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不屈のヤマハ矢富がPOへ走る

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

ラグビーには「人間」がみえる。トップリーグのヤマハ発動機は東芝の猛反撃をしのいで1点差で逃げ切り、プレーオフ進出に望みをつないだ。「明けまして…おめでとうございます」。実直、律儀なSH矢富勇毅は記者会見でこう口を開き、場を和ませた。

「しっかり勝ち点5をとったのは、自信になります。自分たちの勝つという強い気持ちが最後、ああいう…。外してくれたのかな、と思います」

ヤマハは一時、22点の大差をつけたが、ラスト15分間に3トライ(ゴール)を奪われ、リードはわずか1点になった。ロスタイム。東芝のPGが外れて、なんとか勝利を手にした。まさにひやひやものだった。

なぜ、猛追を許したのか? そう聞かれ、矢富は続けた。

「正直なところ、途中で勝利を確信してしまって、ちょっと気が緩んだのかな…。それが甘さかなと思うし、逆に、また伸びシロがあるところじゃないかなと思います。60分間やった試合を、80分間やり続けないとプレーオフの優勝は見えてこない。そこを課題として、グラウンドに出ている選手たちがしっかりと意識して、これから練習していかないとダメだと思います」

隣に座ったヤマハの清宮克幸監督が目をつむって下を向き、小さくうなずいていた。なんだか、いいシーンだった。

矢富は年輪を重ね、いい選手に成長した。早大時代に本格的にSHに転向して活躍。ヤマハに入社した2007年、日本代表としてワールドカップ(W杯)フランス大会にも出場した。身体能力を生かした機動力、パスさばきは、見ていて惚れ惚れするものがあった。

たしか、海外でプレーすることを夢見ていたと思う。でも悪夢に襲われる。2011年に右ひざの前十字じん帯を断裂。壮絶なリハビリの末、復帰したものの、12年、今度は左足の前十字じん帯を断裂してしまった。選手生命の危機にさらされたが、それでもラグビーをあきらめなかった。

不撓(とう)不屈の精神で、再び、グラウンドに戻ってきた。ヤマハのHPによると、モットーが『努力は運をも支配する』。そのリハビリの間の辛苦を、本人以外のものが軽率に語ることはできない。ただ、よくぞ頑張ったと拍手を送るだけである。

昨年10月には、日本代表に5年ぶりに復帰した。前週のトヨタ自動車戦に今季初先発し、この東芝戦で初のフル出場。会見では、これまでの波乱のラグビー人生を知っているベテラン記者から思わず、拍手が起きた。

「去年、おととしと違って、今年はシーズンの頭からずっとリザーブで準備してきたし、この9番というジャージを着て出場することをイメージして、トレーニング、コンディショニングをやってきたつもりです。そういった意味では、いつ出番がきても大丈夫なように準備はしていました。とくに80分の」

ちょっと間をおいて、照れながら言葉を足した。笑いが起きた。

「ただ終わってみれば、しんどいなというのはあります」

来月、30歳の誕生日を迎える。こういう不屈のオトコがいるチームは土壇場で強い。根っからの負けん気、元気に加え、ラグビーができる幸せを知っているからである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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