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男子セブンズのエンドレス・ジャーニー

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
リオ五輪、円陣をつくるセブンズ日本代表(8月11日・準決勝)(写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ)

充実の夏である。リオデジャネイロ五輪。7人制ラグビーの男子日本代表はニュージーランドやフランスを破って世界を驚かせた。目標のメダルにはあと一歩届かなかったけれど、堂々の4位となった。主将の桑水流裕策はリオからの帰途、乗り継ぎ地のニューヨークの空港での雑談中、ふと漏らした。

「やり切りました。メダルにはあとちょっとだったんですけど、充実感はありますね。1日、1日が楽しかったです」

14日。飛行機が成田空港に無事、到着した。機内でアナウンスが流れた。「この飛行機には、オリンピックでニュージーランドを倒し、フランスを大逆転で下した日本代表のラグビーチームのみなさまが乗っています」と。その瞬間、他の乗客から拍手が沸き起こった。お疲れさま。よくやったぞ。そんな心のこもった、とてもあたたかい拍手だった。

到着ゲートでは、子どもたちのお手製のメダルを手渡された。金メダルだった。桑水流主将は顔をくしゃくしゃにして、「うれしいです」と言った。

「大勢のファンが出迎えてくれて、感激しています。ホッとしています。メダルに届かなかったことは、やはり残念ですけど…。みんな、がんばりました。セブンズでプレーできたことを誇りに思います」

よくやったと思う。そりゃ、手厳しい人々からは“4位ぐらいで喜びなさんな”と言われるかもしれない。でも、セブンズの歴史をみれば、この成績がどれほどの価値を持つかがわかる。世界の強豪がそろうワールドセブンズシリーズのシリーズ全戦に出場するコア(中核)チーム(15チーム)に入るかどうかのチームだった日本が、リオの地で強豪を次々と撃破したのだから。ニュージーランドや豪州より上の成績を残したのだから。

それも、5年の積み重ねがあったからだろう。なにもリオ五輪の結果だけではない。この5年、リオ五輪のメダル獲得を目標に掲げ、日本ラグビー協会と一緒になって強化してきたのである。男子に関していえば、15人制ラグビーとは違う、セブンズならでの厳しい環境があった。

選手を集めることに苦労したことも多々、あった。それを日本協会、本城和彦セブンズディレクター、瀬川智広ヘッドコーチ(HC)らが努力しながら環境を整え、トップリーグのチームの理解を得てきた。仕組みを少しずつ変えてきた。今回の4位入賞は、そういった協会関係者や選手たちの5年間の努力に対する評価だと思う。

目下、日本代表の選手は、所属企業から選手拘束の許可を得るなどして、セブンズに特化した練習をやってきた。4年後の東京オリンピックを考えると、やはり15人制とセブンズの代表選手の掛け持ちは無理がある。セブンズはセブンズとして、代表候補チームをつくって、継続強化をしていくしかあるまい。

『セブンズ文化』を創ることを、瀬川HCらは目指してきた。これは7人制ラグビーが多くの人に愛されることだけではなく、選手たちの環境、待遇が改善されることも含んでいる。コカ・コーラレッドスパークス所属の桑水流主将は「難しい問題だと思うんですけど」と前置きして、こうつづけた。

「ほんとうにセブンズでオリンピックを目指したいと思う選手は、所属のチームに許可をもらって、3年なら3年、4年なら4年の契約で、プロのようなセブンズのプレーヤーとなるのが、とてもいい強化につながるんじゃないかと思います」

セブンズ文化とは?

「ずっとセブンズの文化を創るといってきたんです。ここまで変わったのは瀬川さんのお陰です。ほんとうに変わったと思います。いや、変わる途上ですか」

同感である。女子も含めて、セブンズ文化は醸成されようとしている。これから、どう環境、仕組み、組織、待遇を変えていくのか。普及や育成を考え、どうトップ強化を継続していくのか。今回の意義はまた、メダルを逃しての悔しさを初めて抱いたところにある。高いレベルの悔恨であろう。

そういえば、リオ五輪の3位決定戦で敗れたあと、桑水流主将ら選手たちはグラウンド隅で円陣をつくり、「上を向いて歩こう」をみんなで歌った。夜空に向かって大声で。

桑水流主将が少し照れながら、説明してくれた。

「ほんと目標には届かなかったんですけど。胸を張って、日本に帰ることができるようなことをできたと思ったんです。そう、歌詞と一緒ですね」

しばしの沈黙。30歳主将はこう、小さい声で口ずさんだ。

「上をむーいて、あーるこーう。涙がこぼれないよーに」

いい5年間だったと思う。夢の続きは東京で。<幸せは雲の上に。幸せは空の上に>。メダル探しの旅は、4年後の東京までは続くのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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