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苦難の早大ラグビー、復活の道とは

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
今季のラストゲームを終えた早大の選手たち(撮影:井田新輔)

『ワセダ』、これが今季最後の試合スローガンだった。すなわち、早大のプライドを賭けて最後まで戦うぞ、との決意である。ロスタイム。15人でつなぎにつないで、日本代表のフルバック、アカクロの藤田慶和がダイビングトライを決めた。

直後にノーサイドの笛が鳴る。15-48の試合終了。藤田は泣いた。

「自分たちがやろうとしてきたことが最後にできて、いいトライにつながりました。ちょうど出られない部員の目の前でトライをとれて、“ありがとう”と言えました。(涙は)負けて悔しいという思いと、この仲間ともう一緒にプレーできないというさみしさ、そのふたつの(理由)からです」

早大は先週、大学選手権2次リーグ敗退が決まっていた。もはや次がない早大と、次がある東海大の戦い。昨季に続いて負けるわけにはいかない、という意地はあったけれども、地力の差はいかんともしがたいものがあった。攻め込んでもミスからカウンター攻撃をモロに食らう。どだい個々のサイズ、フィジカル、スピード、スキルに差があった。

凄まじいプレッシャーを受け、ハンドリングミスが相次いだ。ブレイクダウンでもファイトはしても、フィジカル差のため、どうしても差しこまれてしまった。2週間前の天理大戦の競り負けは悔しくて仕方なかったけれど、この日の敗戦はある程度、想像できる範囲だった。FW戦から重圧を受け、8トライを差し出した。

からだを張り続けた主将のセンター岡田一平もまた、涙を抑えきれなかった。「この点数は正直、実力差だと思っています。僕たちの練習不足、努力不足だった。そこは受け止めて、(後輩たちには)しっかり戦っていってほしい」。いや、努力不足との指摘は当てはまらない。シーズン中も早朝練習に取り組むなど、できることはやってきた。

約5千の観客が詰めかけた江戸川陸上競技場。寒風吹きすさぶ中、試合後、後藤禎和監督はただ選手たちの円陣を見つめていた。悲嘆と悔恨、ちょっぴり安堵の色も交じった、なんともいえない顔をしていた。

48歳の後藤監督は退任する意向を表明した。艱難辛苦(かんなんしんく)の4年間だった。強豪校と比べ、戦力的に厳しいチームを懸命に強化してきた。記者の囲みから解放された後藤監督をつかまえた。こちらの顔を見れば、「ホッとしました」と漏らした。

この2週間、重圧との葛藤で眠れない夜もあったのだろう。「今日に関しては、ホッとしたほうが大きいですね。天理戦は本気で悔しかったですけけど。4年間、とくにことしの1年はしんどかったので…」

大学日本一を宿命づけられている早大の監督の重圧は想像を絶するものがある。どんな戦力であろうと、日本一にならなければOBやファンからの叱責を受ける。2012年度から指揮をとり、13年度には全国大学選手権準優勝、昨年度、今年度は続けて同選手権ベスト4入りを逃した。

今年度のスローガンは「INNOVATION(改革)」だった。戦力は厳しい。連覇街道を走る帝京大を倒すためには、何かにチャレンジしないといけなかった。春シーズン、走り込みを減らしても、あえてからだ作りにウエイトをおいた。「S&C」(ストレングスとコンディショニング)の強化に努めた。

早大の強さは、単調な走り込み、基本動作の反復といった「泥臭い練習」にあるのは重々承知していた。でも、ある程度のフィジカルがないと帝京には対抗できないのだった。後藤監督は言った。

「ことしは戦力的には一番厳しい状況でスタートしました。同じやり方を踏襲しても、日本一にはなれない。ピーキングの持っていき方、練習の組み方など、従来までとは大きく変えました。この戦力でどうすれば勝ち切れるかを追求してきました。そう決めてから、精度に注力してきました。ただよりプレッシャーを受けると、(プレーの)精度のところでどうしてもミスが出てしまった。地力不足と言われれば、それまでですが…」

主将の岡田をSHからセンターにコンバートした。できる手は打った。でも、強豪チームとの環境の差、戦力の差は、どうしても埋めることができなかった。技術不足はともかく、試合でプレッシャーを受けると、メンタルが脆いのか、とたんに判断や手先がぶれてしまう。エース藤田がいても、チームプレーのばらつきは随所に垣間見えた。

悩み苦しんだ1年が終わった。後藤監督が漏らす。「こんなしんどい思いをするとは思わなかった。この苦しさから解放されるのは正直…。岡田もしんどかったと思います」と。

早大はこの悔しさをどう、来季に生かすのか。どう復活させるのか。後藤監督は辞め、新たな指揮官が登場することになる。藤田(パナソニック入りする見通し)たち4年生は卒業し、新たな1年生がやってくる。後藤監督たちの必死の勧誘策が実り、何人かの有能な素材が入って来ることになっている。

課題といえば、人材確保、大学側の支援、食事や寮、練習施設などの環境面、コーチングスタッフの整備。2018年に創部100周年を迎える早大ラグビー部にとって復活はマストだろう。

『臥薪嘗胆』。もう新たなチャレンジが始まる。環境改善なくして、ワセダ復活はありえない。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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