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川澄奈穂美、2度目のアメリカ挑戦へ。揺るぎない覚悟と神戸への思い

松原渓スポーツジャーナリスト
シアトル到着後、再開した川澄とベブ(C)メイブリーズ

なでしこリーグのINAC神戸レオネッサから、アメリカ女子プロサッカーリーグのシアトル・レインFCに完全移籍した川澄奈穂美選手。

今回は独占インタビューとして、シアトル行きの便に搭乗する直前に話を聞くことができた。

2014年に初めて移籍した際は半年間のレンタル移籍だったが、今回は完全移籍を選択。退路を絶ってアメリカへ渡った、その理由とはーー。

ファン・サポーターとの交流を大切にし、会場に足を運んだ人に「また見に行きたい」と思わせる、その素顔にも迫った。

【決断】

「ナホナホナホ!」

サポーターの声が、厚い雲に覆われた空にこだまする。

6月19日、千葉のフクダ電子アリーナで行われたなでしこリーグカップのジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦が、国内ラストマッチとなった。後半26分からピッチに立った背番号「9」は、20分間、有り余ったエネルギーを吐き出すようにピッチを駆けた。

2016年6月。川澄奈穂美は8年半所属したINAC神戸レオネッサから米女子プロリーグ、シアトル・レインFCへの移籍を決断した。2014年に期限付きレンタル移籍で半年間、シアトル・レインFCでプレーしたことがあるが、今回は同チームへの完全移籍を選択。退路を絶ったその決断には、どんな思いがあったのだろうか。

川澄:今シーズンはあまり納得のいく出場機会が得られていませんでした。それは自分自身の実力不足でもありますが、その時にシアトル・レインFCからオファーをいただいて、もう一度、試合に出るチャンスがある中で成長したいと思ったのがきっかけです。

また、日本人として、日本代表に入って世界で戦いたいという思いもあります。年齢を重ねてもう代表は…と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、現役でやっている以上は日本代表を目指したいですし、選手としても、もっともっと上を目指したいといつも考えています。移籍したから代表に選ばれるわけではないですが、クラブでの活躍があってこそ代表につながると思いますので、出場機会を求める意味でも決断しました。

前回はレンタルだったので帰る場所がありましたけど、短期間でしっかりと結果を残してその後のオファーをもらうということもプロ選手として大事なことですし、今回はそのことをしっかりと意識したいと思ったので完全移籍を選びました。アメリカは世界一の女子サッカーの国だと思いますし、そのリーグでプロとしてプレーできることはサッカー人生においても有益な経験だと思います。シアトル・レインFCでは2014年に一度お世話になっていて、その時もすごく良い経験ができました。

ーーシーズン中の移籍という点でも、前回の移籍とは異なります。準備期間がない中で異なる環境に飛び込んでいく難しさもあると思いますが。

川澄:シーズン中の移籍は自分の中でも「ない」と思っていたんですよ。それは人情的な部分もありますけれど、シーズンが始まった時に、このチーム(INAC神戸レオネッサ)で1年間やろうと決めていたので。でも、スタートで出られない時期が続いていくうちに、「こういう心境の変化も生まれるんだな」ということを知りましたし、自分がプロ選手だということを強く意識しました。まずは試合に出てこそ価値がある、と。

ーー試合勘が失われていく焦りも感じていたのでしょうか。

川澄:試合勘がなくなるということは、そこまで感じなかったです。でも、私は90分間試合に出てなんぼだと思っているので。「途中から試合に出て流れを変えてほしい」と期待されているのであれば、割り切ってそういう形でチームに貢献する方法もありますけれど、スタートから出て90分間やりたいという思いは捨てたくありませんでした。出場機会が得られない中で、出られるようにもがいて頑張ることも大切なことだと思いますが、今は出られるチームに行こうと直感で思ったんです。

ーー前回シアトルに移籍した際に、ヨーロッパではなくアメリカのチームを選んだ理由について、「選手として評価されてオファーをもらい、その評価を超えることも新たな挑戦」と話していました。今回もヨーロッパのクラブという選択肢はなかったんですか?

