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メイ英首相、対EU交渉で新・鉄の女に変貌―英国はタックス・ヘイブンでEUに対抗

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

英国のテリーザ・メイ首相は1月17日に行ったブレグジット(英国のEU離脱)演説で “ハードブレクジット”に向かう戦略を明確にした。

メイ首相は「EU離脱によって英国は世界で最も強力な自由市場や自由貿易を推進するリーダー国に上り詰めるチャンスを得る」と強気姿勢を崩さない
メイ首相は「EU離脱によって英国は世界で最も強力な自由市場や自由貿易を推進するリーダー国に上り詰めるチャンスを得る」と強気姿勢を崩さない

地元各紙の1面を飾ったメイ首相の演説への反応を見ると、どれも打って変わって高評価だ。演説が行われた約2週間前、英有力経済誌「ザ・エコノミスト」は1月7日付の表紙でメイ首相を取り上げ、EU(欧州連合)離脱戦略を一向に示さないメイ首相を「英国の優柔不断な首相テリーザ・メイビー(Teresa Maybe)」と、メイ首相の名前をもじって厳しくこき下ろしたのとは様変わりだ。

英大衆紙デイリーメールは1月18日付紙面のトップで、かつて「鉄の女」と呼ばれた保守党のマーガレット・サッチャー元首相(1979年~1990年)を引用して「新・鉄の女」と称賛し、ジェームズ・スラック政治部デスクは、「メイ首相はEUとの離脱協議で満足できる合意が得られなければEUから立ち去ると最後通牒を突き付ける」と報じた。ロンドンの無料紙大手メトロも1面見出しで「私をメイビーと呼ぶな」と皮肉たっぷりに伝え、英有力紙デイリー・テレグラフは「メイ首相は“(EU協議で)バッドディール(英国が損をする悪条件の離脱合意)を結ぶくらいなら何もしない方がましだ”と語った」とし、英大衆紙デイリーミラーにいたっては、「EUは我々と協定を結べ。そうしなければ我々はEUから立ち去る。これがメイ首相の最後通牒だ」との大見出しで意気軒高だ。

米英、EU包囲網作戦

メイ首相は演説の余勢を駆って1月19日にスイス・ダボスで開かれた世界経済フォーラムで、「EU離脱によって、英国は世界で最も強力な自由市場や自由貿易を推進するリーダー国へと上り詰めるチャンスを得る」と述べ、世界の自由貿易主義のリーダー国になると息巻いた。同首相は、「すでにオーストラリアやニュージーランド、インドとも貿易協議に入った。中国とブラジル、中東の湾岸諸国も自由貿易協定の締結に関心を寄せている」と述べており、英スカイテレビのゾイ・キャッチポール政治部記者は同日付電子版で「メイ首相のこうした発言は米国のドナルド・トランプ大統領が英国とEU離脱後直ちに貿易協定を結ぶと示唆したことを受けたものだ」と指摘、米英によるEU包囲網作戦を彷彿とさせる。さらにメイ首相はトランプ大統領との1月27日の会談前、フィラデルフィラで演説し、「EU離脱後は英米が世界のリーダーとなる」と宣言。デイリー・テレグラフも「サッチャー・レーガンの蜜月関係を思い起こさせる」と報じた。そしてトランプ大統領も会談後、共同会見から退場する際にメイ首相と手を繋ぐ演出を見せた。

米英関係について、ロシア科学アカデミー欧州研究所のエレナ・アナニエバ英国研究センター所長もタス通信の1月17日付インタビューで、軍事面からEU離脱後の英国の米国への傾斜が一段と強まると予想。「英国はEU離脱後、米国との関係がより一層緊密になる。両国は第2次世界大戦以降、軍事や諜報活動で特別な関係にある上に、最近、英国が米国製潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」システムの近代化を承認したことは米国への絶対的な依存を意味する」と強調する。

しかし、英紙フィナンシャル・タイムズの外交問題コメンテーターのギデオン・ラックマン氏は1月30日付電子版で、「1930年代以来最強の保護貿易主義者のトランプ大統領が輸入関税を実行しWTO(世界貿易機関)ルールを無視すれば、世界の自由貿易主義のリーダーを目指すメイ首相はトランプ大統領と意見が合わず、米国との貿易協定も英国が受け入れがたい内容になる恐れがある」と警告する。

