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英国EU離脱、移民流入への国民の恐怖が引き金となった(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

与党・保守党の本音は離脱回避か

ただ、離脱派の急先鋒であるボリス・ジョンソン議員(現・外相)が6月30日に

保守党の執行部の反対で党首選挙への出馬を断念したジョンソン議員=BBC放送より
保守党の執行部の反対で党首選挙への出馬を断念したジョンソン議員=BBC放送より

保守党の執行部の強い反対で党首選挙への出馬を断念し、さらには7月5日の保守党首選挙の予備選で2位となり、決選投票に進むはずだったもう一人の強力な離脱支持派のアンドレア・レッドソム・エネルギー担当閣外相(当時、現・環境相)も7月11日に党執行部の圧力を受けて棄権し、党執行部が強く推す堅実なEU残留支持派のテリーザ・メイ内相が無競争で7月13日に新首相の座に就いたことで、EUの「EU統一市場への自由なアクセス=人(労働者)の移動の自由の容認」という要求についてはEUとの全面対決は避け、自由貿易とEU移民流入阻止のどちらか一つを選ぶというトレードオフにならないようにする可能性がある。メイ首相は英国メディアで、「従来通りのEU市場への自由なアクセスとEU移民削減の両方を優先する」、「離脱協議にはデッドラインがないので(英国にとって)正しい合意が得られるようにすることが重要だ」と明言しているからだ。

英国は今後、自主脱退を可能にするEUの基本条約であるリスボン条約の「第50条」を行使し、離脱の時期や条件などをめぐってEUと協議することになるが、メイ首相は慎重だ。党首選の公約として、党内融和を実現するため、党内の残留支持派に配慮してEU離脱戦略が決まるまでは少なくとも2017年までは第50条を行使しないと表明し離脱を急がない姿勢を示す一方で、欧州懐疑論者の離脱支持派にも配慮して離脱を推進する省庁新設を提案している。また、英紙デイリー・メールの7月3日付のインタビューでも「第50条を行使する前にEU首脳と英国のEU離脱の条件について協議する」とし、さらに、「政府はEU離脱にだけ専念できない。(他にも)もっとやるべきことが多い」とも話しており、強硬な離脱支持派とは一線を画す。

テリーザ・メイ新首相=BBC放送より
テリーザ・メイ新首相=BBC放送より

また、メイ首相はEUが強く求める「人の移動の自由」についても全面拒否ではなくルール変更を主張している。さらに、これまでのメディアでの発言を見ると、EUとの関係は移民流入以外の他の問題も含めて総合的に判断すべきとしている。メイ首相は内務相当時の昨年8月30日付の英紙ガーディアン紙で移民流入問題について、「欧州移民は職業に就いている人だけ受け入れる。今の移民流入の水準(ネットで年間33万人)では英国は持ちこたえられない。学校や病院、住宅、交通輸送などの公共サービスや公共インフラに重荷となる。政府の年間数万人という目標が達成できないのはEUからの移民流入でEUとの関係見直しが重要だ」と制限の必要性を説く。だが、「EU移民を減らす必要性があるからといっても、人の移動の自由の権利を否定するものではない」と柔軟な姿勢を示している。党首選でもう一人の有力候補だった離脱支持派のリーダー、マイケル・ゴーブ司法相(当時)もEU移民削減を公約したが、移民の能力に点数を付けて点数の高い順に移民を認めるオーストラリアの「ポイント方式」を主張している。

党首予備選中、レッドソム氏は7月4日、地元スカイテレビで、「(メイ氏のような)残留支持派が首相になった途端に英国は離脱してもうまくやっていけると信じ突然、離脱派に転向するなんてことは不可能だ」と、メイ首相に対し強い不信感を示し、ジョンソン氏とともに国民投票の結果を受けて次期首相も離脱支持派から選ばれるべきと正論を主張した。だが、党執行部は党内融和を図れるのはメイ議員だけだとして強く推し、結局、メイ氏が予備選で大勝し、その後、無競争で党首に選ばれたように党執行部の離脱回避の本音が見え隠れする。

EU離脱を主張するUKIP(英国独立党)の後援者であるアーロン・バンクス氏は7月10日付の英紙インデペンデントで、「メイ氏は第50条の発動を遅きに失するほどまでに引き延ばし、政治状況が変わったところで、ノルウェー方式でEU単一市場へのアクセスを勝ち取るために人の移動の自由を容認することになる」と警告している。ただ、メイ氏は新首相への就任が決まった同月11日の会見で、「EU残留を試みることや秘密裏にEUに再加盟するようなこともしない」と言明している。とはいえ、その言葉通りになるかは依然として不透明だ。すでに国民投票のやり直しを求めて400万人超が議会への嘆願書に署名しており、ソロス氏も著名エコノミストらが寄稿するプロジェクト・シンジケートの7月8日付電子版で、「離脱は変えることはできないが、今後、署名活動でEU復帰への情熱が示されば政治状況が変わる可能性がある」と危惧する。

