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スクラム戦記1「なぜ日本は歴史的勝利を挙げたのか」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

ラグビーのワールドカップ(W杯)で、1次プールB組の日本代表は初戦で南アフリカから歴史的な勝利を挙げた。勝因はいくつもあるが、ラグビーが陽の目をみた機会に乗じ、ラグビーという競技の基本となるスクラムをマニアックに論じてみたい。深く深く、とことん深く。題して「スクラム戦記」―。

勝負のポイントとなったのが、試合終了直前の最後のスクラムである。相手ゴール前の左中間。ここでPKを得た日本は同点となるPGを狙わず、スクラムを選択した。

スタンドにいた日本のエディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)はPG選択を大声で叫んだが、ピッチ上のFWは「スクラム選択」で一致した。ジョーンズHCの枠を選手たちが超えた歴史的瞬間である。

つまりスクラムトライでの逆転勝利狙いである。フッカーの木津武士は後半30分、堀江翔太と代わってピッチに入った。自信の伏線はその直後の自陣22メートルラインあたりの相手ボールのスクラムである。

これがよかった。8人ががちっと固まり、相手の押しをぐっとこらえていた。ウエイトが相手と当たった瞬間から、前に乗っていた。

木津が振り返る。

「リーチ(主将)と確認し合って、“スクラムでイケる”となっていた。最後のスクラム、仮に(PGが)入って同点で終えても、日本ラグビーの歴史は変わらない。ならば、勝つか負けるか、いっちょうやろう。FW全員が(スクラムに)自信を持っていたので、スクラムを選んだんです」

このとき、相手FWがシンビン(一時的退場)でひとり少なかった。もしも、相手FWが8人だったら? 

タッチに蹴って、ラインアウトからのドライビングモールでの逆転トライというオプションもあった。ただラインアウトではノットストレート・スローイングの恐れが出てくる。それは避けたい。しかも相手FWはひとり少ないのだから、あそこは「スクラムしかなかった」のである。

この時の日本のフロントロー陣は1番が稲垣啓太、2番は木津、3番は山下裕史だった。3人とも交代でピッチに入っていた。とくに木津と山下はともに神戸製鋼所属で呼吸があっている。身長はともに183センチ。「相手との距離感(間合い)もぴたっと合っている」と説明する。

相手側とバインドをした上でスクラムを組むことになって、低さや8人の結束とともに相手との距離感もより重要となっている。ヒット勝負で優位に立つには、短い間合いでも、相手に思いきり当たれる間合いが大事なのである。

終了直前ゴール前のスクラムでは3、4度、組み直した。南アフリカのスクラムの特徴は3番の右プロップが内側、つまりフッカー側の方向に押し込んでくることだった。

その相手の押しを耐え、右足でフッキングすると、どうしてもフッカーの左肩は浮いてしまう。そこを突かれ、少し右側にスクラム全体が流れるようになった。

スクラムからこぼれそうになったボールを、ナンバー8がうまく確保して、素早く右側に回した。これが最後、劇的なヘスケスの左隅トライにつながった。

「結果、オーライです」と、木津は言うのである。1番に入っていた稲垣も「スクラムに懸けようと言い合っていた。スクラムはいいイメージだった」と振り返った。

ここで大事だったのは、FW8人の勝利への渇望と「スクラムを絶対、押す」という意思統一である。

強力スクラムは南アフリカの看板といってもよい。先発メンバーのFWの平均体重が日本の109キロに対し、南アは約117キロもあった。その差8キロ。

南アがスクラムでプレッシャーをかけてくるのがわかっていたので、初っ端のスクラムで日本のフッカー堀江はクイックの球出しをやって、相手の押しに肩透かしを食らわせた。これは効果的だった。

試合で2本目のスクラムとなった前半中盤の日本ボールのそれで、ボールを投入するSH田中史朗が、ジェロム・ガルセス・レフリー(フランス)とのうまい駆け引きを見せ、相手のアーリー・プッシュの反則を誘発した。

この日のスクラムは日本ボールが8本で、南アフリカボールは2本だった。特筆すべきは、日本ボールの確保率が100%だったことである。クイックスクラムとドライブスクラムの2種類のスクラムで対抗し、南アのスクラムを揺さぶった。

ちょっと説明すれば、クイックスクラムはボール投入してからボール出しまで3秒以内。ドライブスクラムは相手にプレッシャーを掛け、前進するスクラムをいう。

前者のクイックスクラム。SHのボール入れから、フッキング、No8のボール出しまで3秒以内で行スクラムを組む国レベルの代表チームは日本以外にはまず、見当たらない。いわば日本の伝統工芸なのだ。

スクラムもまた、バックスのパスプレーのごとく、1本1本、微妙に違うのだった。さすがに体重差のある南アから圧力を受けるシーンもあったが、日本FWの8人の結束だけは最後まで崩れなかった。

フッカーの堀江は「うまく相手に対処できた」と満足顔だった。

英国ブライトンのスタジアムのピッチは天然芝と人口芝の「ハイブリッド芝」だった。選手たちによると、スパイクが芝に食い込むところがあれば、滑るとこともあったという。日本で一貫していたのは、「低く」の意識である。1番のプロップ三上正貴の述懐。

