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18歳選挙権の導入にあたって

南野森九州大学法学部教授

以下は、共同通信社の求めに応じ、2015年3月に執筆したものです。2015年6月19日に公職選挙法9条1項・2項などの改正が成立し、国政選挙および地方選挙の選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられました。それから1年を経て、2016年6月19日、改正規定が施行されます。いよいよ、「18歳選挙権」のスタートです。本稿は、公選法改正前に執筆したものではありますが、「18歳選挙権」に関する提言も含むものであり、あらためてお読み頂けると幸いです。

なお、本稿をもとに字数削減や表現調整を行ったものが、共同通信の「識者評論」として2015年3月5日に配信され、つぎの各紙に掲載されています(確認できたもののみ):東奥日報、京都新聞、神戸新聞、熊本日日新聞(以上2015年3月6日付)、徳島新聞(3月7日付)、山形新聞、山梨日日新聞(以上3月9日付)、北海道新聞(3月13日付)、千葉日報(3月15日付)、岩手日報、大分合同新聞、佐賀新聞(以上3月16日付)、中國新聞(4月7日付)。

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選挙権とは

国政選挙における選挙権(投票権)とは、国民の代表者である国会議員を選挙によって選ぶ権利のことであり、日本のような現代民主主義国家においては、議会制民主主義の根幹をなす基本的権利として、広く、そして等しく、一定の年齢に達した国民に保障されるべきものである。年齢で線引きをするのは、選挙権の行使には政治的な判断能力や自律的な決定能力が求められるところ、もちろんそのような能力の高低には個人差があるとはいえ、制度設計としては、やはりそうするのが最も合理的だと考えられるからである。

よく知られているとおり、世界の圧倒的多数(9割近く)の国で、選挙権は18歳から認められている。なかにはオーストリアのように16歳から認められる国もある一方で、日本のように20歳にならなければ選挙権が認められない国は、サミット参加国やOECD諸国といった先進国では、日本のほかにはない。

かかる観点だけから言えば、今国会(注:2015年の通常国会)で公職選挙法が改正され、選挙権年齢が18歳に引き下げられる見通しとなったことは、いわば「世界標準」に沿うものと言え、ひとまず望ましいことだと評価できるだろう。日本人だけが、諸外国人に比べて政治的・自律的判断能力の成熟が2年遅い体質だなどということは、おそらくないはずである。

18歳の政治的判断能力

とはいえ、大学1年生に対して法学入門の講義を担当し、2年生に憲法を講義し、そして3・4年生向けに憲法ゼミを開講するなどして、大学教師として10年以上学生と接してきた経験から言うと、高校を卒業したばかりの世代と、大学に入って1、2年を経た世代とのあいだには、政治的な判断能力においてそれなりに無視できない差があることは認めざるをえないようにも思う。そのような意味では、18歳に選挙権を与えることが、はたしてこの国にとって良い選択なのか否かは、私自身、必ずしもよくわからないところがある。

他方で、2014年夏に出版した憲法入門書『憲法主義』(PHP研究所)で私の集中講義を受けてくれた当時高校3年生でAKB48のメンバーであった内山奈月さんのように、並みの大学1年生よりずば抜けて聡明な高校生もおそらくはあちこちにいるだろう。

ようするに、能力には個人差があろうし(これは年配の国民にも当てはまる)、卵が先かニワトリが先かという話に似たところもあって、18歳で選挙権が与えられるようになれば、その結果、責任ある投票行動をすべく、政治に関心をもち、新聞を読み、考え、政治的な知見を深める若者が増えるかもしれない、というところに期待するほかない。

期待される効果とそのための課題

実際、たとえば高校3年生の時点で国政選挙に投票できるということになれば、おそらく実家から家族や級友とともに投票に赴くことになり、その過程で自分はどういう観点からどういう選択をするかといった議論をすることになるかもしれず、そのような経験は、きっと若者によい教育的効果をもたらすだろう。

反対に、民主政治を担う市民としての、政治的な責任を自覚し、熟慮のうえでなされる選択ではなく、若者による選挙権の行使がたんなる人気投票になってしまうのであれば、日本でいちばん有名な政治家である総理大臣の率いる政権与党がどうしたって有利になるだろう(これも年配の国民にも言えることである)。

「われわれは市民となってはじめて人となる」とはルソーの言葉であるが、若者が自分の頭で考え、この国を少しでもよくするために、われわれの代表者にふさわしい人間を選ぶことのできる、そのような意味での自律した市民となるためには、やはり、メディアの丁寧な政治報道と中学・高校における政治教育の充実がきわめて重要である。教師の政治信条を押しつける「政治的な教育」ではなく、政治について考え議論するための知識と作法を実践的に教える「政治教育」は、長年の積み重ねのある教科教育とは異なり、おそらく容易ではない。

しかし、たとえば欧米では、哲学的論点や政治的課題についてのディベート授業、あるいは法的知識の基礎や立憲民主政治の本質を教える公民教育などが、やはり長年の積み重ねを有している。それらを参考にしながら、長期的には日本の中等教育にもそのような実践が期待されるし、それは決して不可能ではないだろう。

憲法改正のための国民投票法では、2018年6月より後に実施される憲法改正国民投票の投票権者も18歳以上とすることが定められている。予行演習というわけではないが、それまでに、通常の選挙で18歳以上に投票を経験させることは、そのことにより若者に対する政治教育のあり方が知識偏重から議論重視の方向へ変わっていくとすれば、熟議にもとづく民主主義国家をより良く運営していくために、やはり望ましいと言えるだろう。いや、望ましいものとすべく、教育現場の先生方やメディアで働く人々にはさらなる奮闘をお願いしたいのである。もちろん、大学も他人事ではない。

九州大学法学部教授

京都市生まれ。洛星中・高等学校、東京大学法学部を卒業後、同大学大学院、パリ第十大学大学院で憲法学を専攻。2002年より九州大学法学部准教授、2014年より教授。主な著作に、『憲法学の現代的論点』(共著、有斐閣、初版2006年・第2版2009年)、『ブリッジブック法学入門』(編著、信山社、初版2009年・第3版2022年)、『法学の世界』(編著、日本評論社、初版2013年・新版2019年)、『憲法学の世界』(編著、日本評論社、2013年)、『リアリズムの法解釈理論――ミシェル・トロペール論文撰』(編訳、勁草書房、2013年)、『憲法主義』(共著、PHP研究所、初版2014年・文庫版2015年)。

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