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NY発ジュニアアスリート界の金の卵の育て方 〜インテリコーチが行うビジョンメイキングとは?〜

宮下幸恵NY在住フリーライター
ジュニアスケーターは、こんな大観衆の前での演技を夢見ている(写真:アフロ)

■金の卵をつぶさず割らずに育てるには?

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた時、「どうか健康に育ちますように」―。そうシンプルに願いを込めたはずが、一人で歩き始め話しだし、オムツが取れた頃には、「さて、何が向いてるかしら?」。なんて早期教育や習い事に欲が出る事も・・・。

男子テニス界のエース、錦織圭の父・清志さんは、5歳でテニスを始めてあっという間に上達する息子を見て、小学生の頃から世界を意識していたという。単身でのアメリカ行きに、『錦織圭 15−0 フィフティーン・ラブ』(神仁司著)のなかで、

「たまたま才能を持った子が、わが家にいて彼の道を妨げるようなことはしたくない。ただ、アメリカへ行って例えだめだったとしても、全然構わなかった。わが子の価値は、何ら変わることはない」

と語っている。

錦織家のように、繊細で小さな卵のような才能を、つぶさず割らず大事に育てるにはどうしたらいいのか? ニューヨークに母娘二人三脚でフィギュアスケートに打ち込む日本人親子がいる。林真理子さんと、11歳になる真友優(まゆう)ちゃんだ。

■名門リンクで練習付け

母・真理子さんがダンス留学でニューヨークに来たのは27年前のこと。老舗ダンスアカデミー「Alvin Ailey」で修行を積むと、オフブロードウエイの名作「RENT」の振り付け師の舞台に立った経験を持つ。結婚後3人の子供に恵まれ、全米認定ヨガインストラクターを取得。今ではヨガを教えたり、ママダンサー仲間とMarilyn Mommy Yoga Dancersというカンパニーを立ち上げる肝っ玉母さんでもある。

3人兄弟の真ん中で長女の真友優ちゃんは、恥ずかしがり屋で学校でも手を挙げて発言するタイプではない。小さい頃から体の線が細くスラッとしていたため、ダンスや体操教室にどんどん連れて行ったが、どれも興味を示さず長続きしない。そんななか、5歳で始めたスケートだけは、毎週欠かさず通ったという。

最初は習い事感覚だった。週1回グループレッスンを受けるだけ。費用も高くなかったが、9歳になる頃にはジャンプにも挑戦するようになり、練習すればもっと難しいものに挑戦したくなる。そうなると、習い事感覚のグループレッスンでは満足できなくなり、個人コーチをつけてみることにした。

フリィップ・チャン氏(左)とケビン・コッポラ氏(右)
フリィップ・チャン氏(左)とケビン・コッポラ氏(右)

そんななかで出会ったのが、台湾系アメリカ人のフィリップ・チャン氏とボストン出身のケビン・コッポラ氏だった。

チャン氏は27歳でコーチ歴3年、ケビンも24歳でコーチ歴1年と新米だが、実際に話してみて、指導のきめ細かさと人間性に惹かれたという。

アメリカスケート連盟(USFSA)による競技レベルはテストによる進級性で8段階に分かれており、真友優ちゃんは下から4番目のジュビナイルに所属。個人コーチについてわずか1年ちょっとでこのレベルに達するのはとても速いそうだが、これからさらに、インターミディエイト→ノービス→ジュニア→シニアとどんどん狭くなる関門を突破してなくては、世界選手権やオリンピックへの道は続かない。

「フィルにも最初に聞かれました。『楽しくステップアップさせたいか、それなりのレベルに行かせたいか』と。私は『やるなら真剣にやりたい』と答えました」(真理子さん)

「それなりのレベル」とコーチが口にしたのは、もちろん真友優ちゃんが磨けば光るダイヤの原石だから。

夫、さらには他の兄弟も応援するということで、真友優ちゃんの選手生活がスタートした。夏休みの今は週に6日、自宅のあるニューヨーク州クイーンズ区からマンハッタンを通り過ぎて、ニュージャージー州にある「アイスハウス」という名のリンクへ。高橋大輔、安藤美姫ら日本のトップ選手が練習拠点とした場所であり、練習にお邪魔した日はニコライ・モロゾフ氏が愛娘アナベルちゃんを指導していたりと、世界を身近に感じられる環境がここにある。

■頑張る事の『意味』

チャン氏に指導を受ける林真友優ちゃん
チャン氏に指導を受ける林真友優ちゃん

小さい頃からスケートにかけても、世界の檜舞台に立つことが許されるのはほんの一握り。

「スケートをやっている子の90%はスケート以外の仕事につく。僕みたいにコーチになるのはそういないんだ」(チャン氏)

「いや、90%じゃないよ。98%だよ」(コッポラ氏)

「(子供たちにとって)今のスケートとオリンピックの間にはギャップがある。スケート、スケート、スケートでやっていて、そのままオリンピックに繋がるわけじゃない。それまでにはいくつもステップがあって、小さなゴールが必要なんだ。スケートを出来る期間は短い。そして、より高いゴールを設定してクリアすることは人生にとっても大事」(チャン氏)

だからこそ、若いコーチ2人は、個別指導する10人から15人の選手に、将来への道筋を示すことも欠かさない。

2人がスケートペアレンツと呼ばれる競技レベルの子供を持つ保護者向けに渡すのが、入門書のような「A Parent’s Guide to Skating」だ。

目を引くのは、『学業とスケートの両立は出来る』と書かれていること。「大学は学業と優れた課外活動を求めている」とし、「スケートで達成したことは、大学が求めている自分で決めた事をやり遂げる力、成長、献身さを示す例になる」という。

