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チーム釜石の挑戦

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

壮大なる挑戦なのである。人口3万6千人の被災地・釜石市が、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の開催地に決まって4カ月が経った。市民の意識を調査するため、雨の釜石を歩き回っている。

「(市民同士の)つながりという意味では、若干強くなった感があります」と、ラグビーW杯支援連絡会の浜登寿雄さんは言う。46歳。東日本大震災では両親と妻と三女を、自宅もろとも津波に奪われた。真っ暗闇のなかで見えた光がラグビーだった。W杯だった。「ぴかっという感じで(W杯が)光っている。その1点に向けて、活動してきたんです」

正直、被災地の住民はW杯に向けてまだ、一枚岩ではない。震災の被災者と非被災者、仮設住宅に住む人とそうでない人…。それぞれの思いは複雑である。W杯より自分たちの生活が先だ、という声はある。

でも空気が少し変わってきた。「もう(開催が)決まったんだから、みんなでやるべしって。おれらに手伝いできることはないかって、聞いてくる人が増えてきました」。浜登さんはうれしそうだ。

そうは言っても課題は山積している。W杯に向けた新スタジアム建設や費用確保、防災施設などの関係施設の整備、アクセス、宿泊施設の準備…。とくに地元住民の歓迎ムードの醸成は大会成否のカギを握ることになる。

まずは住民に対し、W杯向けのスタジアム建設などが復興スピードを遅らせることにはならないことを理解してもらわないとなるまい。大事なことはコミュニケーション。W杯後のまちづくりである。

確かにW杯開催への賛否はある。「でも」と浜登さんは言う。「反対派の人たちがいて、当たり前だと思っている。反対派も推進派も、意見があるのはまちの将来ことを本気で考えているからです。真剣に考えて話し合っている。ラグビーと一緒でしょ」

そうなのだ。まちづくりはチーム作りみたいなものなのだ。いわば“チーム釜石”。

「例えば、チームで、FWでいくべきだ、バックスでいくべきかともめることがある。それは、チームの勝利のためにやっているわけです。話し合いをしながら、みんなでひとつの方向性をつくっていく。勝利が喜びになり、チームの力にもなる。このワールドカップでは反対派も推進派もこのまちをよくしたいというベクトルでは一緒になっている。みんな、チーム釜石の選手なんです」

釜石には朗報が続く。W杯の開催地に決まり、7月には橋野鉄鉱山・高炉跡がユネスコの世界文化遺産に指定される見通しとなっている。W杯と世界遺産。うまく、持っていけば、観光客を増やし、まちの過疎化を食い止めることができるだろう。

挑戦と言えば、もうひとつ。じつは浜登さんは2019年W杯に向けて、「2019キロのランニング」を秘かに誓った。携帯の計測アプリで確認しながら、この日は4・5キロ走った。目下、トータルで約120キロ。

「ふだん、ビールの中ジョッキより重たいものもったことがない、からだの弱い年寄りが一念発起してやるんです」とジョークを口にしながら、コトバは活力に満ちている。「生活にはりが出ています」

これまた挑戦なのである。ランニングも、住民同士のつながりも、ラグビーW杯の開催も、そして将来のまちづくりも…。ぜんぶチーム釜石の挑戦なのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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