足の不自由な父と認知症の母が気づかなかった、58歳息子の白骨化から見える「大人のひきこもり」の行く末
東京都稲城市の民家の2階の部屋から、58歳の無職の息子とみられる白骨化した遺体が発見されたというニュースが報じられた。
この家には両親も同居していたが、82歳の父親は足が不自由、78歳の母親は認知症だったという。年老いた両親は長い間、息子が亡くなっていることに気づかなかったらしい。
報道によると、稲城市は、遺体が発見される3週間ほど前の9月26日、母親の徘徊を心配する民生委員から連絡を受け、包括支援センターの担当者が自宅を訪問。父親から「息子がいない」などと相談を受けていたという。
その後も、担当者が自宅を訪れていたものの、結果的に息子の死を把握できなかった。
報道を見る限り「ひきこもり」という言葉は出てこないし、それ以上の情報を持ち合わせているわけではないので、正確なことはわからない。ただ、この話の流れの印象から、亡くなった58歳の息子は、ひきこもっていたのではないかという気がする。
筆者が、ある地方都市で、ひきこもり当事者・家族の交流会を呼びかけたとき、いまは特養老人ホームに入所している年老いた母親が聞きつけて来て「ひきこもりだった息子の行方がわからなくなった。息子に会いたい」などとずっと訴え続けていたことを思い出す。
別の都市では、高齢者包括支援センターの担当者から、生活困難に陥った高齢者の自宅を訪ねると、認知症になった家族を支えきれなくなった40~50歳のひきこもり当事者を数多く見かけるという話も聞いた。
ひきこもる当事者がいると、家族も周囲の目を気にするあまりに誰にも言えなくなり、人脈や情報も途絶えていく。こうして地域の中で、家族ごとひきこもっている例は、水面下に星の数ほどある。
そのまま本人も親も年を取っていった「大人のひきこもり」家族は、あらゆる支援の網から外れてしまう。もっとも外からの支援が困難な事例になるのだ。だからこそ、従来の縦割りをなくし、部署や立場を超えて、あらゆる年代や状況に置かれた人たちの訴えに合わせ、手を携えてサポートしていかなければいけない。
地域からすれば、埋もれていく当事者の最後の“発見”の手がかりが、家族となる。しかし、時には家族も知らないうちに亡くなっていく状態が、このような悲劇となって、ある日突然、噴き出してくる。
このニュースは、それぞれの地域に家族ごと埋もれていく「大人のひきこもり」の行く末を暗示しているかのように思えた。