川澄:今回も(シアトル・レインFCから)オファーをいただいたということが大きいですね。それに、前回は自分が違う環境でどういう風にサッカーをできるか、ということを知りたかったのも移籍の理由でした。今回の場合は、所属チームで試合に出られていなくて、出場機会を求めたことが大きいので。そういう意味ではオファーをくれて、出場機会を得られそうなチームに行くということが大切でした。

【初めてのアメリカ挑戦(2014年)で得たもの】

2011年ドイツW杯では、大会中に先発に抜擢され、鮮やかな活躍で「シンデレラガール」と呼ばれた。その後、国内リーグで2度のMVPや得点王にも輝き代表でも主力に定着したが、川澄はあえて環境を変えて困難にも思える環境に身を投じ、チャレンジを続けた。2014年に移籍したシアトル・レインFCでは、22試合に出場して9ゴール5アシストの活躍でリーグのベストイレブンに選出。その実績から同年のバロンドール候補10人にノミネートされるなど、選手としての評価を高めた。

川澄:アメリカでの半年間の刺激は自分にとってすごくプラスでしたし、必要なものだったと感じています。「こんなに思い切ってプレーしていいんだな」という感覚が新鮮でした。シアトル・レインFCでは個性を存分に出すことがチームのためになるという考え方で、個人プレーに見える部分もあるんですけど、そこにチームとしての組織力が上乗せされるとすごい爆発力になる。サッカー観が変わりましたね。

ーー練習でのコンディション調整について、アメリカで参考になったことはありましたか?

川澄:シアトルの選手たちは自主トレを全然しないし、(練習後の)ダウンもほとんどしない。練習が終わったらすぐに帰る選手も多くて、それでもやれるなんてこの人たちはすごいなぁ、と思いながら見ていました。オンとオフがはっきりしているのもあるんでしょうね。日本では練習場に1時間半ぐらい前に着いて準備をするので。でも、以前体幹のトレーニングを教えた選手が(※体幹のメニューをシアトルのチームメイトに教え、「SENSEI」と呼ばれていた)「いまだに続けているよ」と言っていたので、また一緒にやれるのが楽しみですね。

ーー前回の移籍では、半年間であっという間にチームに馴染んでいました。コミュニケーション力の高さの秘訣はなんでしょうか。

川澄:良い意味で、あんまり気にしない性格なのが功を奏しているんだと思います。言葉も、なんとかなっていると思い込んでいるところがあるので(笑)

アメリカのサッカーは1対1の感覚が強いですし、日本みたいに細かく連動して崩すというよりは「自分の良いところを出していこう!」という傾向があります。縦の選手との関係などは意識しますけれど、仲間の特徴を掴めていれば、そこに100%で動き出したりとか、要求をすれば良い形は作りやすい。それがアメリカの良さでもあるのかなと思います。

ーーアメリカは完全なプロリーグという点でも日本と違いますが、チームイベントやファンサービスなどへの取り組み方は違いましたか?

川澄:そうですね。ただ、その中でもINACは同じような環境(※)でやらせていただいていたので、ファンの方と近いですし、どちらも理想的な形だと思います。アメリカでは試合後にファンゾーンが作られるんですが、そこにいるのは子供の姿ばかりなんです。大人もいるんですが、保護者として付き添っている感じで、子供の写真を撮るためにカメラを構えている。そうやってファンゾーンに子供達がずらーっと並んでいる光景を見ると、夢があるというか、こういう子達が選手に憧れて成長していくんだろうなと感じましたね。

