話をしたもの。PR代理店によると、これが彼の最後の公式なインタビューだったという。

その内容はともかく、いつもとは全く違うネガティブなオーラにたじろいだ。話の内容もいつもより抑えめで、決して「自分からインタビューを受けたい」とPR代理店に申し出た雰囲気はなかった。これまでにシノフスキーとは何度も話をしているが、明らかに体調不良、あるいは不安定な状態だったが、それが世界中を飛び回ってWindows 8の発売イベントを回ったことによる体調不良なのか、それとも精神的なものなのかまでは判断できなかった。

10月30日、本社でのバルマー。いつもより疲れた表情を見せていた
10月30日、本社でのバルマー。いつもより疲れた表情を見せていた

しかし、振り返ってみれば、この間に何かがあったと考えられる。マイクロソフトCEOのスティーブ・バルマーは、自分の経営方針に合わない人間と、長い議論をするのが不得手だと言われている。バルマーがCEO時代に突然辞めていった幹部達の多くは、バルマーとの口論の翌日に辞任させられている。直近では昨年1月に元サーバ&ツール部門プレジデントのボブ・マグリアが退社したが、このときもバルマーとの衝突から48時間以内に社外へのニュースリリースが発行されたという。

社運をかけたWindows 8、Surfaceが発売された直後に、その総責任者が退社する。これはマイクロソフトにとって避けなければならない事態だ。Windows 8が作り出す数年先のビジョンを嬉々として語っていたシノフスキーが、退任の道を自ら望むはずはなかろう。では、製品発表から数日の間に、いったい何があったのだろうか。

シノフスキーによる”Windows支配”を拒んだバルマー

プログラマーとしては、控え目な雰囲気を醸し出していたシノフスキーだが、プロジェクトリーダーとしての彼は、プロジェクト全体を支配することを望んでいたという。技術面での議論は好むが、マーケティングサイドからの注進は、その根拠が見えない限り、斬って捨てることも多かったようだ。

もっとも、だからこそWindows 7を産みだし、そこからドラスティックに変貌したWindows 8を作り、それらをスケジュールの遅れなく送り出せたとも言える。そのシノフスキーにとって鬼門だったのが、Windows Phoneである。

Officeの開発責任者だったシノフスキーが抜擢され、Windows 7の開発を始めたころから、彼は気さくに自身の目指すWindows像について話してきた。注意深く継続してシノフスキーの話を聞くと解るのが、異なる要素を統合し、調和させることに並々ならぬ力を注ぎ込んでいたことである。

彼はWindowsをネットワークサービスと一体化させる必要性を説き、また新しいWindowsのビジョンを具現化する手法として、ハードウェアとWindowsを一体化させなければならないと考えた。シノフスキーはWindowsとはまったく別の事業体として動いていたWindows Liveチームを傘下に組み込んで、ユーザーが意識することなくサービスを使いこなせることを目指し、自社ブランドのハードウェア開発も実現した。

そのシノフスキーが手を出せなかったのが、Windows Phoneである。Windows 8で従来からのパソコンとタブレットを、ひとつの基本ソフトでまとめ上げたが、それだけでは足りない。スマートフォンであるWindows Phone 8も統合、調和の取れた連携ができなければ、Windowsファミリーを完成できないと考えていた。

ニューヨークではいつも通りの獰猛なスピーチで湧かせたバルマー
ニューヨークではいつも通りの獰猛なスピーチで湧かせたバルマー

しかし、すべての基本ソフト、基盤技術をひとりのエンジニアが担うことを、バルマーは許さなかった。シノフスキーは統合・調和を望み、バルマーは別の誰かによるWindowsの支配を拒んだ。

最後となったインタビューで、シノフスキーに最後の質問で”WindowsとLiveを一体化し、ハードウェアとの調和も実践した。次はWindows Phoneの番じゃないのかな?”と尋ねた。いつもなら「Windows Phoneについては何も喋らないよ。僕は絶対に何も外には言わない」と、おどけながら躱すところだが、「確かにその通り。しかし、まったく”いい質問”だよ……」と不機嫌な表情を見せた。

