Yahoo!ニュース

米12月利上げが必要な理由とは?

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
完全雇用説を唱えるサンフランシスコ地区連銀のウィリアムズ総裁=サイトより
完全雇用説を唱えるサンフランシスコ地区連銀のウィリアムズ総裁=サイトより

米労働省が11月初めに発表した10月の米雇用統計で、新規就業者数(非農業部門で軍人除く)が季節調整済みで前月比21万7000人増(改定後29万8000人増)、失業率も5%に低下し強い内容となってから、米連邦準備制度理事会(FRB)のジャネット・イエレン議長を始め、他のFRB傘下の各地区連銀総裁らFRB幹部が相次いで、次回12月15-16日のFOMC(公開市場委員会)会合での利上げ開始の必要性を声高に説き始めている。この背景にはFRBの2つの使命(物価の安定と雇用の最大化)のうち、雇用に関して、アメリカ経済がすでに完全雇用(求人がないため失業する、いわゆる“非自発的失業者”がいない状態)に達し今後インフレが加速するとの見方がある。

完全雇用説を比較的早い時期に指摘していたのはFRB傘下のサンフランシスコ地区連銀のジョン・C・ウィリアムズ総裁だ。同総裁は9月の雇用統計が労働省から発表された10月2日の前日(1日)、ユタ州ソルトレークで講演し、「雇用市場が着実かつ持続的な改善をみせ、景気回復が継続するだけで十分だ」と述べ、その根拠として、「就業者数の伸びが減速するのは、より完全雇用に近づいた表れだ。現在の自然失業率(完全雇用失業率)は5%と推定しており、今年末ごろには5%を下回り、2016年末までその水準が続く」と指摘する。

月10万-15万人増でも利上げ正当化

その上で、同総裁は、「就業者数の伸びは10万人超から15万人程度なら私は満足だ」と述べている。10月時点の米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル紙のエコノミスト調査では、全体の56%が完全雇用になるのは2016年上期(1-6月)と予想していただけに、ウィリアムズ総裁は大方のエコノミストの想定より早く完全雇用になると主張していたのだ。

9月雇用統計では新規就業者数は前月比14万2000人増と、伸びが大幅に減速し、8月の改定値までも速報値の同17万3000人増から同13万6000人増に下方改定されたことから、FRBは市場の予想通り10月28日のFOMC会合で利上げは時期尚早として先送りを決定した。しかし、この時点で、ウィリアムズ総裁の完全雇用説が大勢であれば、利上げに踏み切るべきだったということになる。実際には先送りされたわけだが、12月FOMC会合直前に発表された11月雇用統計の結果は新規就業者数が前月比21万1000人増と、10月の29万8000人増より弱かったものの、完全雇用説に従えば今度こそ利上げは“あり”といえる。

インフレ上昇率と失業率は逆相関

ところで、完全雇用と同一の概念に「自然失業率」という経済専門用語がある。これはインフレ上昇率と失業率が逆相関関係にあるというフィッリプス曲線理論との関係でよく使われる。そして、いま、まさにこのフィッリプス曲線理論の解釈をめぐって、FRBの金融政策担当者が利上げ実施か、あるいは先送りかで議論が二分しているのだ。

著名なFRBウォッチャーとして知られる米オレゴン大学のティム・ドゥーイ教授は10月12日付の自身のブログで、「イエレン議長とスタンレー・フィッシャー副議長らはフィッリプス曲線理論に基づいて、企業の設備稼働率が低く雇用が弱いという状況は一時的ですぐに消えるのでインフレが加速するリスクがあると見ているが、ラエル・ブレイナードFRB理事は真逆で、現時点ではフィッリプス曲線理論に基づくインフレ加速の見通しは弱く、最近の雇用市場の改善もインフレ見通しを判断するには不十分で、賃金上昇も弱いとして短期的にはインフレは減速するリスクが高いと主張している」と指摘する。

実は、この自然失業率という概念こそが完全雇用状態での失業率となる。また、自然失業率は、インフレ非加速的失業率(NAIRU)とも呼ばれ、インフレ率が加速も減速も起こさない均衡した閾(しきい)値の失業率を意味する。従って、経済理論的には、実際の失業率がNAIRUの失業率より下回っていれば、インフレが加速し、反対に、NAIRUの失業率よりも高い状態が長期間続けばインフレは鎮静化すると一般的に考えられている。

