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震災から5年、親子の思い

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
釜石シーウェイブスのスタンド風景(写真:田村翔/アフロスポーツ)

東日本大震災から5年が経った。メディアは被災者をイッショクタにしがちだが、人には様々な事情や思いがある。希望を抱く人も、まだ絶望の境地の人もいる。被災地の岩手県釜石市に住むラグビー釜石シーウェイブス(SW)事務局の浜登寿雄さんは言った。

「希望を持って前に進む人がいれば、前に進みたいけれど進めない人もいる。自分は自分のできることをやっていくしかない。“5年”という言葉だけが先行していますが、1日1日が、いっぱい、いっぱいでアッという間だったような気がします」

47歳の浜登さんは震災で、両親と妻と三女を、山田町のマイホームもろとも津波に奪われた。当時中学3年の長女と中学1年だった次女は助かった。「私たちは強いから生き残ったんじゃない、かしこいから生き残ったんじゃない。“たまたま”なんです、命があるのは」。震災直後、絶望の淵を彷徨いながら、「どうやって生きていくのか、どうやって子どもたちを育てていくのか」だけをひたすら考えた。やがて、ラグビーに生きる力をもらい、娘2人と苦労しながら生きてきた。

震災直後、浜登さんは娘たちにこう言った。「あとで、“あの時、こうやればよかった、ああやればよかった”って、後悔だけはすんな。自分の学びたいことを学び、やりたいことをやれ。おとうさんは応援するから」と、浜登さんは毎朝5時半に起きては、娘たちの弁当をせっせと作ってきた。

いま、長女は豪州に留学し、次女はラグビー部マネジャーをしていた釜石高校を卒業した。「二日酔いでも、寝不足でも、毎朝、子どもたちの弁当をつくってきました。次女は好き嫌いの多い子で…。もう弁当を作らんでいいと思うと、ホッとしています」。電話口でそう言って、大声で笑った。

次女は奨学金の支援を受け、東京の大学に進学する。親元を離れることに、浜登さんは「モロ手を挙げての賛成ではありません。さみしさもあります」と本音を漏らす。学生寮に入るよう勧めたが、次女はアパートで独り暮らしを始めることになった。親子ですったもんだしたようだ。でも、浜登さんは最後、許した。「だって、次女の人生だから」と。

「母親がいなくなって、母親から教えられることを(私が)教えてあげることができませんでした。それで独り暮らしは大丈夫かなって。でも、おかあさんが生きてだったら、“何でもやらせてみた方がいいよって、この娘だったら大丈夫”って言うでしょ。私は(娘たちを)信じてますから」

次女はフェイスブックで「父への感謝」の言葉を書いた。浜登さんは直接には聞いたことがない。ただ人づてに娘の感謝の言葉を耳にするだけである。浜登さんはうれしそうに言うのである。

「ま、娘に感謝されようと思ってやっているわけじゃありませんから。でも、なんというか、“照れくさいから、世の中の人たちにそんなこと書くな”って」

次女は12日、18歳の誕生日を迎えた。父親が思う以上に父親の背中を見て、たくましく、やさしく成長している。浜登さんの願いはただひとつ、「自立できるようなってほしい」ことだけである。

「でも、ずっと子どもだと思っていたのですが、いろんな経験をして、精神的には大人になってきたのかな、って感じています」

3年後の2019年には釜石にラグビーのワールドカップ(W杯)がやってくる。浜登さんはその準備を手伝っている。娘たちにはこう、言っている。世界中のどこさいても、W杯の時は必ず、釜石に戻ってきて、大会をボランティアとして手伝え、と。

浜登さんが震災直後に立てた「10年計画」がある。10年後は娘たちを1人立ちさせて、釜石を活気ある街にするというものである。今年はちょうど折り返し。これからW杯機運を盛り上げ、その後の街づくりに希望を託そうとしている。昨年のW杯イングランド大会の日本代表の活躍もあって、W杯機運も少しずつ高まってきている。

「ラグビー関係者以外の人たちが、(ラグビーW杯に)関心を持つようになってきています。僕らの役割は大会機運の醸成です。パブリックビューイングやタウンミーティングを開いて、多くの市民の方々を巻き込んでいきたいのです」

家族と釜石。鎮魂と希望。被災地には、それぞれの生活がある。亡き人の思い出を胸に日々を暮らす人もいる。

浜登さんは電話の最後、「あっ、そうだ。言い忘れました。釜石高校の野球部もがんばっています」と言葉を足した。浜登さんや娘の母校、釜石高校が21世紀枠でセンバツ高校野球大会に出場する。組み合わせが決まり、小豆島(香川)と対戦することになった。

「ラグビーだけでなく、野球もスポーツも、市民を笑顔にしてくれる。みんなを元気にしてくれるんです」

スポーツはありがたい。5度目の「3・11」を迎え、犠牲者を悼みながら、少なくない人がそのことを改めて思うのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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