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フッカーの崩・兄弟対決は弟に軍配!

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
ラグビーの華、スクラム戦(写真はイメージ)(写真:アフロ)

こいつは珍事だ。ラグビーのトップリーグの下部リーグ、トップイーストリーグで、スクラムでぶつかり合うフッカー同士の兄弟対決が実現した。兄が秋田ノーザンブレッツの崩友太、弟は日野自動車の崩光瑠(ひかる)だった。25日の東京・秩父宮ラグビー場。スタンドからは「兄弟ケンカか~」とのユーモラスな声がとんだ。

弟の光瑠は180センチ、113キロ、兄の友太が182センチ、115キロと堂々たるからだを武器とする。年齢は25歳と26歳ながら、ふた学年違う。青森・八戸西高のときは、一緒のチームでフロントローを組んだこともある。だが敵味方でのフッカー対決は「生まれて初めて」のことだった。

兄弟対決でいえば、今季、トップリーグで、NECの田村優と東芝の田村煕のSO対決が話題となった。だが、大学、社会人のリーグにおいて、からだをぶつけ合うフッカー同士では、まず聞いたことがない。

この日、弟の日野自動車の光瑠は先発出場した。兄の秋田の友太が前半30分に途中出場した。弟は「(対決が)あったとしても、僕のイメージでは10分、15分ぐらいかなと思っていました」と振り返る。だが兄が早めに途中出場しため、弟が後半20分に交代退場するまでの約30分間、戦うことになった。

うち、スクラムは6度、組まれた。「とくに私情ははさみませんでした」。仲良し兄弟の弟、日野・光瑠は述懐する。

「試合中、お互い、個人的な会話はしませんでした。ただチームのプランを遂行しただけです。おにいちゃんに勝つことができました。ただスクラムは個人で組んでいるわけじゃない。8人の差が出たのかなと思います」

試合も、日野が66-5で圧勝した。日野はスクラムで優位に立ち、鉄壁のディフェンスで秋田を1トライに抑えた。攻めては計10トライ。弟の光瑠は「チームファーストですから、チームが勝ったのが一番、うれしかったです」と人懐っこい笑顔を浮かべる。

弟の光瑠は東海大から東芝に進み、この春、日野自動車に移籍してきた。東芝では出場機会にはあまり恵まれなかったが、日野自動車に移っては、主将を押しのけて、先発の座を勝ち取った。新天地に「非常にやりがいを感じています。すごく充実しています」という。

「東芝のときはもちろん、チャンピオンシップ、つまり日本一を目指していました。いまのチームはトップイーストのチームなんですけど、各カテゴリーのチャンピオンを目指すということは変わりません。東芝にいたときより、自分がチームに貢献できる部分が大きくなってきているのかなと思います」

日野自動車は今季、大型補強に乗り出した。崩光瑠のほかも、サントリーからのフランカー、佐々木隆道や、リオ五輪のニュージーランド代表だったギリース・カカらも加わった。応援団やファンの数も増えている。

「会社の中でもすごくラグビー熱が上がってきているので、非常にうれしいです」

自身の境遇に最善を尽くす人生。「為せば成る」をモットーとしている。兎にも角にもポジティブに生きる。そうすると、人生が楽しくなる。東芝の仲間からは「がんばれよ」と快く送り出され、日野自動車でトップリーグに昇格することを「自分のミッション」と肝に銘じている。これでチームは開幕3連勝。

「個人としては、ぼくが入って、“チームのスタンダードが上がったよね”“さすがトップリーグの選手だよね”って思われたい」

今季の日野自動車の武器のひとつがスクラムである。そのど真ん中に、「兄弟対決」を制した弟がいる。振り絞られた意地。やわらかい笑顔。名前のごとく、かがやきと存在感を増してきた。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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