※プロ契約。INAC神戸では、数人の選手はプロ契約で、他の全選手は株式会社INACコーポレーションの社員契約で、サッカーに集中できる実質プロの形で活動している。

【2度目の挑戦ーー新天地への期待と、神戸への思い】

アメリカは女子の世界ランキング1位の座を長くキープしており、8月のリオ五輪では3連覇を目指している。代表選手たちがしのぎを削るリーグで、圧倒的なスピードやパワーを日々体感できるのは大きな利点だろう。一方で、生活面や言葉のハードルもある。2度目のアメリカ挑戦に、どのようなイメージを持って臨むのだろうか。

川澄:前回一緒にプレーした選手がチームの核としてプレーし続けているので、また一緒にプレーできるのは楽しみですね。INACにも所属したベブ(BEVERLY YANEZ)とプレーするのは楽しかったですし、中盤のキム(KIM LITTLE/スコットランド代表)と、ジェス(JESSICA FISHLOCK/ウェールズ代表)と、キーリン(KEELIN WINTERS)の3人が自分の中ではお気に入りの中盤3人でした。とてもバランスの取れた3人なので、きっといいパスをくれると思います。

ーー前回は9ゴール5アシスト。今回、具体的な目標はありますか?

川澄:今回はシーズン途中から入ることもありますし、出られたとして最大で残り10試合なので、前回の半分ぐらいの試合数になると思います。結果を出すという意味でも、前回の半分は決めたいですね。

ーーアメリカは広くて移動時間も長くなりますし、生活のリズムを整えるのにも難しさがあると思います。そういった面で、日本との違いにはどのように対応しますか。

川澄:移籍して一番最初の遠征の時に、機材トラブルで4〜5時間空港で待ったんです。出だしがそれだったので、あとは何でも来いって感じでしたね(笑)さすがに、アメリカの反対サイド(東海岸)に行くのに5時間かかって時差も3時間あったのにはびっくりしましたし、移動で一日使うことも多いんです。それは日本ではないことですし、気にしていたらやっていられないので。

私は「環境にどうやって合わせるか」というよりは、「環境がなくてもなんとかする」という考え方です。たとえば食事は、日本食を取り扱うスーパーで大体の食材は手に入るんです。料理は好きなんですけど、前回行った時はキッチンがシェアだったので、自由には使えなかったんです。今回はキッチンを一人で使えそうなので、料理も日本にいた時に近い雰囲気でできるんじゃないかと期待してるんです。

ーー今、一番のライバルを挙げるとしたら?

川澄:シアトルでは試合に出るためにチームメイトがライバルになりますし、チャンピオンシップで優勝するために、その相手も勝たなければいけないライバルになります。もちろん自分自身もライバルですが、今はやる気しかないので。たとえば、「もっと自分を奮い立たせて頑張らないと」とか、年齢的にも…とか、そういう思いは全然ないんです。うざいぐらいにやる気に満ちているので(笑)

試合に出たい、もっと上手くなりたいという気持ちは、20代前半ぐらいの感じなんですよ。それこそ大学生の頃とかINACに入りたての頃に戻ったような感じです。一応、ブログでは永遠の24歳と公言しているんですけど(笑)

ーー年齢を重ねるとプレーに味も出てくるものだと思います。これから、自分のプレーをどんな風に変化させていきたいですか?

川澄:年齢を重ねて、ちょうど「昆布だし」ぐらいの味は出てきたかな、と。ここからは「合わせだし」ぐらいにしていきたいですね。コクも出していきたいなと。何歳になっても選手として満足することはないと思いますし、もっともっと、という気持ちが常にあります。27、8ぐらいの時は、自分のプレーってこういう感じなんだな…と、限界を作っていたわけじゃないんですけど、この先これ以上変化していくのかな?と思ったこともありました。でも、続ければ続けるほど知らない自分に出会えて、新しい感情が生まれて「自分ってこんな考え方もする人間なんだな」と気づかされました。シアトルで、また新たな自分に出会えるんじゃないかという期待感もすごくあります。

