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釜石昇格成らず、でも歴史はつくった

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

寒風吹きすさぶ中、確かに挑戦者の釜石シーウェイブス(SW)の選手たちはからだを張った。「ひたむき」だった。だがクボタの壁にはね返され、5-34で敗れた。トップリーグ昇格は来季以降にお預けとなった。

冬の空の青色と赤、黄、だいだい色。スタンドでは釜石応援団のカラフルな大漁旗がばたばたとはためいた。「釜石コール」が続く中、頭を下げる釜石SWの選手たちにあたたかい声援も飛ぶ。「ありがとう~」「来年、がんばれよ~」「歴史はつくったぞ」

そうなのだ。階段を1つ1つ登るように、新たな歴史はつくった。希望の灯りはみえた。トップイーストで2位となり、初めてトップチャレンジに進出した。そこを勝ち上がり、14日のTL入れ替え戦に初めてたどり着いたのだ。

シーズンを通して、釜石SWは少しずつ成長してきた。その跡はみえた。コンタクトエリアでTL13位のクボタ選手と互角に渡り合った。ロータックルも冴えた。ロックのルイラタが、フランカーのヘーデン・ホップグッドがボールに絡んだ。

スクラムだって押されなかった。3番の佐々木和樹は踏ん張った。強風下の熊谷ラグビー場。風上の前半、ボールを連取し、散らし、最後はFB沼田邦光が左隅に飛び込んだ。5-8と追い上げた。

誤算もあった。まず、左足首のねんざでFWの大黒柱のロック伊藤剛臣が欠場を余儀なくされた。さらに、沼田がトライした際、足を痛めて途中交代せざるをえなくなった。強風下の風上チームの鉄則。敵陣深く蹴り込んでのゲーム運びに狂いが生じた。

やはり、プレッシャー下でのプレーの精度がクボタより劣った。ゲーム運びや、個々のスピード、対応力、判断のはやさでもしかり、である。チャンスでの釜石SWのミスが多いのである。これでは勝てない。風下の後半、点差をつけられた。

須田康夫主将はこう、言った。「新しい歴史をつくろうと臨んだ試合だったんですけど、トップリーグのクボタさんの試合巧者ぶりというか、ゲームの中での精度という部分で差がでたのかなと思う。トップイーストでやっているラグビーが通用しなかった」と。

でも自信もつかんだようだ。「セットプレーでは余裕を持ってできた。そういう部分ではタフになったのかと思います。コンタクトエリアではやれる自信がついたので、また1からやり直したい。もっと情熱とか、執着心とかを出していけば、全然、届かない距離ではないと思います」

今シーズンは、とくにディフェンスを強化してきた。三浦健博ヘッドコーチは選手の成長を実感する。

「ディフェンスやラックエリアで、1対1で同等にやれている場面があった。選手もチームも大きく成長した1年だった。あとは力を常に発揮できるチームになれば、トップリーグに近づけるのかなと思います」

敗れても、釜石SWはクボタへのレスペクト、感謝を忘れない。4年前の震災の際、すぐに復興支援を表明し、夏、釜石で練習試合を組んでくれた。その時は釜石SWが5-40で敗れた。内容の接近は、クボタらラグビー仲間のサポートのお陰でもある。

釜石SWは幸せなチームである。この日のスタンドはTL入れ替え戦としては異例ともいえる約2千人もの観客が詰めかけた。大半が釜石の応援だった。釜石市からも応援団が押しかけ、午前3時半に釜石を夜行バスで出た人々も。野田武則市長も駆け付けた。

もちろん、トップリーグ昇格を逃した悔しさはあるだろう。プレーできなかった伊藤は「非常に悔しい。残念ですね」と漏らした。チームから求められれば、来季も釜石SWでプレーしたい意向だ。「自分は行けるところまでプレーすると公言していますから」という。「行けるところまでって?」と聞かれると、43歳はこう、即答した。

「死ぬまでじゃないですか」

もうじき、東日本大震災から4年目の「3・11」を迎える。いつもチームの裏仕事に奔走する釜石SW事務局の浜登寿雄さんは意外に明るい表情だった。「悔しいけれど、釜石らしさは十分、発揮してくれました」と。

「よく、ここまでやってきた。まだ、ちょっと、たんねかったけど。試合を追うごとにチームは成長して、見ているこちらは胸を打たれた。これだけ人が集まってくれるのは、なんと幸せなチームだなと思います」

3月上旬には、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の釜石招致の成否が決まる。震災復興のためにも、W杯の成功のためにも、浜登さんは釜石にW杯が来てほしいと祈っている。

浜登さんは津波で妻らを亡くした。ことしも、「3・11」の日、仏壇に手を合わせることになる。

「家族への悲しみや思いはありますけど、いつまでも、くよくよしたり、後ろ向きだったりの姿は(故人は)喜ばないでしょ。ことしは前向きな報告ができそうです。“釜石SW、がんばっていたよ”って。ワールドカップが決まれば、“ワールドカップも開けるよ”って」

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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