マイクロソフトが失いかけているもの

もちろん、業績が上がらないからクビになったのだ、という声があるのも確かだ。直近の業績が振るわなかったWindows部門の責任者であるシノフスキーは、評価点で5点(数字が少ないほど評価が高い。5点の場合、ボーナスは未支給となる)だったと噂されている。しかし、Windows 8発売直後に出たレビュー記事こそ辛辣なものも少なくなかったが、業績として評価できるほどの時間は経過しておらず、これが退任の理由とは想像しにくい。

コンピューティングに関わるあらゆる要素をひとつの部署にまとめ、統合・調和を目指すシノフスキー的手法へのバルマー、そして社内の反発というのが、シノフスキー退任の深層部にある。シノフスキーはウィンドウズ部門に、必要なものをすべて吸収しようとした。しかし、ラーソン=グリーンは”協業”を重んじる組織運営を得意とすると、社内では評価されている。

過去の開発においては、Office部門とWindows部門の間をつなぎ、ユーザーインターフェイスや各種機能の整合性を高めたり、Windows Phone部門との間をつなごうとした。現時点でWindows部門とWindows Phone部門の風通しが良いとは決して言えない状況だが、今後、”コラボレーションの人”として社内各部門を接続し、Windowsの商品価値を高めていくことが期待されているという。

すなわち、社内コラボレーションが”できる人”と”できない人”といった視点から、シノフスキーが社内闘争に敗れたという見方だが、今回の人事が最終的にマイクロソフトにプラスになるのか、マイナスになるのかは予想しにくい。協業が進むことによる利点と、強いリーダーシップで技術を統合する利点。マイクロソフトは前者を採ったわけだが、今の時代を考えればマイクロソフトが本来求めなければならないのは、強いリーダーシップではないだろうか。

10億台のWindows機で”安泰”、”無風”というイメージを持たれるマイクロソフトだが、実際には時代の節目で会社の向く方向を大胆に変えることで生き残ってきた企業だ。95年に発売されたWindows 95ではインターネットを過小評価していたが、発売直前に方針を大胆に転換。「これからはインターネット中心に製品を考えねば成らない」とゲイツ氏が全社員に話し、インターネット接続機能を猛烈な勢いで開発し始めた。

2000年には”.NET"構想を発表。ネットワークサービスとソフトウェアが連動する中で、安全でリッチなユーザー体験を作り上げる必要があるとし、全製品を新しい考え方で再構築することを宣言。全製品の向かう方向を一気に転換。この”変わり身”の速さこそが、マイクロソフトの発展を支えてきた。

では、スマートデバイスが台頭する今の時代に、マイクロソフトはどう対処しようとしているのだろう。過去の転換点とは異なる行動にマイクロソフトは出ようというのだろうか。

シノフスキーの去った今、マイクロソフトの次期トップ候補として名前が挙がっているのは、ビル・ゲイツのスピーチライターとして活躍し、バルマーがもっとも目をかける幹部と言われている最高マーケティング責任者のクリス・カポセラである。

エンターテイメント&デバイス部門プレジデントのロビー・バック、XboxやZune開発に携わったジェイ・アラード、チーフソフトウェアアーキテクトのレイ・オジー、それにボブ・マグリアとスティーブン・シノフスキー。マイクロソフトを支えてきたテクノロジー・ギークたちは、もうマイクロソフトにはいない。

これまでマイクロソフトの発展を支えてきた、時代に合わせてのドラスティックな変化への追従。その旗を振る人間がいなくなったと感じるのは筆者だけだろうか。マイクロソフトは、一番の”強み”を失いかけているのかもしれない。

フリーランスジャーナリスト

IT、モバイル、オーディオ&ビジュアル、コンテンツビジネス、モバイル、ネットワークサービス、インターネットカルチャー。テクノロジとインターネットで結ばれたデジタルライフと、関連する技術、企業、市場動向について解説および品質評価を行っている。夜間飛行・東洋経済オンラインでメルマガ「ネット・IT直球レポート」を発行。近著に「蒲田 初音鮨物語」

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