さらには、「アメリカスケート連盟という国が認めた組織による競技テストは、大学入学審査において課外活動として認められる」現状もあり、競技を続けることがスケート一辺倒になるだけではない利点を強調している。

さらに、高校時代に1日3時間以上の練習を毎日のように続けたトップ選手の進学例も。

たとえば、ニューヨーク出身で2002年ソルトレイク五輪女子シングル金のサラ・ヒューズは引退後イエール大に進学し、妹のエミリー・ヒューズ(2006年トリノ五輪女子シングル7位)はハーバード大へ。さらには、2006年トリノ五輪で荒川静香に次ぐ銀メダルだったサーシャ・コーエンはコロンビア大に進んでいる。全てアイビーリーグの名門だ。

入門書では、そのアイビーリーグの1つ、ダートマス大が最近スケートに力を入れているという“プチ入試情報”や、アメリカスケート連盟による奨学金制度まで載せている。

もし夢が断たれたとしても、自分がやって来たことは無駄じゃない、努力を積み重ねたプロセスを自信にかえて、それを社会に生かす時がくる。そう思えるような「大きな将来の枠組みを示して行く必要がある」とチャン氏は力説する。

■大学でスケート以外を学んだインテリコーチ

チャン氏もコッポラ氏もシニアレベルまで行ったが、世界舞台に立つ事はなかった。チャン氏はニューヨーク大学(NYU)で心理学を学び、「アメリカは特に太りやすいから」と栄養学も学んだ。コッポラ氏はファッション工科大学(FIT)で国際貿易学を専攻。「全然関係ない仕事についた」と笑うが、違う分野の勉強をつんだからこそ、コーチ歴が浅くても将来を見据えた『ビジョンメイキング』を子供達にも示せるのだと思う。

そのためか、2人が指導する子供たちは全員普通に学校に通っており、ホームスクールの生徒はいない。さらに、マンハッタンやその他の地域から通う生徒のために、ニュージャージー州のリンクから車で送り迎えも手伝っており、車中に宿題の相談を受けることも。学校の成績も優勝な子が多いという。

子供たちが将来どんな道を選択しようとしても、今スケートに打ち込む事は無駄じゃない―−。そんなコーチ心も垣間見える入門書だ。

■ゴールシートで目標を『見える化』

2人のビジョンメイキングに欠かせないのが、「ゴールシート」と呼ばれるものだ。1人ずつ週1度のペースで目標を書いていくもの。シートには、

「今日」「今週」「今月(7月)」「8月」「9月」、「リージョナル(大きな試合名)」、「次のシーズン」と書かれており、子供が自分で目標を書き込むようになっている。

「子供はすぐに忘れちゃうからね」と笑いながら理由を語るチャン氏だが、自分で考えたことを書き起こすことで目標が「見える化」し、目的意識をはっきりさえた練習の効果は大きい。

真友優ちゃんの場合は試合での得点数を目標に入れているが、新しいジャンプの成功やスタミナアップなど目標は個々に違う。

それをもとに、2人は細やかなバックアップを行う。スタミナに課題のある子には、練習以外でも「今日は走った?」「健康的な食事をしてる?」とメッセージを送り、日々やる気スイッチをオンにさせるのだ。

■レベルに応じた親の関わり方

ビジョンメイキングでコーチと生徒の信頼関係は築かれていくが、親のサポートはどうだろう?

「保護者には2つのタイプがいて、『スケートはお金がかかるし楽しめればいいわ』という人と、クレージーなタイプ。クレージーにも2タイプあって、『コレしなさい!アレしなさい!ジャンプ飛べないと夕食なしよ!』という人と、『週1回しか練習したくないけど全米規模の大会に出たい』と言う親御さん」。チャン氏はよく保護者ともコミュニケーションを取り、子供の気持ちを尊重した上で、いい距離感の取り方をアドバイスしているように見える。

ヨガインストラクターでもある真理子さんだけに、体作りにはうるさく、「より細く長い筋肉を付けるために」と娘用にストレッチやトレーニングを考案したり、今はコーチ、選手、母親の「三角関係」だ。

体を冷やさないようにと、「ほらジャケット着て」と気遣い、試合でダブルアクセルに失敗すれば「なんであかんかったん?」と聞く事もあるが、「もう少ししたら私は引いてコーチに任せたい」。チャン氏は「(真理子さんに)もっとポジティブな面を見るようにと言ったりもする」と、皆でベストな方法を探っている。

チャン氏とコッポラ氏も、ビギナーの親にとって大事なのは「応援すること」、上達していく過程で必要なのは「ポジティブでいること」。トップアスリートになれば「献身すること」と親のサポートの違いを説き、バランスの取れた成長を目指している。

真友優ちゃんは「ジャンプとスピンが好き。ナショナルに出たいけど、無理かな〜」と声を小さくしながら控えめに答えるが、つぶらな瞳でチャン氏の指導に聞き入る姿には芯の強さを感じさせる。憧れは浅田真央。若きインテリコーチのもとから世界へ羽ばたく日が来るのか。日本人母娘の挑戦を、静かに見守りたい。

NY在住フリーライター

NY在住元スポーツ紙記者。2006年からアメリカを拠点にフリーとして活動。宮里藍らが活躍する米女子ゴルフツアーを中心に取材し、新聞、雑誌など幅広く執筆。2011年第一子をNYで出産後、子供のイヤイヤ期がきっかけでママ向けコーチングの手法を学ぶ。NPO法人マザーズコーチ・ジャパンの認定コーチに。『「ダメ母」の私を変えたHAPPY子育てコーチング』(佐々木のり子、青木理恵著、PHP文庫)の編集を担当。

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