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闘魂・修猷ラグビー90周年

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

熱い。熱いクラブである。GWの初日。福岡の修猷館高校ラグビー部の『創部90周年記念試合・式典』が開かれ、我が青春の福岡の地に全国各地からOBがはせ参じた。

福岡は、この国のラグビーの重要な一部である。1920年過ぎ、東邦電力(現在の九州電力・西日本鉄道の前身)九州支店に配属された慶応大学OBの若手社員によってラグビーが九州に伝えられ、関東大震災の翌年の1924(大正13)年に福岡中(現・福岡高)にラグビー部が誕生、さらにその翌年の1925(同14)年には修猷館にラグビー部が生まれた。

まだ和服を着ている人たちが大半だった頃、「ラッキョ球」といわれていた楕円のボールが、澄んだ空気に高々と蹴り上げられたのである。以後、90年、幾百、幾千の修猷健児たちによって修猷ラグビーの歴史は創られてきた。全国大会に出場した時もあれば、1学年に部員はキャプテンひとりしかおらず、近くの部室の登山部や柔道部から「助っ人」を借りて試合をした時もあった。

修猷の幸福は、好敵手の福岡高がいたことだろう。常に切磋琢磨を重ね、お互い、チーム力の浮き沈みはあれ、好勝負を続けてきた。この日の記念試合も、真夏のような日差しのもと、さわやかスポーツ広場で、修猷×福高のOB戦、現役戦があった。

ライバル心に火が付き、OB戦ではろっ骨を負傷するOBも出る激しさだった。メインの現役戦。ともにハンドリングミスが相次いだが、タックルだけは低く、鋭く、凄まじかった。「きさぁ、タックルせんか!」。そんなOBの声もあってか、真っ直ぐな情熱がほとばしった。

福岡市内のホテルで開かれた夜の記念式典には、日本ラグビー協会の森喜朗会長や修猷OBの小川洋・福岡県知事も出席。福岡高校ラグビー部の森重隆監督ら60名ほどの福高OBも駆け付けてくれた。

「おれたちは兄弟みたいなもの」と、森重隆監督は言う。1年先に創部された福岡高ラグビー部が長男。「シューユー(修猷館)は次男やけんくさ。こればっかりは、逆転できんとよ」と笑わせ、修猷の現役部員にこう、エールを送った。

「修猷の先輩たちはどんな時でも、勝ちたい、勝ちたいと努力してきた。勝ちたい気持ちがずっとあったからこそ、今があるったい。その気持ちがオマエたちを支えとる。それを忘れんなよ」

修猷館ラグビー部OBクラブの安部直幸会長は「シューユーのモットーは」と言って、こう続けた。

「先輩たちの実績を超えること、超えるべく努力すること。そして、自分たちの実績を超えさせるべく、後輩たちを育てること。これがずっと続けば、好循環で回っていく」

修猷は福高と同じく、毎年、「花園出場」に懸けている。福岡には、高校日本一の東福岡高校が君臨する。でも90周年を迎えた修猷に流れる『闘魂』は不変である。

今年こそ、である。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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