完全雇用状態の失業率

最近の失業率はNAIRUに達した可能性がある、つまり、完全雇用状態に達したとの主張が出てきた。米経済誌フォーブスの著名コラムニストで英アダム・スミス研究所の研究員でもある、ティム・ウォーストール氏がその一人だ。同氏は11月6日付電子版で、「NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)はどのレベルの失業率を指すかは後で分かるという性質のものだが、ある方法で推定は可能だ。もし著しい賃金上昇が起こり始めれば、そのときがNAIRUの状況にあるといえる」という。

実際、最新の10月雇用統計では、時給賃金が前月比0.4%増、と9月の横ばいから、増加に転じ、前年同月比も2.5%増と、2009年以来6年ぶりの高い伸びとなっている。こうした強い賃金上昇はインフレを加速させる懸念もあるが、ウォールストール氏は、「賃金上昇で理論的にはインフレの加速はありうるとしても、もし労働市場がこれ以上拡大しない限界状態(完全雇用)にあるとすれば、経済の生産(供給)もほぼ限界状態にあることを意味する。インフレは需要が高まれば上昇していくが、生産(供給)は増えない状態では、必ずしも(繁忙期の一時的な)賃金上昇がインフレ加速の原因にはならない」と指摘する。つまり、同氏は、現在の失業率こそがインフレの加速も減速も起こさない均衡したNAIRUの状況だという。

労働市場の拡大は困難

ウォールストール氏は労働市場が拡大しない理由については、「いったん長期に失業した人は技術が陳腐化してなかなか労働市場に戻るのは困難なので、今後、労働市場に参加してくるとは限らないからだ」という。同氏によると、労働市場への参加の程度を示す労働参加率(軍人を除く16歳以上の総人口で労働力人口(就業者と求職者の合計)を割った数値)は、昨年12月時点の米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル紙のエコノミスト調査によると、多くのエコノミストが2016年末までに63-64%を超えると予想したが、実際には9月と10月はいずれも62.4%、11月は62.5%と低下し、1977年以来38年ぶりの低水準となっており、この水準が2016年末まで変わらないという。

さらに、ウォールストール氏は、「より多くの長期失業者が労働市場に戻ってくればくるほど、FRBがインフレ上昇を防ぐために利上げ政策に転じる前に、(つまり、まだインフレを引き上げる政策を取っている間に)、経済の拡大をより長期にわたって持続させることが可能だ」という。これは裏を返せば、実際には長期失業者が労働市場に戻るという状況にはなっていないことから、現状のFRBのデフレ回避のためのインフレ引き上げ政策では失業率を低下させることができないということだ。

利上げは潮時

その上で、同氏は、「我々は今の経済状況に満足できず、もっと雇用を強くし、経済と賃金の両方をさらに拡大させたいと望むところだが、常識的にはちょうど今こそ利上げに転換する正しい時期で、FRBは利上げを開始すべきだ」と結論づける。これも雇用の最大化を一段と追求すると、失業率が今の失業率(自然失業率、NAIRU)より低下するようなことになれば、かえって高インフレを招くことになるので、ウォールストール氏は利上げが潮時を迎えたと見ているのだ。

また、米金融大手シティバンクのマーケットアナリスト、佐溝将司氏は10月5日付顧客向けリポートで、「(FRB傘下の)アトランタ地区連銀の雇用計算モデルを用いると、労働参加率が足元の62.4%で一定ならば、新規就業者数は毎月15万2000人増で、失業率は2016年末に4.7%に達する。この水準はFOMCメンバーの2016年10-12月期の失業率見通し(4.7-4.9%)の下限であるため、ウィリアムズ総裁の見解には合理性があり、9月雇用統計の内容が弱いとは言えない」と指摘する。

もし、この予想が正しく自然失業率が5%だとすれば、2016年末には失業率は5%を下回ることになり、そうなればインフレが加速するリスクが高まることになり、ブレイナードFRB理事や米議会など利上げ先送り擁護派にとっては耳が痛い話だろう。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

増谷栄一の最近の記事