新政権でなく議会がEU離脱達成のカギ握る

英国議会
英国議会

国際憲法学会の英国支部会員でオックスフォード大学のニック・バーバー氏ら3人の法律専門家は6月27日付のホームページで、「最終的には政府や首相より議会がEU離脱のカギを握っている」と指摘する。「首相が(英国のEU離脱を可能にするリスボン条約)第50条を発動させるには、議会で第50条の発動に法的根拠を与える法案を可決しなければならない。議会民主主義では国民投票で決まったことをどう斟酌するか、第50条の発動時期などの最終決定権は政府や首相にではなく議会にあるからだ。また、第50条自体にも当該国の法律の要件を満たすことが発動要件として規定されている」というように、新政権が第50条をすんなりと発動できる可能性は低い。

また、3氏は「仮に第50条を発動してEUとの離脱協議が始まっても、2年間の交渉で英国がEUから統一市場への自由なアクセスなどの合意が全く得られずに離脱する可能性もあるため、交渉はどうしてもEUがかなり強い立場にある。結論としては、EU交渉は2年どころか延長されて数年とかなり長期化する。そうなれば損失は英国の方が大きくなる」と予想しており、英国が人の移動の自由のルールを受け入れなければ交渉が持久戦となり英国は国益を損なう可能性ある。

議会で与党・保守党は依然として離脱支持派と残留支持派のわだかまりが消えず党内分裂状態がしばらく続けば、英国の離脱をめぐる対EU交渉にも影響する恐れがある。最大野党の労働党も残留に失敗したジェレミー・コービン党首への不信任決議が採択されたが、コービン氏は辞任せず党内は分裂状態にある。その一方で、英国の中央銀行であるイングランド銀行のマーク・カーニー総裁は6月30日の会見で、7月にも利下げに踏み切る可能性を示すなど景気に政策の重点を移す方針を素早く示したが、不安定な政局の中で新政権がEU離脱を進める一方で、英国中銀のように迅速かつ有効な経済・金融安定対策や移民政策を打ち出せるか疑問が残る。

また、議会では下院(庶民院)も貴族院もEU離脱支持派は過半数に達していないことから、国民投票で離脱が決まったとはいえ、今後、残留支持議員が首相の離脱関連法案の審議を遅らせる可能性もある。ガーディアンの外交担当デスク、パトリック・ウィンツアー氏は6月29日付電子版で、「EUのマーストリヒト条約を英国法にする法案審議では、欧州懐疑派議員が審議を阻止して当時のジョン・メイヤー首相を困らせた経緯がある。ただ、下院が国民投票の結果を無視することは考えにくいが、EFTA(欧州自由貿易連合)加盟やスコットランドの独立を認めないなど対EU交渉に条件を付ける可能性は高い」という。

英国の一部メディアは離脱強硬派のジョンソン議員でさえ、対EU交渉の過程で浮上した離脱条件をめぐって再度、国民投票を実施する可能性を認めているとし、あるいは、保守党が2011年の任期固定法(議員任期中の首相の解散権不行使)の壁を乗り越えて早い段階で解散総選挙に打って出る可能性もあると見ている。残留支持のキャサリン・ビアダー議員(自民党)は7月4日、「離脱派の国民投票キャンペーンは誇張と恐怖と嘘で塗り固められていた。保守党だけでEU離脱が決められるのはおかしい」と主張し早期の総選挙選挙を訴えている。国民投票後の同月4日に公表された世論調査(BMGリサーチ)でも年内総選挙の支持率は52%、残留支持も45%で離脱支持の40%を上回っている。総選挙の結果次第ではジョンソン議員の巻き返しもありうるので、英国政界からは当面、目が離せない。

スコットランドと北アイルランドの独立問題

英国が移民の移動の自由を受け入れなければ交渉は持久戦となり、英国はそれだけ国益を損なう可能性が高まる。英国離脱までの移行期間に、欧州の悲惨な難民危機を解決できない限り、根底に潜む英国民の移民流入への恐怖は消えない。また英国には、EUとの交渉だけでなく、分断された社会やスコットランド独立問題など課題が山積している。

スコットランドが再度、EU加盟だけを問う住民投票を実施すれば、今回の国民投票ではスコットランドでは残留支持が大半(残留62%、離脱38%)を占めたことから残留が決定する可能性は高いが、同時に英国連合からの独立の是非も問うとなれば2014年の住民投票で独立に反対した有権者を納得させられるかは微妙だ。専門家でもスコットランドとイングランドやウェールズ、北アイルランドと国境を挟んで異なる通商政策が行われることへの住民の懸念は強いからだ。

