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春口廣先生の最終講義「ラグビーってなんだ!」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

「自分は一生ラグビーだからさ」とよく口にする名将、関東学院大学ラグビー部の春口廣・前監督の「退職パーティー」が11日、横浜市のホテルで盛大に開かれた。

1974年、同大学ラグビー部の監督に就任。「ラグビーボールもゴールポストもない」弱小チームを、こつこつと鍛え、大学日本一6度の強豪に育て上げた。2007年、部員の不祥事で監督を引責辞任。一昨年、リーグ戦2部に転落していたラグビー部再建のため、監督復帰したが、シーズン終了後、成績不振を理由に解任された。

思えば、波乱万丈の40年間だっただろう。65歳。3月末で関東学院大学経済学部教授を定年退職、名誉教授を授与された。パーティー前にあいさつすれば、春口さんは「ひとことで言えば、感謝、感謝の40年だった」と顔をくしゃくしゃにした。

「物事には必ず、終わりがあるから。でもほんとうに満足のいく40年だった。こんなに多くの人たちが僕のノーサイドの瞬間に来てくれたんだから。すごくうれしいね。ノーサイド、でもここから始まるね、アフターマッチファンクションを楽しみたい」

会場には、発起人の櫻井勝則・元監督や日本代表だった松田努さん(東芝)、山村亮さん(ヤマハ発動機)、有賀剛さん(サントリー)らのOB、支援者などが駆けつけ、約3百人の仲間でごった返した。

春口さんは涙をこらえながら、“最終講義”をした。オルゴールの清澄な金属音がBGM。懐かしの画像を流しながらの20分間。涙と笑いと魂のハートフルトーク。題して「ラグビーってなんだ!」。

***

大学を円満退職しました。なんでそんな話になるかというと、おととし、成績不振で関東学院大のラグビー部はクビになりました。2年間ずっと、もんもんとしていました。そういうなかでの定年退職です。人生かならず終わりがあるわけですね。

その定年退職を迎えるにあたってどうするか。ラグビーができない関東学院大学にいてもしょうがない。じゃ、やめます。ですから、この退職パーティーというのは、祝賀会だなという気持ちでいました。

でも、きょう、ここに250名を超えるみなさんから、“ごくろうさん”“おつかれさん”と言っていただくと、ほんとうにすべてが、すべてがお祝いのような、いい終わり方ができたな。そう思っています。

1974年、関東学院大学にきました。多くの、多くの仲間をつくることができました。そして、その出会いが関東学院大学ラグビー部に奇跡を生みました。

ここで、最終講義ということなので、ほんとうにおこがましいですけど…。関東学院大学40年、おまえ何してきたのって…。ちゃんと授業やってきました(笑い)。

ですから、自分のやってきたことを最後、みなさんにお話をさせていただく。それを演出してくれた発起人の連中に心から感謝したいと思います。おこがましですけど、私の最終講義は、関東学院大学の最終講義は、「ラグビーってなんだ!」です。わかっていると思われるかもしれませんが、ま、聞いてください。

ラグビーというのは、仲間作りなんだ。ラグビーというのは、戦う相手じゃないんだって、共に競い合う仲間なんだって。お互いに、自分たちを、仲間を、磨き合う仲間なんだ。

ラグビーはゲームです。ラグビーは遊びです。ラグビーは競技です。技を競うんです。

戦いじゃないんです。私は関東学院大学でこれをずっと言い続けました。

仲間とはどういうことなのか、それは絶対にリスペクト、相手を認めることなんです。相手を認めない限り、絶対に自分を認めてもらえません。自分を認めてもらうためには、努力をする以外にないんです。

どうやって、認めてもらえるだろうか。早稲田大学に認めてもらうためには、早稲田以上のラグビーをしないといけないわけです。そこで初めて認められる。苦労が必要なんです。努力が必要なんです。

たかが遊びじゃないかって。違うんです。もっとも努力が大事なんです。遊びの中には絶対に掟があるんです。楽しまなくちゃいけない。でも競技をするには絶対にルールがあるんです。規律を守らない限り、われわれは絶対に競技に参加できないです。

ルールを守らない人間が、人のことを考えられない人間が、思いやりを持てない人間が、どうやって、楽しむことができますか。

私はそれを言い続けて、そうしましたら、こんなにたくさんの人が“ごくろうさん”“おつかれさま”って共感してくれました。

じつは、ものすごく不安でした。40年間、僕のコトバがほんとうに通じたんだろうか。不思議ですね。心配すればするほど、どんどん落ち込んでいってしまうんですね。櫻井(勝則=元監督)が言ってくれました。“大丈夫です、先生”って。“きょうは先生が主役、ぼくらがなんとかしますから。大丈夫、先生”って。

