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震災4年。ある釜石ラガーの願い

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

あの東日本大震災から4年が経った。3月11日の水曜日。朝起きると、不遜を承知で、またも岩手県釜石市に住むラグビー釜石シーウェイブス(SW)事務局の浜登寿雄さんに電話をかけた。

46歳の浜登さんは震災で、両親と妻と三女を、山田町のマイホームもろとも津波に奪われた。鎮魂の祈りを捧げながら、4年目を迎えた今朝の心境を聞いた。

先日、「ラグビーのまち」の釜石市はラグビー2019年ワールドカップ(W杯)の開催地に決まった。朗報である。浜登さんは次のようにしみじみと語ってくれた。

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ことしも、朝起きて、仏壇に線香をたむけ、しずかに鐘を鳴らしました。

もう4年が経ちました。1年目の3月11日は自宅跡に行き、14時46分のサイレンとともに大泣きしました。亡くなった家族を思うと涙が止まりませんでした。

2年目は、「娘たちを見守ってくれよ」とお願いしました。去年は、「ワールドカップを誘致しているから応援してくれよ」と手を合わせました。

今日は、これまでとちょっと違いました。「ワールドカップの釜石開催が決まったよ。ありがとうな! これから、またがんばって、大会を成功させるから」って言いました。「ワールドカップをきっかけに、震災前にも負けないまちにすっからな」って。

まだまだやんねえばねえ(やらなければならない)ことがいっぱいあっから、まだそっちには行けないけど、勘忍してけろよって。そう遺影に話しかけました。

もちろん、きれいごとだけでは済まされない話です。亡くなった家族への思い、遺族のかなしみ、苦しみ…。多くの方々の不自由な仮設住宅の生活は続いています。復興だって、なかなか進んでいません。そんな中、多額の予算を投じてスタジアムを建設し、なぜワールドカップをやらないといけないのか。

私も、自問自答したこともあります。でも、やらなければいけないのです。震災後のがれきの山にまちの未来は見えませんでした。明日の生活を考えるどころか、その日の暮らしさえままならない。絶望というか、実際、そんな日もあったのです。

でも、子どもたちには大きな夢や希望を持ってほしいのです。津波はいろんなものを私たちから奪っていったけれど、釜石のラグビーまでは持っていかれなかった。ここにはラグビーがあるのです。

ラグビーを通じて、地域に貢献できることはないのか。そのひとつの答えが、ラグビーの2019年ワールドカップの誘致でした。

釜石開催はゴールではありません。その準備や試合を通し、復興を加速させ、子どもたちの笑顔を増やし、地域の将来へつなげる起爆剤となるのです。

だから、何としても誘致し、ワールドカップを成功させなければならないと思っていました。以前より、もっと、もっと良いまちにして、次の世代にバトンタッチする。それが私たちの役目であり、震災で亡くなられた方々への一番の弔いだと思います。

そのためのワールドカップ、そのための準備、そのための希望だと思います。

そうそう。ワールドカップがくることが決まったことで、娘たち(長女、次女)も喜んでくれました。決まった後、すぐにラインで“おとうさん、おめでとう”、って連絡をくれました。“がんばったね”って。

“ありがとう”って返しました。短いって。いやいや、その5文字には私の万感の思いが込められています。娘たちも、つらい時期、よくがんばってくれたと思います。

娘たちには言っています。“4年後、地球上のどこにいても、ワールドカップの時は必ず、釜石に戻ってこい”って。“ボランティアとして、ワールドカップを手伝ってほしい”と。それがお世話になった方々への恩返しにもなると思うんです。

こういった明確な目標ができるっていいものですね。4年後、娘たちはどこで何をしているのでしょうか。ちょっと心配で、ちょっと楽しみです。

4年後のワールドカップ。釜石にしかできない、釜石の持ち味を出したワールドカップにしようとみんなで話し合っています。その準備をどうするか、これからが大切です。

もちろん行政がやることでしょうが、ぼくたち市民もやるべきことはたくさんあると思っています。いちばんの大切なのは、ワールドカップ後の釜石の町づくりです。

正直言いますと、これまでの3年間は、ちょっと後ろ向きな感じもありました。辛くてかなしくて、仏壇に向かって、「亡くなったほうもゆるぐねえ(大変)だべども、残されたほうもゆるぐねえだぞ!」と、泣きながら、ぼやいたこともあります。

でも、ことしは前向きな明るい報告ができました。ラグビーのワールドカップを成功させ、どんな明るい町にするのか。復興も、新たな町づくりも、これからが本番です。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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