現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない

集団的自衛権の行使容認とそのための「解釈改憲」を主張する産経新聞が、その社説(「主張」)において、過去の日本政府の集団的自衛権に関する答弁を、悪意があるかどうかはともかく、かなり曲解ないし改竄して社論に都合よく紹介していることはすでに批判した(拙稿「岸内閣が集団的自衛権を容認する答弁をしたというのは本当か?」)。そこでとりあげた同紙社説のうち、新しいものは3月1日付けのものであったが、その5日後、今度は同紙のオピニオン欄(「正論」)に、「今一度、集団自衛権の論議ただす」と題した論説が掲載された。

集団的自衛権の行使を容認するべきかどうかという政策の是非論はさておき、この論説には重大な事実誤認が含まれているので、本稿では、取り急ぎその誤りを指摘しておきたい。

この論説の筆者は、元駐タイ大使の岡崎久彦氏である。岡崎氏といえば、安倍晋三首相のブレーンの一人であり、とくに、佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授と二人三脚で集団的自衛権の行使容認を目指してきた論客であることがよく知られているだろう。両氏は、10年以上前から安倍首相に集団的自衛権の行使容認を勧めてきたようである。たとえば、2014年3月3日の朝日新聞は、つぎのように書いている。

安倍(首相)のめざす(集団的自衛権の)行使実現を長年後押ししたのが、90年代の対米外交で苦い経験を味わった人たちだ。外交安保に携わった彼らにとって安倍は「金の卵」だった。01年初夏。元駐タイ大使の岡崎久彦は、集団的自衛権研究の第一人者、佐瀬昌盛の自宅に電話した。元防大教授の佐瀬は当時、新書「集団的自衛権」を出版したばかり。「あなたの本で政治家教育をしよう」。岡崎は佐瀬に提案した。「どうやるんだ」と尋ねる佐瀬に岡崎は「各個撃破だ」と答えた。「誰からやるのか」。岡崎は衆院当選3回のホープの名を即答した。「安倍晋三だ。あれは、ぶれない」(……)

出典:「集団的自衛権・読み解く/岐路、突き進む首相」(2014年3月3日朝日新聞)

安倍首相の私的懇談会である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、第一次安倍内閣時代の2007年4月と、現在の第二次安倍内閣における2013年2月の2度、設置されているが、岡崎氏も佐瀬氏も、ともにその両方のメンバーとなっている。第二次安保法制懇の報告書は今年の4月にも提出されることが予想されており、おそらくそこには岡崎氏の主張も色濃く反映されるに違いない。しかし、3月6日付けの産経新聞に掲載された同氏の「正論」を読む限り、少なくともその事実誤認ぶりには、危惧を覚えざるをえない。

岡崎氏は、まずつぎのように言う。

私は改憲論者である。占領軍が1週間で書き上げた英語の翻訳をいまだに日本国憲法として奉っている現状に満足できるはずもない。少なくとも前文には、日本の歴史、伝統を反映した日本自身の歴史観がなければならない。

出典:「今一度、集団自衛権の論議ただす」(2014年3月6日産経新聞)

いわゆる「押し付け憲法論」を主張する旧態依然たる改憲論者に共通するこのような物言いについては、ここでは立ち入らない(とはいえ、GHQから日本政府が英文草案を提示されたのが1946年2月13日、日本政府が日本語草案を発表したのが3月6日、枢密院での審議を経たうえで帝国議会に憲法改正草案が提出されたのが6月20日、衆議院・貴族院での審議・修正を経て最終的に衆議院で憲法改正案が可決されたのが10月7日、それを枢密院で可決したのが10月29日という日付とともに、その間どれほどの日本人が日本国憲法制定に尽力したかを少しでも想像できれば、まるで「1週間」で「占領軍」によって作り上げられたかのように言うレトリックが、いかに我々の先人に対する侮蔑であるかに思い至るはずである)。憲法前文に独自の歴史観を書き込むべきとの主張も、そんなことを実現したとして法的・法理論的にいかほどの意味があるか疑問なしとはしないけれども、ここではこれ以上取り上げない。

問題はそれに続く部分である。岡崎氏は、上記の部分で要するに現行憲法には不満であると言いながら、しかし、集団的自衛権の行使容認については現行憲法のままでよいーーつまり、憲法改正をする必要はないーーと主張するために、つぎのように言うのである。

ただ、こと日本の安全保障に関しては憲法問題はすでに解決している。(……)最高裁の砂川判決は、日本が固有の自衛権を有することを認め、その故に自衛隊を合憲と認めている。

これには心底驚愕した。「最高裁の砂川判決」は、たしかに「日本が固有の自衛権を有することを認め」てはいるが、「自衛隊を合憲と認め」てなどいないからである。言うまでもなく、国家に「固有の自衛権」があるとしても、それをどのような組織がどのような場合にどのような方法で用いることができるのかは、憲法の定めに依存する。