そうすると、スーと力が抜けて、昨日の夜は、ほんと、10時には寝ていました。ぐっすり。(笑い)

おとといは全然、妻とふたりで“どうするオマエ、260人だぜ”なんて、大変な思いをして。“これを言っちゃいけないな”“これどうしよう”って思っていたんですけど。

関係ないんです。ぼくは、みんなに伝えたいことを言えばいいんだって。ラグビーってなんだ。仲間作りだ。こんなに多くの仲間がきてくれました。じゃ、この仲間をどうやって楽しませるんだ。

自分がやらなきゃいけないことはなにか。たくさんあります。でも実際問題、ぼくができることは、いったい何なのだ。一生懸命、頭を下げること。“ありがとう、ありがとう”って。よくきてくれたな。

やらなきゃいけないことはたくさんあるんです。でも、できることはほんのちょっとなんです。でも、そのできることを、100%やったら、優勝できるんです。

できる限りのことをやりました。だれでもができることなんです。でも、ちょっと違うのは、だれでもできる簡単なことが、100%できるかどうかです。

関東学院大学ラグビー部はそれができたんです。スター選手はいません。でも、ちっちゃなことかもしれませんが、やれること、やれることを一生懸命やったんです。

そうすると、いい結果がでます。いい結果が出ると必ず、それに共感する人が出てきます。多くの仲間が増えてきます。

それがほんとうに認めてくれたのかなって不安だったんです。こんなに多くの仲間が、増えました。ありがとう、ありがとう。

退職パーティー、“意味深”ですよね。退職祝賀です。満足です。

ノーサイドです。ラグビーの中でノーサイドは、それは終わりじゃない。ゲームオーバーじゃない。これから始まるんです。仲間ができて初めて、競争ができて、遊びができて、ゲームができるんです。

そして、それには必ず終わりがあるんです。ノーサイドです。お互いに競い合ってノーサイド、そしてアフターマッチファンクションです。新たな出会いができるんです。

ノーサイドは始まりです。勘違いしてはいけない。退職は、ラグビーの仲間作りから、終わったわけじゃないです。始まりなんです。

一生懸命やってきた、そして、大事につくってきた仲間とこれからアフターマッチファンクションをするんです。あらたな出会いもあります。出会いは奇跡です。気がつかない。

いいノーサイドの瞬間を迎えたときに奇跡になるんです。いいノーサイド、それはいい出会いがないとできないんです。

いいノーサイドを迎えるためには、どう生きたかが大切ですよね。どう生きたかが。そうすると、いいノーサイドが迎えられるんですね。死ぬまで、ぼくはラグビーをします。

その場、その場で、自分ができることは何なんだ。自分のできることを精いっぱい、無理しちゃいけない。

小さいから、一生懸命、背伸びしました。絶対、伸びないんですよ、背は。背伸びしたって(笑い)。

こんなチビでもラグビーはできるんだ、そう言ってくれた先生から、その出会いから僕のラグビーは始まりました。そしてノーサイドを迎えました。こんなに仲間ができました。

心から、感謝をしたいと思います。ほんとうにありがとうございました(拍手)。

そして、今後とも仲間作りです。一緒にやろう。山村亮のペンダントが、(左手で胸をたたきながら)いま、この中にあります。

そして(日本代表の記念キャップを松田努に)戻したいと思います。

ジョ~ン(松田努)。このキャップはおれにって渡してくれたんだよな。でも、いま、これをジョンに返そうと思います。ジョ~ン(拍手)。

一緒にやってきた。がんばりました。これ、この(キャップの)名誉に負けないように一生懸命がんばりました。

そして、これだけの仲間ができた。世界中に仲間ができました。いろんな人が、みなさんが、“一緒にやろう”“がんばろう”って言ってくれた。

このキャップをジョンに戻します。終わるわけじゃないんです。こんどはそれぞれの立場でがんばらなくちゃいけないでしょ。

でも仲間です。ラグビー仲間です。きょう、たくさん、たくさんの仲間が、ここにきてくれました。絆を大切にしてくれた。

僕の仲間です。この写真(スライド)。僕の恩人です。奇跡を生んでくれた人たちです。 “あれ、だれ?”。それは、これからゆっくり話しましょ。酒でも飲みながら。

ワタクシ、毎日サンデーです(爆笑)。サンケイ新聞からサンデー毎日に移りました。

いい仲間作り、是非、これからもやりましょう。きょうはこのアフターマッチファンクションを楽しんでください。ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。

(拍手、拍手、拍手)

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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