一方、EU大統領の元経済顧問フィリップ・レグレイン氏は、著名エコノミストらが寄稿するプロジェクト・シンジケートの1月19日付電子版で、「メイ首相は2019年に英国をハードブレクジットに導く。もし英国がEUとの貿易協定を結べないままEUから離脱すれば英国経済は崖から滑り落ちる可能性も否定できない。メイ首相は経済よりも強硬なEU離脱支持者を優先することを明確にした」と言い切った。その上で、「メイ首相は経済について無知だ。EU離脱後の移民規制でEU離脱派に媚び、英国が欧州裁判所の支配から逃れることで保守党の愛国主義者のご機嫌をとり、首相の座に居座り続けることが最大の目的」と敵意をむき出しにする。

メイ首相、タックス・ヘイブンでEUに対抗か

昨年6月の国民投票で英国のEU離脱が決まったものの、それ以降、メイ首相は「離脱といったら離脱だ」の一点張りで一向にEUとの離脱交渉に臨む具体的なブレクジット戦略を示さなかった。このため、英国の産業界や金融界は対応策に苦慮し不安を募らせる一方だった。しかし、今回の演説はこうしたメイ首相のどっちつかずの曖昧模糊としたブレクジットを勢いづける一方で、英国は3月末までにEU離脱を可能にするリスボン条約第50条を発動したあと、EUとの交渉で壁にぶつかれば、メイ首相はタックス・ヘイブン(低課税国)という“プランB”を実行するとの見方がある。

英紙デイリー・テレグラフのコラムニストでロンドン金融街の著名なエコノミストとして知られるロジャー・ブートル氏は、同紙の1月22日付電子版で、「メイ首相の演説は極めて自信に満ち、かつ、挑戦的だ。これまでの曖昧なEU離脱政策から180度転換したことは経済界にとってプラスだ。なかでも歓迎すべきなのは英国が欧州単一市場から離れ米国や中国、インドなど他の多くの国と同じようになるという、EU離脱の方向性が明確になったことだ」と高く評価。その上で、「メイ首相はEU市場への非関税障壁の撤廃と同時に、域外国に対して適用されるEU対外共通関税(CET)の撤廃、そして世界中の国との自由な貿易交渉を望んでいるのは明らかだ」という。

しかし、ブートル氏は、「メイ首相の演説で注目されたのは、もしもEUが英国にバッドディールを提示した場合、メイ首相はEUが英国からの輸入品に制裁関税をかければ英国も報復関税で対抗するだけでなく、英国はEUとの競争に勝つために法人税を引き下げ、規制も緩和する可能性を示したことだ」と指摘する。これがプランBといわれる英国の“最終兵器”だ。

プランBについては、英紙フィナンシャル・タイムズ(『FT』紙)のジョージ・パーカー記者らも1月19日付電子版で、「メイ首相はもしもEUが英国に対し制裁措置を発動すれば、世界的な優良企業や巨万の富を持つ投資家を英国に呼び込むため競争力のある法人税率などで対抗するとしたが、これは英国が防衛や諜報活動でEUに貢献していることも踏まえると、EUはメイ首相のただの強がりと思っているとはいえ、EUを危うくしかねない」という。

ミシェル・サパン仏財務相は『FT』紙の1月19日付電子版で、「英国政府がいかに困っているか、弱さの表れだ」する一方で、WTOとEUの貿易問題の弁護士として活躍したアムステルダム大学のピートル・ヤン・カイパス教授は、「きわめて子供じみた発言だ。貿易協議ではよくあることだ」と軽くいなす。ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相は英スカイニュースの1月19日電子版で、「英国がいくら(法人税率17%という)シンガポールのような外国企業を惹きつけるタックス・ヘイブンに転換すると脅しても世界各国のリーダーは真に受けないし、そうした(外資誘導目的の)法人税引き下げ競争はG20合意に反する」と、けん制する。

離脱協議が始まれば、EUは英国に400億~600億ユーロ(4.8兆~7.3兆円)の未払い債務(未払い拠出金や年金債務、貸金保証、英国拠点に行われている事業への支出など)の支払いを求めるのは必至で、両者の協議が暗礁に乗り上げる可能性がある。離脱協議の長期化は避けられない。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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