「低くやっていたんで。マイボールはしっかり出せた。その辺はよかった。(ピッチは)下が結構、砂で。上(芝)にかんでいるときはいいんですけど、上がはがれちゃったら、もうどうしようもない感じだったので。それでも低く。ハタケさん(畠山)がちょっと下がり気味で。ハタケさんのほうを相手が回してきた。僕とハタケさんの位置の調整をずっとしていました。でも、(スクラムは)崩れなかった。きつい練習をしていたので、下が滑っても崩れないような組み方がからだに染みついていたんです」

独特なスクラムを組む南アの圧力をもろに受けた3番の右プロップ畠山健介はこうだ。

「南アはめちゃくちゃ強かったですね。でもしっかり対策を練っていたので、最低限、被害を少なくして、しっかりとボールを出せたのはよかった。ダルマゾコーチと一緒に、8人で組むスクラム練習を繰り返してきた成果でしょう」

つまるところ、時には理不尽な猛鍛錬の積み重ねが、日本のスクラムに対応力と自信を備えさせていたのだった。

【ずばり! スクラム解説】

さて、かつて日本代表で鳴らした元フロントローはどう、日本のスクラムを見たのだろう。ふたりの言葉にはスクラムへの愛情と日本代表選手へのリスペクトが満ちている。

『坂田正彰の目』

坂田さんは元日本代表フッカー。法大―サントリー。1999年W杯、2003年W杯出場。キャップ数が「33」。クレーバーなフッカーだった。テレビ解説も務め、落ち着いた口調と偏らない解説は評価が高い。42歳。

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「南アフリカ戦の劇的な勝利は決して奇跡ではないだろう。完璧なゲームプランのもと、選手たちが各々の仕事を全うして手繰り寄せた勝利だったと思います。

前半のスクラムは低さを意識し8人でまとまりしのいでいたが、組んだ後に南アのウエイトを感じる場面も見られた。

それでもQuick out 等の球出しの強弱をつけ、相手に的を絞らせることのない判断は、この4年間、強豪と戦ってきた経験が出ていたのだろう。

象徴的だったには後半30分ごろの自陣左22mスクラムだった。日本も第1列が総替わりし、ピンチの場面ではあったが、FW8人、16本の足がハイブリットフィールドに噛み合い、南ア戦1番のGood scrum だった。

その自信がFW8人、チーム15人に伝わり、後半ラストのスクラム選択につながったと思う。

観戦しているほとんどの方が五郎丸選手のショット(PG)を考えたと思うが、フロントローであった私としても、同じくscrumを選択をしていたはずだ。

南アのFWが7人だった状況も大きかったが、日本はスクラムトライを狙った。途中から代わった選手たちも、starterの8人以上の意識を持っていた。

ゲーム状況の冷静な判断の上、スクラムがJAPANの強みだというメンタル・タフネスが最後のトライを生みだしたのではないでしょうか。スコットランド戦にもさらなる期待をしたい」

『太田治の目』

太田さんは日本代表歴代最強の左プロップ。スクラム理論には定評がある。明大―日本電気(現NEC)。日本代表キャップ数は「27」。1989年のスコットランド戦、91年W杯のジンバブエ戦の歴史的勝利に貢献。95年W杯も出場。日本代表GM、7人制日本代表チームディレクターなどを歴任。50歳。

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「ゲームが途切れれば29−32で試合終了の場面、南アフリカがゴール前で反則を犯した。日本は同点のPGを狙わず、リーチ主将はスクラムを選択した。

この勇気ある選択に敬意を表したい。過去、日本は勝負を決めるプレーでスクラムを選択することは無かった。それだけ今回のチームは、スクラムには絶対の自信を持っていたのだろう。

RWC2011NZ大会の後から4年間。選手、コーチングスタッフで作りあげた質の高いハードトレーニングが実を結び、スクラムにこだわり続けた日本は歴史的快挙を成し遂げた。

南アフリカ戦のスクラム総数は10。うち日本ボールが8本。南アフリカボールは2本だった。日本ボールの確保率は100%。

その日本ボールの内訳として、クイックボール出しが3回。ドライブしたスクラムが2回だった。南アフリカが反則を犯したのは2回。日本がプレッシャーを受けたスクラムは1回である。

つまり効果的な攻撃起点を作れたのは7回で、テストマッチでそれも世界ランク3位相手に87.5%の確率で効果的な攻撃起点を作り出したことになる。チームにとっても大きな自信になったに違いない。

クイックスクラムとドライブスクラム。日本は体重差のある南アフリカをこの2種類のスクラムで対抗した。

クイックはボール入れからボール出しまで3秒以内。ドライブは相手にプレッシャーを掛け、前進するスクラム。SHのボール入れから、フッキング、No8のボール出しまで3秒以内で行う。

世界的にみてもここまでのクイックボールを出してくる代表チームは無い。FWとSH9人で作り上げた芸術的連動だ。

8人の呼吸、8人の低い姿勢、体重移動、足の運び、ボール入れのタイミングが合わないと3秒以内でのボール出しはできない。ドライブスクラムは低さと体重移動タイミングがキーポイント。腰より頭を上げ、膝のタメと上半身の体幹で微妙に高さ調整を行う。

あえて課題を挙げれば2点か。まずは『フロントローのバランスの修正(前進力)』。

南アフリカ戦、プレッシャーを掛け、前進するドライブスクラムが2回あったが、フロントローの前進力に差があり、8人の塊で押すことが難しかった。

もうひとつが『低い姿勢保持』である。プレッシャーを受けたスクラムでは微妙にプロントローの姿勢が高くなっていたようだ。いずれにしろ、スコットランド戦でもスクラムが勝負どころとなる。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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