宇多田ヒカルさんの発言でメディアが考えるべき「精神の病」の問題

藤圭子さんが自ら命を絶った。その出来事については、今もテレビのワイドショーや週刊誌などで「自殺の裏側」「隠された真実」などと称する記事が垂れ流されている。

藤圭子さんの自殺をめぐるテレビ報道の問題点については、前回の原稿で記した。

ここでは、その後に出た娘の宇多田ヒカルさんのコメントとそれをめぐる報道について書いてみたい。

宇多田ヒカルさんはブログに載せたコメントで、自分の母親が「精神障害」を持っていたことや家族として悩まされてきたことを告白している。 

http://www.emimusic.jp/hikki/from_hikki/

「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。」

同じブログには藤圭子さんの元夫で、ヒカルさんの父親の宇多田照實さんもコメントを載せている。

「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。

この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。

そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。」

根っこに横たわっていた「精神」の問題。

自殺という行為の直接の原因は分からないが、娘として、元夫として、藤圭子さんの精神状態の不安定さに苦悩してきたことが伝わってくる。

精神障害者を抱えた家族としての本心の吐露だろう。このことは、たまたま芸能人の家族に起きたというだけで精神障害者を身内に持った家族に共通する普遍的な問題だと私には感じられる。

ところがだ。

メディアは、こうした精神障害者を抱える家族の問題を詳しく報道しない。

特に週刊誌やネットメディアは、その後、藤圭子さんの実兄が宇多田照實さんを「血を分けた兄である私が、妹の遺体にも会えない」と非難するという“愛憎劇”を中心に報じている。

芸能人家族の内側を探る、読み物として面白いゴシップだからだろうか。そこにはジャーナリズム精神は見られない。

精神病に関しては、偏見や誤解、無知が今も根強い。

殺人事件の加害者として逮捕された人間が精神病患者である可能性がある場合、どこまで通院歴などについて報道するのか。実名で報道するのか匿名で報道するのか、ということは報道機関が毎回毎回、頭を悩まされる問題だ。明らかな精神錯乱というケースもあれば、2001年の大阪・附属池田小学校での無差別殺傷事件のように「詐病」であることが後になってから判明したケースもあり、判断は簡単ではない。そのつど慎重な判断が求められる。「通院歴」の有無が犯行に関係ないのにニュースでその事実を伝えてしまうと差別や偏見を助長する可能性があり、最悪の場合、精神障害だから人を殺した、というふうに単純に受け取られかねない。

「宇多田ヒカルさんの手記、とても他人事とは思えません」。

藤圭子さんの自殺報道の続報である宇多田ヒカルさんの手記のニュースを見て、2人の若者が私にメールをくれた。

子どもという立場で精神障害者の親と向き合っている人たちだ。

1人は父親が精神障害というケース。もう1人は母親が精神障害を持つケースだ。他にもテレビのディレクター時代に取材で知り合った人の中に、家族に精神障害者を抱える人は何人かいる。

50代の父親が精神障害を抱える娘のケースは、患者である父親は躁鬱病でときおり攻撃的になって家族にDVを振るう。

父親は毎日のようにかつての友人や知人に長い電話をかける。同じ話が多く、しかも、現実味のないほどの大金が動く空想的な仕事の話をする。根気よく聞き役に徹していても、いきなり怒鳴り出したり、時に暴力的になったりするので、友人は1人減り、2人減り、今ではつきあう人間もほとんどいない。当然ながら仕事も失ってしまった。いきおい、彼のストレスの発散口は家族に向かう。時々、家の中で物を壊し、激高して妻を殴る。妻と年頃の娘は暴力におびえ、妻は離婚して新しい生活に踏み出すかどうか数年間、悩み続けている。妻は大手企業の管理職で生活力があるため、離婚しても生活には困らないが、離婚すれば夫がとたんに路頭に迷ってしまうため踏み切れない。

宇多田ヒカルさんのケース同様に精神障害を抱える40代の母親を持った息子のケース。

精神状態が不安定でときおり息子を口汚く罵る。統合失調症による被害妄想がひどく、ありえない話で罵倒されて、息子はひどく傷つきながら、日々、母親に激しい変調がないか顔色をみて暮らしている。それでも家の外には病状をひた隠しにしている。家族は、患者本人の言動による攻撃を直接受けるため、激しく疲弊する。他方で、精神障害に対する偏見が強いため、悩みを家族以外の人に打ち明けられずに苦悶するケースは多い。

しかも、患者本人が病気であることを自覚している場合ならまだ良い。精神科医の治療を受け続けているのであればまだ・・・。

だが、上記の2つの事例では、一度は精神科に通院したり、入院したりしたものの、その後、本人が「自分は病気ではない」と治療を拒んでいた。そうなるともう地獄だ。

私自身にも精神障害の長い友人がいた。昔から話に大きなところがある少し変わったところがある人間だった。妄想のような話で毎日のように職場に「おい、ヒマか?」と電話をかけてきたり、毎週のように「元気か?」と職場にやってきたりと、「ちょっと変だな」と感じた時にはかなり病が進行していた。話している途中で急に怒鳴り出したり、ビール瓶を振り回して殴りかかってきたり・・・。あまりにも頻繁に巻き込まれてしまうので、こちらの仕事にも支障が出始めて携帯電話の番号を変えるなどして意識的に交遊を絶つしかなかった。

