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箱根路は通過点~中央学院大・川崎監督の指導哲学とは

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
心をつなぐ中央学院大(2016年1月、箱根駅伝の復路・戸塚中継所)(写真:アフロスポーツ)

もはや大学のシンボルである。いや、まちの誇りでもある。千葉県我孫子市のJR我孫子駅前から大学までの道端にはいくつも、おおきな横断幕が飾ってある。『中央学院大学、箱根駅伝出場』。

いよいよ大学スポーツの華、正月の第93回箱根駅伝(来年1月2、3日)が近づいてきた。中央学院大は15年連続、18度目の箱根路にのぞむ。54歳の川崎勇二監督は「箱根は特別なんです」と漏らす。黒縁メガネの奥の柔和な目がふっとなごむ。

「いくつになっても…。なぜかと聞かれても、答えようがないんですけど。やはり、箱根は選手、指導者を惹きつける何かがあると思いますね」

川崎監督はいわば、青春の伴走者であろう。自身は順天堂大学で箱根駅伝にて活躍した。同大学卒業後の1985年、中央学院大の常勤助手となり、陸上競技部を指導するようになった。以後、30年余、学生たちを見守ってきた。ほとんど無名だった大学陸上部を駅伝の強豪に育て上げた。

名門の順天堂大と中央学院大、その落差は大きかっただろう。川崎監督の就任当時、陸上部員は10人程度だった。長距離選手が2、3人。「びっくりしました。集合時間には(部員が)こないようなクラブでした。同好会のようでした」と述懐する。

百聞は一見にしかず、である。就任3年目、川崎監督は陸上部員たちを箱根駅伝に連れていった。寒風が吹く中、出場選手たちのスタート姿を見せ、電車に乗って移動しては、コース途中の走りも見せた。「効果はあったのどうか」と小さく笑う。言葉に滋味があふれる。

「やってよかったなと思うのは、箱根を走っていない子たちが、卒業して、40ナンボのおっさんになって、いまも後輩たちの手伝いにきてくれているんです。朝3時集合とかあるんですけど、その時に来てくれて、学生を車で運んでくれるんです。たぶん、名もない大学が箱根駅伝に出るようになって母校愛が出てきたんじゃないですかね」

箱根駅伝には、1994年の第70回記念大会で初出場を果たした。予選を5番で突破しての、堂々たる出場権獲得だった。

「最高にうれしかったですね。いまでも、あの時の感激だけは忘れません」

何度かのブランクを挟んだ後、2003年の第79回大会からは連続で出場権を得ている。ささやかなる快挙といっていい。2008年の第84回大会では総合3位となった。川崎監督の研究室には、その時のスタート地点の写真パネルが飾られている。「“してやったり”と思った大会でした」と振り返る。

他の強豪校のごとくプロ監督とはちがう。川崎監督は法学部教授として教壇に立つ。そのうえで陸上部に情熱を注ぎこんできた。心は学生の人としての成長にのみ向かっている。毎朝、午前4時に起き、朝練習開始の1時間前、4時半には寮にいく。

夜は10時には寝るようにしている。思わず、聞いた。しんどくないですか?

「しんどいと思ったら、もうやれないですね。はっはっは」

それほど学生の素材に恵まれているわけではない。高校時代のトップクラスの選手は青山学院大学や早稲田大学、東洋大学、駒澤大学、東海大などに持って行かれる。そこで準トップクラスに焦点を絞り、よく観察して将来性のありそうな選手を勧誘する。「箱根絶対主義」ではない。

高校生に声をかける際、「うちを(実業団への)通過点にしてくれ。成長の途中の4年間を見させてくれ」と言うことにしている。箱根駅伝で活躍することがすべてではない。だから、川崎監督は「1年の前期は箱根駅伝の“は”の字も出しません」と言い切る。

「前期の目標は、自分の好きなトラック種目で自己記録を更新することです。夏休みになって初めて、箱根を目指す者と、引き続き自己記録を目指す者にわけてやっていくんです。箱根駅伝で燃え尽きさせようとは全然、考えていません」

川崎監督が一番心掛けていることは「個性を重んじること」である。

「いろんな高校から学生が集まってきています。高校でどのような練習をしてきたかを把握して、できるだけ、高校時代の延長になるような練習を心掛けています」

練習量は比較的、少ない。強豪校なら一日30、40キロはざらなのだが、中央学院大は日に20キロ前後である。大学4年間で陸上を止めるものは自分で肉付けしろ、とアドバイスしている。「大学で燃え尽きたいのなら、私の練習だけでは無理だから、自分で練習を上乗せしなさい」と。

川崎監督の指導法の肝は「基本重視」である。何よりフォームを大事にする。

「人の能力にはそれぞれ限界があります。それを最大限に生かすためには、いかに効率のいい練習をして、いかに効率よく走るかだと思うんです」

そこで朝練から午後の本練習まで、走る姿勢をビデオで撮影し、学生自身がチェックする。時には川崎監督が修正のアドバイスを与えるときもある。からだ作りも、入学した学生に対し、1年で鉄棒の懸垂逆上がりを連続10回することを目標にさせる。

「(懸垂逆上がりは)自分のからだをイメージして、なおかつ、腕力や腹筋など、いろんな筋肉を使うので、全体の筋力アップに手っ取り早いんです。やはりからだを支えるため、けがをしないため、最低限の筋力は必要なんです。うちの子たちは年々、フォームがよくなりますよ」

川崎監督の座右の銘が『公平無私』。どうなことがあっても、選手には公平でありたいと肝に銘じている。さらには見返りを求めぬ愛情。明快な指導方針。「できる練習を確実にすることだけですね。背伸びはまったくしません」。“川崎流”をひたひたと貫きながら、やがて真理をつかまえた。

陸上部の部則の一番目には「学生の範となれ」とのコトバがある。礼儀を大事にする。授業は絶対出席し、教室の前の席に座る。「要は人づくり」と説明する。

「学生ですから。競技は二の次だという考えです。先輩たちが歴史をつくってくれたから、大学も認めてくれて、みんなに応援してもらえるんです。人から後ろ指をさされるようなことをしてはいけません」

川崎監督は「後の人のことを考えよう」とよく口にする。例えば、寮のトイレにしても、次の人のために便器をきれいにするのである。すなわち、思いやり、気配りだろう。

「それができるようになれば、駅伝でも次の選手のことを考えるようになります。自分が1秒さぼれば、あとの人にそのツケが回っていくのです」

そういえば、中央学院大の「たすき」の裏側にはチーム全員の名前が直筆で書いてある。川崎監督は「駅伝は、目に見えない集団プレーなんです」という。サッカー、ラグビーなどのチーム競技と違って、駅伝は個人競技に近く映るが、じつはチームワークがないと好結果は生まれない。

「これほどオモシロい集団競技はないと思います。いろいろやっていると、子どもたちはチームが好きになってくるんです。チームが好きになると、チーム力が上がっていくんです」

今回の箱根駅伝の目標は「総合5位以内」である。目標は毎回、学生自身が決める。川崎監督は過日、学生にこう、やさしく言ったそうだ。「自力では目標達成は無理だよ。ただ、やれることを一生懸命やっていれば、上位校の調子自体では可能だよ」と。

夢は。

「箱根で優勝したい思いはありますけど、卒業生がオリンピックで活躍してもらうことが、おおきな自分の夢でもありますね」

川崎監督は子どもたちの内面の個性を引き出し、人としての成長、さらなる飛躍を夢見ている。箱根路は、いや青春は、実はどこまでも続くのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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