ーーブログもそうですが、サッカーに限らず、自分を表現する言葉の引き出しが多いですね。「言葉」を意識するようになったきっかけはありますか。

川澄:なんでしょうね…昔からおしゃべりな子供だったので。しゃべり出した頃から、人がいなくてもしゃべり続けるぐらいの子だったらしく、うちの親は娘がどこにいるかすぐ分かったそうです(笑)。自分の気持ちをなるべく言葉でしっかりと反映させたいという思いは物心ついた頃から持っていました。サッカーでもそうですが、自分の意見はちゃんと伝えたいです。そのために何か特別に訓練したわけではないのですが…日記を書くのも好きでしたね。でも、相手を傷つけないような言い方は考えています。それも生きる術でしょう?(笑)

ブログもある程度言葉は選びます。炎上してもいいんですけれど、それが女子サッカーのイメージになってしまうことは避けたいので。誰もが見て「嫌だな」と思わないことを大事にしながら書いています。でも、長く続けているからこそ、読んでくれる人が私のキャラクターを分かってくれているので、思い切り書ける部分はありますね。

ーー8年半を過ごしたINACと、神戸への思いを教えてください。

川澄:温かく迎えてくれて、温かく送り出してくれるチームメイトやサポーター、ファンの皆さんにとても感謝しています。INACは自分の原点ですし、選手としてではなくても、自分にとって戻れる場所、ホームだと思っています。日本に戻った時は、実家よりも神戸に寄り付くんだろうなと。だから、寂しさは思ったよりはないですね。

神戸は永住しても良いぐらい好きな街なんです。初めて一人暮らしをしたのが神戸で、私のスタート地点です。やっぱり関西人のあのノリは、すごくいいなぁと思いますね。思えば、最初の頃は関西弁に慣れなくて、テレビでMCもコメンテーターもみんな関西弁なのが不思議な感じで、面白かったのを覚えています。

ーー練習や試合の後にファンサービスをとても丁寧にしている姿が印象的でした。

川澄:練習場に足を運んでくださって顔や名前を覚えるぐらいまで来てくださる方々は本当にすごいなと思います。でも、好きなサッカー選手がいたとして、遠方からいらっしゃる方はいつでも練習見学には行けません。ブログのコメントを読んでいると、主婦業だったり、まだ子どもが小さくて外に行けなかったり。そんな中でも「応援しています」と言ってくださる方もいらっしゃいますし。そういうことを考えると、本当に大勢の方々が応援してくださっているんだなというのを実感できるんです。選手としては結果でお返しするのが大前提なんですけど、試合会場に行けば会えるという身近な選手でありたいと思っていましたし、私自身が楽しませてもらっていました。

ーーファンやサポーターから言われて嬉しかった言葉はありますか?

川澄:試合会場だと、テレビで見られないところが見られるじゃないですか。たとえば初めて試合を見に来てくれた時に、「いつもは画面の中でしか見られないけれど、あんなところでああいう走りをしていたんだね」などと言われた時は嬉しいですし、そこを見てもらえるとサッカーって面白いでしょう?って。また試合を観に来てくれるかな、と嬉しくなりますね。

ーー今、一番見たい光景は、どんな光景でしょう。

川澄:タイトルでは、オリンピックの金メダルはもちろんですし、ワールドカップでもう一度、金の紙吹雪を見たいという思いはすごく強いですね。やっぱり、良いものを見せてもらってきたからこそ、その思いは人一倍強いと思います。まずはアメリカで活躍する姿を、皆さんにインターネットなどを通じて見ていただけたら嬉しいですね(※)。

※アメリカ女子プロサッカーリーグの試合は、youtubeでリアルタイムで観られる。

新天地での背番号は「36」。初めて代表メンバーに選ばれた時の数字を選んだ。自らの原点を見つめながら、”未知なる自分”との出会いを求め、川澄の新たな挑戦がいよいよ始まろうとしている。 

燃えたぎる意欲を爽やかな笑顔に忍ばせ、川澄は搭乗ゲートに消えていった。

シアトル・レインFCでの活躍を誓う(C)メイブリーズ
シアトル・レインFCでの活躍を誓う(C)メイブリーズ
スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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