はたしてどうすれば良かったのだろうと、今も自問しているが、精神障害の最大の悲劇は、このように周囲も最終的には人間関係を切らざるえないケースが少なくないことだと思う。

宇多田ヒカルさん父子のブログを読む限り、藤圭子さんもそういう状態だったらしい。ただ、藤圭子さんがどんなに周囲との人間関係を壊してしまっても、芸能人、有名人ということで、この病気であることは外には隠さねばならず、家族としての苦労は並大抵ではなかっただろうと想像する。

こういう状態であったと分かったなら、本人の死後にメディアが行うべき仕事は“愛憎劇”を報じることではない。

精神障害者を抱える家族の悩みを表に出し、共有し、その負担を少しでも軽くする社会の仕組みを作る報道をすることだ。

残念ながら、そうした方向に全然進んでいないのはどうしたわけだろう。

精神障害者の苦悩など知りたくない、そうしたテーマは暗い話で難しい。番組を作っても見てはもらえない、書いたって読んでもらえない、というような判断が先に立ってしまうのだろう。

日々、目先のことばかりに追われる現在の報道現場では、精神障害を持つ患者や抱える家族の苦悩を取材したことがない記者やディレクターが圧倒的に多い。たとえば、統合失調症という病気について、どんな症状なのか、治療法はどうなのか、強制入院などの仕組みはどうなっているのか、などを勉強している記者やデスクはテレビにも新聞にも週刊誌にもネットにも、ごくごく少ないというのはまぎれもない事実だろう。

知らないものは世間話とあまり変わらないレベルでしか問題を意識し、報道することができない。

時に、一般の人と同じような偏見や誤解に満ちた、ゴシップ的な報道をしてしまう。

そんな報道姿勢だから、テレビは信頼を失ってしまうのだ。

あるいは、そうした問題に慎重な新聞は、ほとんど表面的なわずかな出来事しか報じない。

テレビは、その気になれば、精神障害を持つ人を抱えている家族の日常的な苦悩をリアルに伝えることができるはずだ。

彼らがどんなことに悩んでいるのか。

藤圭子さんの場合ー

周囲がどんなに病気だと感じていても本人が病気であることを否定し、精神科の治療を受けることを拒んだ時にどんな方法があったのか。

精神をめぐる医療・保健システムのどこに問題があるのか。

その問題に切り込む報道が本当は必要とされているはずだ。

たとえば、精神障害者を家族に抱える人たちによる、公益社団法人・全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)という団体がある。

ここのホームページには、家族会としてのアンケート調査の結果が掲示されている。

http://seishinhoken.jp/

http://seishinhoken.jp/attachments/view/articles_files/src/ab88b14e13206489b84095bea8ee4548.pdf

●居宅、つまり、入院していない患者の場合に、「本人が1か月以上、治療を中断したことがあるか」という質問への回答―

「ある」74.5%

「ない」25.5%

●「本人の病状の悪化により危機的状況になった際、家族としてどのような苦労や心配があったか」という質問への回答―

(複数回答)

「本人がいつ問題を起こすかという恐怖心が強くなった」64.8%

「家族自身の精神状態・体調に不調が生じた」58.7%

「仕事を休んで対応しなければならない」47.3%

「家族が身の危険を感じることが増えた」30.9% 

など。

●「治療の中断や病状が悪化したときに必要なこと」という質問への回答ー

(複数回答)

「精神保健・医療・福祉の専門職が訪問して本人に働きかけてくれること」66.1%

「どのように対応したらよいか24時間相談できること」57.0%  

などとなっている。

それだけ「訪問してくれる医療・保健サービス」への期待が高く、現状では不足しているということだろう。

全国精神保健福祉会連合会がホームページで家族を支援するシステムが必要だ、として具体例に挙げているのが、イギリスのバーミンガムで行われている「メリデン・ファミリーワーク」だ。

ときおり、専門スタッフが精神障害者を抱える家族を訪問し、家族全員に話を聞いてサポート方法をアドバイスする仕組みだという。イギリスでは病気の再発率を下げた、という。私自身は取材したことがないので、このシステムそのものの評価はできないが、少なくとも日本でも検討してみる価値はあるだろう。テレビも新聞も報道すべきことはこうしたシステムに関する紹介ではないのか。

藤圭子さんの自殺で浮かび上がった「精神障害者」と「その家族」の問題。

芸能人一家の人間関係がどうであったのか、などということにとらわれるべきではない。

”愛憎劇”などというが、精神障害がある人たちの周りの人間関係が「切れる」ことは、ある意味、当たり前のように起きていることなのだ。

そんな個々人がどうした、という話よりも、どういうケアがあるべきだったのか、という社会的な問題としてとらえるべきだろう。

藤圭子さんの場合にイギリスのような「訪問してくれる医療・保健サービス」があったなら事態はどうなっていただろうか。

宇多田ヒカルさんの後ろには無数の同じような患者家族がいるのだ。

手記を甘いBGM付きのナレーションで読み上げて、スタジオで「宇多田さん、つらかったのですね」と表面的に同情するだけなら、そんな放送はジャーナリズムなどではない。

メディアがやるべきことはほかにある。