砂川判決というのは、1957(昭和32)年7月、東京都北多摩郡砂川町(現在では東京都立川市)の米軍立川飛行場の拡張計画に反対する住民らが、飛行場内に正当な理由なく立ち入ったため、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」(いわゆる旧安保刑特法)違反の罪で起訴された事件についての判決のことである。第一審の東京地裁判決(裁判長の名字をとって伊達判決とよばれることが多い)が、旧安保条約に基づく駐留米軍を憲法9条2項に違反すると判断したため、検察側が最高裁に跳躍上告した。これに対して下された1959(昭和34)年12月16日の大法廷判決(全文PDFはこちら)が、ここで岡崎氏の言う「最高裁の砂川判決」である(なお、伊達判決と最高裁判決の間の経緯について記した秘密文書がアメリカの国立公文書館で最近になって発見されたことなどについては、水島朝穂「砂川事件最高裁判決の『超高度の政治性』」(今週の直言2013年4月15日)を参照されたい)。

「最高裁の砂川判決」は、法廷意見は15人の裁判官の全員一致による判断であったが、田中耕太郎長官を含む10人の裁判官が合計8本の補足意見や意見を執筆しており、全体では4万字を超える非常に長大なものである。ところが、そのなかに「自衛隊」という単語はほんの一度たりとも登場しない。この判決は、自衛隊が違憲かどうかを判断したものではないのである。旧安保条約とそれに基づく駐留米軍の憲法適合性こそが実質的な争点だったからである(そしてこれらの争点についても、砂川判決は、(1)駐留米軍のような「外国の軍隊」は憲法9条2項にいう「戦力」にはあたらないとし、また、(2)旧安保条約は「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であって「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであ」る、としていわゆる「統治行為論」の一種と考えられる立場にたって、「違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない」とは言うものの、さらに進んで詳細に検討すれば合憲なのか違憲なのかについては判断を避けた)。

砂川判決が自衛隊の合憲性について判断を下したものでないことは、法学部で憲法の授業を受ければ当然学ぶはずのことがらである。そしてまた、砂川判決のみならず、最高裁判所はその後の判決においても、今日に至るまで、自衛隊が合憲か違憲かについて一切判断していない、ということも同様である。市販されている憲法の教科書にもそのことはきちんと書いてある。ここでは、一例として著名な教科書を3冊のみ紹介しておこう。

最高裁判所は、(……)砂川事件判決で、(憲法9条)2項が「いわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べるにとどめ、その後も自衛隊の合憲性の問題に直接答えることを避けている(佐藤幸治『日本国憲法論』〔成文堂・2011年〕98頁)。

これまでに自衛隊の合憲性を争う訴訟がいくつか提起されてたが、最高裁は一貫して判断を回避しており、今までのところこの問題についての最高裁判例は存在しない(高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第3版〕』〔有斐閣・2013年〕55頁)。

警察予備隊令(1950年)、保安庁法(52年)、自衛隊法(54年)によってすすめられてきた日本の軍備、および、日米安保条約(1951年成立ーー60年に重要改定)にもとづくアメリカ軍への基地提供と軍事協力については、その憲法適合性が争われてきた。何度か裁判所の判断も求められ、いくつか下級審の判断も出ているが、最高裁がこの点につき実質判断を公にしたことはまだない(樋口陽一『憲法〔第3版〕』〔創文社・2007年〕145頁)。

また、内閣法制局の元長官がこれまでの日本政府の憲法解釈をまとめ、解説を加えた本でも、同様につぎのように書かれている。

自衛隊の憲法適合性についての司法の判断としては、自衛隊を違憲とした長沼事件第一審判決や、統治行為に属し、司法審査の外にあるとした同事件の控訴審判決などがあるが、周知のようにこれまで最高裁の見解が示されたことはない(阪田雅裕『政府の憲法解釈』〔有斐閣・2013年〕10頁)。

岡崎氏の論説は、砂川判決が自衛隊を合憲と認めたという事実無根の謬説を堂々と披露するだけでなく、さらに、(1)同判決が集団的自衛権をも認めているとか、(2)集団的自衛権は有するものの憲法上行使できないとする内閣法制局の解釈は「もし、この解釈を最高裁に持って行ったら(……)100%否定される」とか、(3)「権利あれば行使は当然だ」とか、とにかく日本で基本的な法学教育を受けた者であれば到底言わないであろう主張を繰り広げる点で、異様である(ただし、公平のために敢えて細かい点を言うならば、(1)は、砂川判決は上述の通り「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」は否定されていないと述べており、そこに集団的自衛権をも読み込むことは言語学的には不可能とは言えまい。もちろん、判決の文脈からして、また時代的背景からして、敢えてそのように読むべきだと主張する学説はないであろうが)。

産経新聞のオピニオン欄に関するポリシーを私は知らない。オピニオン欄に掲載される見解は、その著者の個人的な見解であり、たとえ事実に反することが書かれていても産経新聞としては何も対応しない、ということなのかもしれない。それにしても、このようなーー繰り返すが法学部生にとってはごく基本的な知識に属するであろうーー事実に明白に反する主張が、権威ある有識者のものとして新聞に掲載され、そしてそれがネット等を通じて世の中に拡散していく(たとえば、民主党の長島昭久議員は、そのツイッターにおいて、この岡崎氏の論説を「最高裁砂川判決に基づいて集団的自衛権行使の正当性を論じたパワフルな正論」と賞賛した)とすると、やはり危惧を覚えざるをえない。安倍首相の政策判断に大きな影響力をもつ人のものであれば、なおさらである。報道機関には、少なくとも正確な事実の伝達に努力することを求めたい。