スコットランドのニコラ・スタージョン行政府首相=BBC放送より
スコットランドのニコラ・スタージョン行政府首相=BBC放送より

ただ、独立とEU加盟を同時に勝ち取るには英国連合の中でスコットランドだけがEU単一市場に自由にアクセスでき、その結果、対内投資が増え高度な知識やスキルを持った労働者が流入し北海油田の収益依存の財政体質からの脱却が進むという戦略が必要になる。しかし、スコットランドのEU単独加盟にはフランスとスペインの両首脳はメリットがないと即座に反対を表明したことや、英国議会もスコットランドの独立阻止を第50条の発動条件に決める可能性があるので、英国のEU離脱交渉が2年以上を要することを考えると、スコットランドは住民投票に勝利したあと、独立とEU加盟を達成する政治プロセスが長期化する恐れがあり、その場合、英国もスコットランドも不安定な政治状況が続き経済や金融市場を悪化させるリスク要因となる。

1970年代の北アイルランド紛争が別の形で再燃する可能性がある。現在の北アイルランドの平和と経済的な繁栄は1998年4月にアイルランド共和国(南アイルランド)と英国政府との間で結ばれた北アイルランドの和平協定「ベルファスト合意」で保たれているが、英国がEUから離脱すれば、英国と南北アイルランドの旅行者のオープンな通行を許す共通旅行区域(CTA)が維持される保証はない。EU加盟国の南アイルランドとEU非加盟国の北アイルランドの間に厳重な国境が設けられ再びアイランドが分断される可能性がある。そうなればEU移民の英国流入の裏玄関といわれる南から北への不法移民やテロリストの流入も阻止できるが、関税障壁もできるので南北アイルランドの年間通商額30億ユーロ(約3500億円)が打撃を受ける。打撃を受けるのは豊かな南アイルランドに商品を売っている北アイルランドだ。経済が疲弊すれば強硬なユニオニスト(英国との連合支持派)とナショナリスト(英国からの独立支持派)の対立、また、ベルファスト合意で定められた自決権に従って北アイルランドでは南北統一・英国連合からの独立の是非を問う住民投票が実施され英国連合からの独立の機運が高まる恐れもあり、メイ政権は新たな火種を抱えることになりかねない。

国民投票の結果は民主主義ではないとの批判も

英国のメディアは国民投票の結果が離脱・残留のいずれでも得票率が55%に達するか、両社の得票率の差少なくともが8%ポイントでなければ投票後の相手陣営を黙らせることはできないと伝えていた。その意味で、今回の離脱支持派の僅差での勝利は政治家や有識者の間に強い不信やわだかまりを強く残す結果にもなった。

米ハーバード大学経済学部教授でIMF(国際通貨基金)の元主席エコノミスト、ケネス・ロゴフ氏もその一人だ。同氏は国民投票の開票結果が判明した6月24日付のプロジェクト・シンジケートで疑問を投げかける。「投票率は約70%だったので、離脱支持派の得票率52%も実際の数値で見ると、わずか36%の有権者の投票で決まったといえる。単純過半数というのは重大な結果をもたらすEU離脱の決定には馬鹿げているほどハードルが低かった。これは民主主義ではない。ロシアンルーレットだ」と言い切る。

また、ロゴフ氏は、移民問題にも触れて、「キャメロン政権が残留を決められなかったのは離脱支持派が移民流入問題を提起して有権者に圧力をかけたにもかかわらず、それに対抗してEUメンバーに残留することのメリットを深く考えるように説得する努力が足りなかった」と批判する。

キャメロン前首相は不用意に国民投票だけでEU離脱を決めた

振り返って日本の憲法改正の場合、国会の各議院のそれぞれの議員の3分の2以上の多数決で発議されたあと、国民投票で過半数の多数決で雌雄が決まる仕組みで、最初から国民投票の過半数だけで決める危険性を回避している。英国には成文化された憲法はないが、EU離脱という重要な国民投票に関して言えば、キャメロン首相は2015年5月の総選挙で保守党が過半数の議席を獲得したというだけで、選挙公約通り安易に国民投票を実施したのは失敗だった。

2015年5月まで連立与党だった自民党のニック・クレッグ前党首は6月24日付の英紙フィナンシャル・タイムズに寄稿し、「デービッド・キャメロン首相(当時)とジョージ・オズボーン財務相(当時)は欧州懐疑論者のふりをして党内の支持を集め、土壇場の国民投票で残留を決められるとたかをくくったが、結局失敗に終わり、子供たちの将来にリスクを負わせた責任は重大だ」という批判もある。国民投票に頼りすぎたことで将来に禍根を残したといえそうだ。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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